寒村
「ヴィラネッタ様、そろそろデブリー村が近いようです」
ソレイユローズに言われ、窓の外の空が灰色なのを見て、私はデブリー村が近くなったことを知った。
「どうして分かったの?」
ソレイユローズは窓の外を見もしなかったのに。
ソレイユローズは目を閉じ、大きく息を吸って、そして吐き出す。
「空気ですね。この空気の感じ、故郷に帰って来たって気がします」
なるほど、私には分からない何かを感じ取っているのか。
「ヴィラネッタ様、こちらをお持ちください」
ソレイユローズに渡されたのは手の上に乗るくらいの小さな緑の聖魔石だ。ほんのりと白く輝いており、微かな神聖エネルギーを感じる。
「これは、神聖エネルギーを感じますわね」
「はい、ちょっとした結界を張る聖魔石です。本来は雨を防ぐ雨具聖魔石なのですが、多少の火山灰なら寄せ付けないと思います」
日用雑聖魔石店で買っていた二つの聖魔石は、このためだったのか。なるほど、これなら礼服を汚さずに済みそうだ。
しかし、いざデブリー村に降り立ってみると、その考えは甘いのではないかと思えた。
デブリー村は、粗末な家がまばらに建つ、寂れた村だ。まだ正午過ぎだというのに、薄暗く感じる。空を見ると灰色だ。視線を海の方に移すと、噴煙を上げている火山が見える。あれがシュクレロイアル島だろう。噴煙は風に流されて、このデブリー村の方に漂っているようだ。
「今日は風向きがよくないですね。まあ、こういう日もあります」
ソレイユローズがシュクレロイアル島を眺めつつ言う。
地面に積もっている砂埃、これが火山灰だろうか。思ったより多い。村のどこもかしこもが、砂埃に覆われているように見える。
風が吹き抜けて、積もっていた火山灰が舞い上がる。結界魔法で守られているにも関わらず、思わず咳をしてしまいそうだ。
「こないに不便でも、みんな頑張って住んではりますのやなあ(よくこんなところに住めるな)」
私は誰に言うとでもなく「貴族ことば」を発していた。
「住んでると慣れるものですよ」
ソレイユローズが笑顔で言う。王都から離れて暮らしたことのない私には信じられないことだ。
いつまでも外にいる気分でもないな。ソレイユローズの家に案内してもらおう。
「ソレイユローズの家はどちらですの?」
私の問いに、ソレイユローズは少し間を置いて答えた。
「家、というか、家だったところ、ですね」
どういうことなのか。ソレイユローズが四年ほど前まで住んでいた家は、もう別の誰かが住んでいて、ソレイユローズの家ではないということだろうか。
「こちらです」
ソレイユローズはそう言って、人気のない路地を歩いて行く。村人とは一人もすれ違わない。こんな日は誰も出掛けたくないのだろう。
程なくして、瓦礫が積まれた場所に着いた。どうやら家屋だったようだが、倒壊してぺちゃんこだ。
「ここが私の家だったところです」
ソレイユローズは驚いた様子もなく言う。私は言葉もない。文字通り、家だったのは過去形で、今はもうないという意味だったか。
「四年も灰下ろしも雪下ろしもしないとこうなりますね」
ソレイユローズはさも当然といった風だ。
亡き母と過ごした思い出もあるだろうに、どれだけ強い心をしているのか。
「貴重品どころか、何もない家でしたからね。壊れてしまったものはしょうがないです」
それはそうなのかも知れないが、かつて住んでいた家が潰れていても驚きもしないとは、どれだけ過酷な生活を送ってきたのか。
「それでは、薔薇畑を見に行きましょう。そこに亡き母の墓もあります」
ソレイユローズの声色が明らかに変わった。
慌ててソレイユローズを見ると、彼女の顔は緊張しており、その瞳には何か覚悟のようなものが伺える。
墓参りって、そんなに覚悟を決める行事でしたかしら?
薔薇畑を見て、私は驚愕のあまり声が出なかった。
薔薇畑は一辺が十数メートルくらいの正方形あるいは長方形をしている。ざっと二百平方メートルくらいだろうか。
そこに、数百本の黄色い薔薇が一面に咲き誇っている。
真っ直ぐ立つ茎の上に一輪の薔薇の花が天を向いて咲いている。
蕾のものもあれば、満開のものもある。
美しい。
これがただの薔薇畑なら、私は大いに感動しただろう。しかし今、私の背中を冷たいものが流れている。冷や汗が止まらない。
「ソレイユローズ、ここがお母様の薔薇畑、ですわよね?」
私は分かり切ったことをソレイユローズに訊く。このデブリー村で薔薇を育てていたのはソレイユローズの母ただ一人である。ソレイユローズの母が亡くなって以降、王都にも黄色い薔薇は流通していない。
「はい。ここが亡き母の薔薇畑です」
私の前に立つソレイユローズが答える。その背中からは、亡き母の薔薇畑を見て懐かしむ気配は感じられない。
この薔薇畑、誰が手入れをしているんだ?
