約束
「なんだかむかつくのよねー!あの林って奴!」
真奈美がそう言うと、取り巻きの女子高生達がそれぞれうなずいた。
「体が弱いからかどうか知らないけどさ、何もしなくていいんだもんなぁ!」
真奈美が言い、また周りの取り巻きがうなずいた。今、話題にしている「林智也」は無口な学生だ。「矢口真奈美」とは、2年生になってから同じクラスになった。
なんでも体が弱いらしく、体育の授業の日は必ず見学している。それでも他の教科の成績がいいためか、単位はちゃんともらえるようだ。
そして真奈美は、成績は中の下で素行もいいとは言えない。制服のスカートもひざ上まで短くし、同じような格好をしている女子たちといつもつるんでいた。
そんな真奈美が智也を気にするようになったのは、夏休みを過ぎてからだった。2学期になって初めて登校した日、智也が真奈美に笑顔を向けたのがきっかけだった。その日からついつい、真奈美は智也を目で追ってしまう。そんな真奈美に他の女子が気が付き、真奈美に「好きなの?」と言ったのだ。それで、冒頭の言葉となった。
「あ、ちょっとスーパーに寄らない?」
真奈美がそう言うと、女子たちが、何か意味ありげな笑顔を真奈美に返した。
……
「きゃー!やだー!何これー!」
スーパーの菓子売り場で女子高生達が騒ぐのを見て、買い物客が顔をしかめている。
そのひと筋横で、真奈美は小さな箱に入ったチョコレート菓子をこっそりポケットに忍ばせた。
真奈美は辺りを見渡してから、騒いでいる女子高生のところに行こうとした。
その時、黒い壁が立ちふさがった。真奈美が驚いて顔を上げた。
「はやし…」
真奈美は目を見開いた。「林智也」が自分を鋭い目で見つめていた。
「ポケットの中の物を出して。」
智也はそう言って、手を差し出した。…正直、智也の声を聞いたのは初めてだった。智也は授業中も休憩時間も独りで、ほとんど言葉を発しない。
「なんだよ…言いつけるのかよ!」
真奈美は真っ赤になってそう言った。智也は黙ったまま、手を差し出している。真奈美はポケットからチョコレート菓子を取り出すと、智也の上着のポケットに押し込んだ。智也は目を見開いて、そのポケットに手を入れようとした。
「きゃー!万引きしてるー!!店員さんっ来てー!万引き見つけたーっ!!」
真奈美はそう叫び、すぐにその場から逃げた。他の女子高生も真奈美と一緒に駆け出す。
男性の店員達が菓子売り場に走って行ったのを尻目に、真奈美はスーパーを飛び出した。
……
翌日、真奈美は重い気持ちをひきずりながら、学校に向かっていた。取り巻き達は、何もなかったかのように周りではしゃいでいる。
昨日、学校から家に電話が来るのを待っていた。だが、なかった。智也があのまま、万引き犯で捕まったとしても、本当の事を言うはずだ。…それなのに、真奈美の家には何の連絡もなかった。
(今日、先生に呼び出されて怒られるんだろうな…)
真奈美はそう覚悟して、校門をくぐった。
……
教室に入ると、すぐにチャイムがなった。智也は来ていない。真奈美が不思議に思っていると、担任の教師が厳しい表情で、教室に入って来た。
「起立!礼!着席!」
その日直の言葉と同時に全員が座ったところで、担任が厳しい表情のまま、突然言った。
「もう知っている者もいると思うが、昨日の夕方、林君がスーパーで万引きをし、警察に保護された。」
「!!」
真奈美は目を見開いた。そして自分の事を言われるかと、すぐに机に視線を落とした。教室がざわめいている。
「…先生も信じられなかったが、本人が認めたそうだ。」
真奈美はうつむいたまま、目を見開いた。智也は真奈美の事を言わなかったのだ。
「…どうして…」
真奈美は、顔を上げて思わずそう呟いた。そんな真奈美と視線が合った担任がうなずきながら言った。
「成績が落ちていることに悩んで、つい手が出たと言っているそうだ。…だから林は1週間停学処分となった。皆も受験の事を考えている頃だとは思うが、林のように魔が差すようなことになる前に、ちゃんと先生に相談しなさい。わかったな。」
真奈美は、またうつむいた。唇がぶるぶると震えていた。
……
「やったじゃない、真奈美!」
真奈美を囲みながら、取り巻きが口々に言った。
「林の奴、いい気味だよ!あいつ、本当の事を言わないなんてばかじゃない?」
「結局、根性なしなんだよ!」
「うるさいっ!!」
