六日間の帰路は、基本的には往路と同じにした。
治安に不安はないので、道路状況が分かっているほうが確実だろうという判断だ。
途中、五箇所の宿駅に寄り、食料と水の補給、馬の交換のほか、花弁の開いた薔薇から順に花屋に卸す。最近見られなかった黄色い薔薇ということで全数を引き取りたいという花屋もあったが、ソレイユローズは少しでも多くの街に届けたいと断っていた。
治安に不安はなかったが、問題は発生した。
三つめの宿駅を出て半日ほど馬車を走らせたところで、魔物に襲われたのである。魔結晶により魔物化した四足獣だ。群れを成す魔物はある程度は把握されていて警報も出るが、単独の魔物は警戒網を潜り抜けることがある。
従者二人が武器を取り魔物に対峙する。侍女二人も武器を取り、私とソレイユローズの乗る馬車を護衛する。御者二人はいつでも馬車を走らせられるように待機している。いざとなれば従者と侍女を置き去りにして馬車を逃走させるためだ。
馬車の窓から魔物を見る。従者二人を合わせたより巨大な魔物だ。見るだけで全身に悪寒が走る。体の芯から何かを吸い取られるような恐怖がある。
そんな恐ろしい魔物であったが、従者二人は容易く討伐してしまった。さすが騎士団推薦だけのことはある。特に、魔物に止めを刺した若手従者の剣技は素人の私から見ても見事だった。
「お嬢様方、もう安心ですよ」
年配の従者に声を掛けられ、私とソレイユローズは馬車の外に出る。先ほどまでの恐怖感は綺麗さっぱり消えている。
魔物というものを間近に見てみたいという好奇心があったが、よく考えれば私はすでに魔物化したソレイユローズの亡き母に会っていたな。
「お嬢様方にお見せするようなものじゃないですけどね」
年配の従者がそう言うものの、魔物を討伐したあとの処理というものを見ておきたいと思った。
従者二人は、魔物から耳と牙を切り取り、さらに魔物の腹を切り裂いて、体内から何かの塊を取り出した。あまり直視したい光景ではなかったが、ソレイユローズは目を逸らさずに見ている。
魔物の体内から取り出した塊は、近くの小川で洗浄したところ、黒い色をした結晶だった。単一の結晶ではなく、多くの結晶が寄り集まったような塊だ。従者の大きな手からはみ出すほどの大きさで、こんな物が体内にあったらさぞかし痛いのではないかと思えた。
「それが魔結晶なのですね」
私が訊くと、年配の従者が肯定した。
「ええ。なかなかの大物ですね。こいつは王都に持ち帰って、王立魔法大学に納めます。魔高炉の研究に使うとかで」
魔高炉というのは、魔結晶から魔力エネルギーを取り出せないかという研究だ。まだ基礎研究の段階で、魔結晶に含まれる魔力エネルギーをごく僅かに取り出せるに過ぎない。実用化されれば聖魔石充填師の仕事はなくなってしまうかも知れないが、それはまだずっと先のことらしい。
そうこうするうちに、長旅も終わりを迎えつつあった。
出発時は、ソレイユローズが教会の馬車で我がエズクロシー家に寄り、そこから我がエズクロシー家の馬車でデブリー村を目指した。しかし、帰りは先に教会に寄ってソレイユローズを降ろし、そのあと私だけが我がエズクロシー家に帰ることにした。旅程が乱れる可能性を考えると、教会の馬車を迎えに呼ぶのは合理的ではないからだ。
馬車は今、最後の宿駅を出て、山奥の教会に向かっている。
「長旅もいよいよ終わりですわね」
私がそう言うと、ソレイユローズは少し考えて言った。
「ヴィラネッタ様、もう日も暮れますし、教会に泊まっていきませんか。夜の山道は安全とは言えませんし」
確かに一理ある。お言葉に甘えよう。
教会に着くと、出迎えてくれたのは大勢の子供だった。二十人くらいだろうか。下は三歳くらい、上は十代前半くらいか。
「おかえりソレイユローズ姉ちゃん」
子供達は一斉にソレイユローズに纏わり付く。
「た、ただいまみんな」
ソレイユローズは子供達にもみくちゃにされている。
子供達はしばらくして、私の存在に気付き、硬直したあと、ソレイユローズの背後に身を隠した。もちろんソレイユローズの細身に隠れられるわけではないのだが。