薔薇畑全体が結界魔法に守られていることは感じる。結界の中は外よりやや涼しく、外とは違って火山灰もなく、空気は清浄だ。ソレイユローズから貰った聖魔石と同様、神聖エネルギーによる結界のようだ。
では、結界魔法で火山灰や雪から守られていれば、薔薇という植物は勝手に咲くだろうか。そうは思えない。
「出ます」
ソレイユローズが短く言う。
出るって、何が?
疑問を発する暇もなく、それは現れた。
薔薇畑の中央に、薄ぼんやりとした黒い影が立っている。さっきまでは何もいなかったのに。
急に気温が下がった気がして、私の全身が総毛立つ。何か危険だ。私の本能が逃げろと叫んでいるのに、私の足は全く動こうとしない。
ソレイユローズが懐から何か取り出す。白い聖魔石だ。大きい。先ほど渡された魔法結界の聖魔石と異なり、かなり強く白く輝いている。相当な量の神聖エネルギーが込められた聖魔石だ。
「えいっ」
ソレイユローズは一声叫んで、聖魔石を薔薇畑中央の黒い影に向かって投げつけた。
「ぎいいいえええ!!」
黒い影から、この世のものと思えない叫び声が上がる。私は両手で耳を塞いだが、お構いなしに聞こえてくる。
しかしその叫び声も消え、静寂が訪れた。薔薇畑中央の黒い影もいなくなっている。
ソレイユローズが振り返り、哀しげな笑顔で告げた。
「終わりました」
何が?
訳が分からない。
ソレイユローズは、盛大な溜息をついた。
「ああ、やっぱり私、このイベントは好きじゃないです」
ソレイユローズは私の困惑をよそに、薔薇畑の中央に歩いて行く。危険はないのだろうか。
薔薇畑の中央で、ソレイユローズは地面の何かを見つめている。その表情は、とても悲しそうで、とても寂しそうで、見ているこっちの胸が締め付けられる。
意を決して、私もソレイユローズのいる場所に向かう。そして、ソレイユローズが見ているものを、私も見た。
「ひいっ」
人骨である。おそらく成人くらいの全身の人骨である。体格的には女性だろうか。
「亡き母です」
私が何かを訊く前に、ソレイユローズが小声で告げた。
亡くなった人の人骨を畑の真ん中に放置とか、そういう弔い方ってわけじゃないよね?
「村の人が薔薇畑の隅に亡き母の墓を作ってくれたんですが」
ソレイユローズが薔薇畑の隅を見る。そこには簡素な墓があり、そして、地面が掘り返されたようになっている。
「魔力エネルギーが溜まりすぎて、亡き母は魔物化したのでしょう」
魔物化って。いや、言われてみると、墓の土は地面の中から掘り返されたようにも見える。
「どうしてそんな」
言いかけて私は気づいた。薔薇畑全体を包む結界魔法の存在に。
この結界魔法は神聖エネルギーによるものだ。では、この結界魔法はどうやって維持されているのか。聖魔石に神聖エネルギーを込めても、四年もの永きに渡って結界を維持することはできない。
つまり、誰かが神聖エネルギーによって結界魔法を維持していたのだ。いや、維持しているのだ、今も。
「お母様は、今もこの薔薇畑を守ろうとなさっているのですね」
ソレイユローズは答えず、ただ彼女の頬を一筋の涙が流れ落ちた。
神聖エネルギーによって魔法を使えば、魔力エネルギーが排出される。魔力エネルギーが過度に蓄積すれば、それは魔素となり、さらには魔結晶となり、生物や死骸を魔物に変える。
ソレイユローズの亡き母は、死後も薔薇畑を守るために、結界魔法を張り続けたのだろう。そして魔結晶ができ、彼女を魔物に変えてしまった。
「ヴィラネッタ様、私は亡き母を墓に戻しますので、しばらくお待ち願えますか」
何を言っているんだソレイユローズは。
「そんなに抱え込んで、倒れはらへんか心配になりますわ(あとで倒れて迷惑を掛けるんじゃないだろうなお前)」
ソレイユローズは涙で濡れた目を私に向けた。
「手伝いますわよ」
私はまず作業をしやすい黒の服に着替え、侍女に髪を上げさせる。そして私達は馬車に積んであったソレイユローズの荷物からシャベルを取り出し、ソレイユローズの亡き母の墓の土を掘って、彼女の遺骨を改めて埋葬した。馭者と従者も手伝ってくれたので、日が暮れるまでに終えることができた。
私はそこで、ソレイユローズが出発前に言っていたことを思い出した。
「はい。何しろ動き回ることになりますので」
ああ、確かに動き回ることになったな。




