聖物
入学から一週間も経ち、王立魔法学園での生活にも慣れてきた。
入学時にはハイヒールに慣れない様子だったソレイユローズも、今では危なげなく歩けるようになっている。ただし、階段には苦手意識があるのか、やけに慎重に昇り降りしているようだ。
「慎重なお方は、時間がゆっくり流れてはるんですなあ(トロくさいんだよお前)」
私が「貴族ことば」で嫌味を言うと、ソレイユローズは申し訳なさそうに言った。
「すみません、階段を踏み外すとフラグが」
フラグ?
「い、いえ、慣れないハイヒールですので、階段はやっぱり怖いです。すみません」
やっぱり階段は苦手なんだな。とは言え、聖女としていずれは貴族社会に溶け込まないといけないわけだから、ハイヒールに慣れなくてもいいなんて言えないしな。
そんなことを話しつつ教室を移動していると、校舎の外から悲鳴と騒ぎ声が聞こえた。
「あっ、ヤバい」
ソレイユローズが小声で言う。
何かは分からないが、外で騒ぎが起きていることは間違いないようだ。
「何かあったようですわね。見に行ってみましょう」
歩き出そうとした私の腕を、ソレイユローズが掴んでくる。
「どうしまして?」
「ヴィラネッタ様、悲鳴も聞こえたくらいですから、危険があるかも知れません。見に行くのはよしましょう」
確かに一理ある。
しかし、なぜか分からないが、現場を見に行かなくてはならない衝動もある。
「生徒会としては、学園内の騒ぎは見過ごせませんわ」
私は自分の中の衝動を言語化した。自分でそう言って、これなら現場を見に行く理由ができたように感じる。
ソレイユローズは、何かに怯えているというよりは、何か悲しそうな表情だ。
ああ、ソレイユローズの言う通りにしたほうがいい。そう思うのに、行かなくては。
「ソレイユローズはここにいなさい。私は見て参ります」
私はソレイユローズの真剣な眼差しから目を逸らし、現場に向かった。
振り返ると、ソレイユローズも私についてくる。
「私も参ります」
ソレイユローズは、先ほどまでとは打って変わって、何か決意を秘めたような表情だ。
校舎から出て騒ぎ声のする方に向かうと、思ったより事態は深刻だった。
白い四本足の獣が、学園内に紛れ込み、生徒数人に怪我を負わせ、姿を消したのだ。獣はまだ学園内にいると思われる。
負傷者は、腕に切傷を負った男生徒と女生徒一名ずつと、背中に切傷を負って俯せに倒れている男生徒一名。どちらも鋭利な刃物で切りつけられたような怪我だ。背中を負傷した彼は出血が酷い。他の生徒が傷口を押さえているが、出血は止まらないようだ。
「治療します。構いませんね?」
ソレイユローズが負傷者に向かって言う。
いや、治療って?
「た、頼む」
俯せに倒れた男生徒が呻くように言う。
「分かりました。少し我慢してください」
ソレイユローズはそう言うと、彼の背中を踏みつけた。
え!?
辺りの空気が凍り付く。
ソレイユローズが叫んだ。
「ヒール・デ・ヒール!!」
ソレイユローズの体が白く輝いたと思ったが、それは一瞬のことだった。
ソレイユローズが足を上げると、彼の出血は止まっているように見えた。
「あとのお二人も治療します。構いませんね?」
負傷した二人が同意を示すと、ソレイユローズは女生徒の爪先をハイヒールの踵で踏んで叫んだ。
「ヒール・デ・ヒール!!」
再びソレイユローズの体が輝く。そして、女生徒の腕の傷は跡形もなく塞がっていた。ソレイユローズは同様に男生徒の腕の傷も治療する。
背中を負傷していた男生徒が体を起こす。
「痛みがまるでなくなった」
ソレイユローズは彼を制するように言う。
「怪我は治っていますが、血液をかなり失っていますから、急に立ち上がらないでください」
男生徒は大人しく従った。
何だろう、ソレイユローズが別人のように見える。
「他に怪我をされた方はいらっしゃいませんね?」
ソレイユローズが周囲に問いかける。怪我人はもういないようだ。
私はようやく、ソレイユローズが聖魔石を使わずに魔法を使ったことに気づいた。周囲の生徒達も気づいただろうか。
ただ、周囲の生徒の口から、ひとつの単語が漏れ出す。
「聖女」
「聖女だ」
ソレイユローズは私に駆け寄って来ると、小声で言った。
「ヴィラネッタ様、他にも怪我人がいるかも知れません。行きましょう」
私はソレイユローズに促されるままに移動した。
歓声が聞こえたのはその時である。少し離れた場所で何かが起こったようだ。
「どうやらあちらは片付いたようですね」
ソレイユローズは歓声の上がった方を見つつ言う。
片付いた?