「こら、みんなヴィラネッタ様に挨拶なさい」
子供達はソレイユローズの背中からおずおずと出てきて、口々に私に挨拶する。私は悪役令嬢だけど、怖くないよ。私も挨拶しておこう。
「私はソレイユローズの同級生のヴィラネッタ・エズクロシーです。よろしくね」
子供達は再びソレイユローズの背中に隠れてしまった。扱いが難しいな。
「ところでソレイユローズ、この子達は?」
「教会に引き取られた孤児です。私と同じく、親を亡くして行くところがなくなった子達を引き取って育てているのです」
こんなにたくさんの孤児を引き取っているとは思わなかった。
「ソレイユローズ姉ちゃん、お腹空いた」
子供達はソレイユローズに空腹を訴えている。夕食の時刻も近いのに、子供しかいないのはどういうことだろう。
「大人はどうしたの?」
ソレイユローズが子供達に訊く。
「崖崩れがあったみたいで、みんな出掛けちゃった」
また崖崩れか。王室には道路整備を要請してあるが、山間部の道路整備がそんなに早く進むわけもないか。ソレイユローズの学園生活を快適にする道のりは長いな。
ソレイユローズは腕まくりをしながら言う。
「じゃあ、お姉ちゃんが夕食を作るから、みんな手伝って。ヴィラネッタ様は客室でお待ちください」
ソレイユローズは子供達を引き連れて厨房に向かったようだ。
いや、私だけただ待っているというのもな。貴族が日常的に料理をすることはないが、趣味として料理の仕方くらいは知っている。何か手伝えることはあるだろうか。
厨房は戦争のような状態だった。
何しろ子供達だけで二十人、そこに大人も加えた人数分の料理を作るわけだから、量がとにかく多い。私の侍女二人にも手伝わせよう。
意外なことに従者二人も手伝ってくれた。全身に板金鎧を纏ったまま、面具で顔を覆ったままだ。
「料理のときくらいは鎧を脱いでもよろしいのよ」
「いえ、有事の際に対応できませんので」
年配の従者が私の提案を丁重に断る。確かに一理あるな。
従者二人には肉の下拵えを担当してもらったが、若い従者は剣の腕だけでなく包丁捌きも見事なものだった。見る見るうちに巨大な肋肉が切り分けられ、下茹でされる。
「見事なものですね」
長葱を刻みながら若い従者に声を掛けると、彼は小声で答えた。
「ああ、刃物の扱いは慣れている、いますので」
そう言えば、討伐した魔物から魔結晶を取り出していたな。こういう作業には慣れているということか。従者二人の肉の下拵えは見惚れるほどだった。
数十人分の料理は下拵えも大変だが、調理も大変だ。見たこともない巨大な鍋で食材を煮込む。かき混ぜるのも一苦労だ。だが、ここまで来ると、あとは弱火で煮えるのを待つばかりだ。
私も、我がエズクロシー家の料理人の仕事を見ておいたほうがいいかも知れないな。いずれ私は悪役令嬢として追放されるわけだから、普段の食事も自分で調理できるようにしておくべきだろう。
夜の帳が下りた頃、教会の大人達が帰ってきた。何とか崖崩れで塞がった道路を復旧したらしい。
教会の夕食は質素なものだった。日持ちする硬いパン、肉と野菜の煮物、そして干し魚とチーズだ。貴族の食事とはずいぶん違うな。
だが、質素ではあるものの、味は抜群だった。肉と野菜がたっぷり摂れるし、こんな食事も悪くはないな。
肉と野菜の煮物だが、この味付けは何なんだろう。隣に座るソレイユローズに訊いてみる。
「この煮物の味付けは、何を使ってますの?」
「これは醤油で味付けをしています」
醤油か。そう言えば、ソレイユローズの作った弁当に入っていた料理も醤油を使っていると言っていたな。
「醤油というのはどういうものなのかしら」
「大豆を発酵させて作る調味料です。なぜか教会では手に入るんです」
なぜか手に入るというのはどういうことなのだろうか。違法性のある調味料というわけでもないと思うが。
夕食後、ソレイユローズの部屋を見せてもらった。
几帳面なソレイユローズらしく、綺麗に整理整頓された部屋だった。