真奈美が立ち止まり、突然そう叫んだ。女子たちは驚いて、一緒に立ち止まった。
真奈美の目から涙がぼろぼろこぼれ出していた。
「真奈美?泣いてんの?」
真奈美は答えず、いきなり走り出した。
「真奈美!」
女子高生たちはその場から動かず、ただ真奈美の走り去る姿をぼんやり見つめていた。
……
「本当は私が万引きをしたんです!それを林君にとがめられて、思わず林君のポケットに…」
スーパーの店長室で、真奈美は頭を下げながらそう言った。前で椅子に座っていた店長は驚いた表情で真奈美を見ていたが、慌てて電話に手を伸ばした。
……
真奈美はすぐに警察に補導され、停学処分になった。だが「林に謝るよう」担任に言われ、今、校長室のソファーに座らされている。
その向かいに座っている校長は、苦虫をつぶしたような表情で真奈美を見つめていた。
ドアが開いた。
真奈美が顔を上げると、青い顔をした智也が入って来た。
「林君!よく来てくれたね。さ、こっちに!」
校長がソファーから立ち上がって、智也を手招きした。智也は丁寧に頭を下げて、真奈美の前に座った。
真奈美は思わず立ち上がっていた。そして、智也に頭を深く下げた。
「ひどいことをしてごめんなさい!」
そう言ったとたん、涙が溢れ出した。智也は何も言わない。真奈美は頭を下げたまま、智也の言葉を待った。…だが口を開いたのは、校長だった。
「矢口君、座りなさい。」
真奈美は涙を拭いながら座った。智也の顔を見る勇気はなかった。
しばらく沈黙が訪れた。その沈黙を破ったのは、また校長だった。
「…林君…矢口君に言いたいことがあるだろう。遠慮なく言いなさい。」
真奈美は目を強く閉じ、智也の言葉を待った。
「矢口さん…」
智也の声がした。真奈美は目を閉じたまま「はい」と言った。
「どうして…本当の事を言ったの?」
「!?」
真奈美は驚いて目を見開いた。そして智也を見た。智也はうつむいている。校長が真奈美と同じように驚いた目で智也を見ていた。智也はまた口を開いた。
「…黙ってたらよかったのに…どうして…本当の事を言ったの?」
校長が慌てるように言った。
「林君!何を言っているんだ!…君は、犯罪者にされたんだぞ!それも多くの人たちの前で恥をかかされて、停学処分まで受けて…」
「僕は…矢口さんがこれで万引きをしなくなるのなら、それで良かったんです。」
「!!」
「矢口さんには未来がある。…でも僕にはないから…」
「林君!」
校長が慌てるように、智也の肩を押さえた。矢口は目を見張ったまま「…ないって…?」と呟くように言った。
「僕…あとひと月の命って言われてる。ガンなんだ。」
「!!!」
真奈美は両手で口を押さえた。智也はうつむきながら言った。
「ガンが見つかった時は手遅れで、手術も拒否した。…だけど、学校には通いたくて…」
真奈美の目から涙が流れ落ちた。智也の声が続いている。
「クラスにはいろんな子がいて…見ているだけで楽しかった。矢口さんは悪ぶってるけど…明るくて…笑顔が可愛くて…それに…お友達がたくさんいて、うらやましいと思ってた。」
「林…」
「…黙ってたら…良かったのに。」
智也が顔を上げて、真奈美に言った。真奈美は声を上げて泣き出していた。
……
1か月後-
「智也君、寒くない?」
真奈美は車いすを押しながら言った。
「うん。大丈夫。」
智也は車いすから、真奈美を見上げて微笑んだ。その痩せた顔に真奈美は微笑み返しながら、ゆっくりと車いすを押しながら歩いていた。
「紅葉きれいだねー!」
「うん。見られると思ってなかったよ。」
真奈美は突然歩みを止め「こら!」と、智也の頭を後ろからこついた。
「そんなこと言わないの!!来年の桜だって一緒に見るって約束したでしょ!」
「…そうだね。」
智也はそう呟くように言い、自分の前にしゃがむ真奈美に微笑んだ。真奈美は、智也の膝に掛かっているブランケットを掛け直しながら言った。
「もう1度約束!来年の桜も紅葉も一緒に見る事!はい!」
真奈美は小指を智也に差し出した。智也は微笑んで、その小指に自分の小指を絡めた。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます!」
真奈美はそう言いながら手を振った。そんな真奈美を智也は眩しそうに見ている。
「真奈美ちゃん。」
「ん?」
「キスして」
真奈美は微笑んで、智也の唇に自分の唇を寄せた…。
(終)