歓声の上がった方に向かうと、人だかりができており、その中心に白い四本足の獣が血を流して横たわっていた。その傍らには第二王子ルビーストーン・ヴィヴァルディアが立っている。どうやら手にした剣で斃したようだ。
確かにソレイユローズの言う通り、こちらは片付いたようだ。
ソレイユローズは、やれやれという風に小さな溜息をつくと、人混みを掻き分けて前に出た。私もあとに続く。
ルビーストーン王子はソレイユローズを見るや、両腕を広げて言った。
「おお、ソレイユローズではないか。俺の活躍を見てくれたかい?」
ソレイユローズはルビーストーン王子の言葉が聞こえなかったかのように、周囲に向かって大声で言った。
「怪我をなさっている人はいませんか?」
三人の生徒が腕や肩に怪我を負っていた。ソレイユローズはそれぞれの爪先をハイヒールの踵で踏み、「ヒール・デ・ヒール!!」と叫んだ。
やはりソレイユローズは聖魔石を使わずに魔法を使っているように見える。
二千年前に聖魔石が発明され、聖魔石で魔法を使うことに慣れてしまった人類は、聖魔石なくして魔法を使えなくなったのではなかったか。
「おお、治癒魔法が使えるとは、さすがだなソレイユローズ」
ルビーストーン王子がとぼけたことを言っている。
今気づいたけど、この人は私のことが目に入ってないな。
「ルビーストーン王子が魔物を倒されたんですね」
私が声を掛けると、ルビーストーン王子は一部否定した。
「いや、これは魔物ではなく、聖物だな。聖結晶で聖物化したんだろう。さすがにこの大勢の前で聖結晶を取り出して処理するわけにいかないから、あとは学園に任せるかな」
聖結晶を取り出すというのは、この魔物、いや聖物を切り開いて取り出すということだろう。確かに公衆の面前ですることではなさそうだ。
怪我人の治療を終えたソレイユローズが戻って来てルビーストーン王子に頭を下げる。
「怪我人の治療が終わりましたので、私はここで失礼します」
「お、おう。腕っぷしで解決できる仕事なら任せてくれ」
ルビーストーン王子としては、ソレイユローズに色々と語りたい様子だが、ソレイユローズはこの場を離れたいらしい。
「それでは私も失礼します」
ルビーストーン王子に頭を下げ、私もソレイユローズと共にこの場を離れる。
ルビーストーン王子はソレイユローズの様子ばかり目で追っていて、私の方は見ていないようだったが、気づかなかったことにしておこう。
現場から離れ、人通りのない場所まで来たところで、ソレイユローズは盛大に溜息をついた。
「ああ、今回もやってしまいました」
がっくりと肩を落とすソレイユローズに私は言う。
「やってしまいましたって、むしろ、よくやったと思いますけど」
しまった。「貴族ことば」で嫌味を言うべきなのに、素直に褒めてしまった。
「医務室に運ばれれば校医が治療できる怪我だとは分かっていながら、目の前に怪我をなさっている人がいると、思わずやってしまいました」
一刻も早く怪我が治るに越したことはないと思うが。
それよりも、ソレイユローズは聖魔石なしに魔法を使ったのではないか。
「それはそうと、あの魔法は一体」
私の質問を、ソレイユローズは大慌てで遮るように言った。
「はわわわ、言わないでください。あれやるの、とっても恥ずかしいんですから」
恥ずかしいとかじゃなくてだな。
「そうじゃなくて、聖魔石を使わずに魔法を使っていませんでしたこと?」
ソレイユローズはしばらくきょとんとしてから言った。
「あ、ああ、そのことですね。聖女の特性として、所定の動作をして呪文を唱えれば魔法が使えるんです」
いやいや、そっちの方がよっぽど重要だろう。
「呪文だけで魔法って、今の時代にそれはとんでもないことなのでは」
唖然とする私にソレイユローズは言った。
「このイベントを起こすと攻略対象の好感度が上がっちゃうから隠しておきたかったのに、うああ」
ソレイユローズは頭を抱えている。うん、何を言ってるのか分からない。
ソレイユローズが聖魔石なしに治癒魔法が使えることが学園中に広まるのにさほど時間はかからなかった。
悪役令嬢としては、聖女が人気者になるのは歓迎である。
しかし、ソレイユローズと一緒にいて気付いたが、多くの生徒は遠巻きに見ているだけで、積極的にソレイユローズに話しかけようとはしないようだ。
ソレイユローズの人柄のよさを、もっと周りに伝える方法を考えないとな。
2026-03-15 騒ぎ声の読みを修正(さわぎせい→さわぎごえ)、その他細かな修正