この部屋でソレイユローズは勉強し、平民ながら王立魔法学園に首席入学したのだな。
部屋の隅にある箱を見ると、大量の封筒が入っていた。赤い封蝋が施された封筒で、開封された気配はない。
「この手紙は?」
ソレイユローズは困ったような表情をした。
「いっぱい届くんですよ」
ソレイユローズは封筒を手に取ると、ひらひらと振ってみせた。赤い封蝋が施されているということは、貴族からのものだと思うが。
「開封していないようですけど」
「はい。中身はもう見なくても分かるので。全部、恋文というやつです」
えっ、この大量の封筒が全部そうなのか。
ソレイユローズはそんなに人気があるんだな。それにしては、ソレイユローズに話し掛ける生徒がいないのが気になるところだが。今度、我がエズクロシー家でお茶会でも開いて、ソレイユローズと貴族の交流を図ろう。
私はこの時点でようやく気付いた。ソレイユローズがひらひらと振っている封筒の赤い封蝋が、王家の紋章だということに。
「ちょっと、それ、王家の紋章じゃありませんこと?」
ソレイユローズは封筒を振るのをやめた。
「ああ、そうなんですね。どうも貴族の紋章を覚えるのは苦手で」
平民には馴染みが薄いとは言え、せめて王家の紋章くらいは覚えておいてほしいものだ。
ソレイユローズは手にしていた封筒を箱の中に投げ入れた。開封するつもりはないらしい。
「最初は全員に返事を書こうかとも思ったんですが、そんなことをしていると睡眠時間がなくなってしまうので、中身は見ないことにしました」
なるほど。聖女も大変なんだな。
教会の客室に宿泊させてもらい、朝になった。
外はまだ暗いのだが、あまりの騒がしさに目が覚めてしまった。
「ソレイユローズ姉ちゃん、お腹空いた」
「ソレイユローズ姉ちゃん、私の着替えがない」
「ソレイユローズ姉ちゃん、おしっこ」
二十人もの子供達がソレイユローズに何かしら要求している。
「ああもう、分かったから、一人ずつ順番ね!!」
朝から戦争みたいになってるな。
「おはよう、ソレイユローズ」
「一人ずつ順番って言って、あっ、おはようございます、ヴィラネッタ様」
ソレイユローズはかなり限界近いようだ。
「もしかして、毎朝こんな感じなのかしら?」
「はい。いつもこんな感じです。ほらみんな、朝ごはんの準備をするわよ。お皿を並べて、パンを配って」
毎朝こんな感じで、それから馬車で山を超えて通学しているのか。
改めて、すごいな聖女。
と思ったら、子供達の朝食の間に、ソレイユローズは大量の料理を作り始めた。
「な、何をなさってるんですの?」
「これは子供達の昼ご飯です。時間がないので、あまり凝ったものは作れませんが」
いや、子供達の昼食まで用意しているのか。すごいな聖女。
さて、私は教会を出発し、我がエズクロシー家に帰ったあと、王立魔法学園に登校しなければならない。
出発の準備をしていると、ソレイユローズが見送りに出てきてくれた。
馭者、侍女、従者を並べて、別れの挨拶をする。
「みなさん、お世話になりました。亡き母の墓参りを無事に終えられたのは、みなさんのおかげです。ありがとうございました」
ソレイユローズは深々と頭を下げる。
そして馬車に乗り込んで出発しようというとき、ソレイユローズは若手の従者に近付いて言った。
「ラップさん、今後もよろしくお願いしますね」
何をお願いしているのだろうか。若手の従者は小声で答えた。
「お、おう。腕っぷしで解決できる仕事なら任せてくれ」
ううむ、ソレイユローズはこういう人間が好きなのだろうか。いや、できれば王家の血を引く者と結ばれてほしいのだが。
出発する馬車に手を振るソレイユローズを見て、ソレイユローズに贈るつもりで買った聖魔石が机の引き出しに仕舞いっぱなしだったことを思い出した。ソレイユローズの手指が荒れているのは、毎日の子供達の世話が過酷すぎるせいだろう。
あと、お茶会を開いてソレイユローズと貴族の交流の機会を持とう。まだまだ忙しくなるな。
この時の私は、お茶会が思わぬ方向に展開するとは思っていなかったのだった。