王立魔法学園の教育課程には、魔法学がある。
魔法を学問として体系的に学べる学校は多くない。王立魔法学園は、王立魔法大学附属高校として創立された。魔法における王国最高峰の学術機関である王立魔法大学に附属し、ここで優秀な成績を納めた僅かな者だけが王立魔法大学への入学を許される。内部進学方式というやつだ。進学時の受験の負担はないが、常に一定の内部成績を保たなければならない精神的な重圧がある。
王立魔法学園が附属高校という名称でなくなった理由は、王立魔法大学への入学があまりにも狭き門のため、最終学歴になる者がほとんどだからだ。最終学歴が王立魔法大学附属高校になった貴族の一部が「最終学歴に附属とつくのは嫌だ」と不満を申し立てたため、王立魔法学園に改称されたという。
名誉を重んじる貴族は、いろいろ面倒なのである。
魔法学であるが、授業はまず基礎から始まる。私達生徒は教師の講義に真剣に耳を傾けている。
「今日では誰でも使える魔法ですが、かつて人類は誰でも魔法を使えるわけではありませんでした。魔法は誰の体の中にも存在する聖魔エネルギーを使って行使されますが、聖魔エネルギーを放出して魔法を使うことができるのは、ほんの一部の魔法使いだけだったのです」
ソレイユローズは私の横で真面目にノートを取っている。彼女ほどの勉強熱心ならこのあたりの基礎は熟知しているだろうけど、基礎に対して真摯に向き合う姿は見習いたい。
「およそ二千年前の魔法革命マジッサンスにて、聖魔石の発明が状況を一変させました。誰もが持つ聖魔エネルギー、これを聖魔石に流し込むことで、誰でも魔法を発現することが可能になったのです。生まれ持った素質や長年の厳しい修行が必要だった魔法が、誰でも使える技術になったのです。ただしこれは弊害もありました。聖魔エネルギーを放出して魔法を使うことができる人は、もはや存在しなくなりました。誰もが聖魔石に頼るようになったためです」
便利な道具が発明されて、人類の生活が豊かになって、その代わりに人類の能力が衰えてしまった。皮肉な話だな。
「聖魔エネルギーには、神聖エネルギーと魔力エネルギーという正と負の二種類があることは皆さんご存知でしょう。神聖エネルギーによる魔法を使えば魔力エネルギーが排出され、魔力エネルギーによる魔法を使えば神聖エネルギーが排出されます。皆さんが魔法を使うと疲労を感じるのは、排出されたエネルギーが体内に蓄積されるからです」
魔法が万能ではなく、そして個人の能力に依存する理由がこれだな。
この世界は、神聖エネルギーと魔力エネルギーの循環によって均衡が保たれている。それはこの世界の一員たる私達も同じだ。神聖エネルギーによって魔法を使う者は体内に魔力エネルギーが蓄積し、魔力エネルギーによって魔法を使う者は体内に神聖エネルギーが蓄積する。排出されたエネルギーを体内にどれだけ蓄積できるかは人それぞれだから、それが魔法を使える上限を決めるわけだ。
「体内に蓄積された排出エネルギーは魔法として外に出すことはできません。排泄物とともに体外に出されることになります」
生徒が一斉にノートに「排泄物」と書き込んだ。
魔法使いにとって便秘は命取りである。食物繊維の豊富な野菜は欠かせない。ソレイユローズが食堂のビュッフェでしっかり野菜を食べているのも、それが分かっているからだろう。
便秘によって排出エネルギーの排泄が滞ると、体内で聖素や魔素となり、中毒を起こす。さらに聖素や魔素が結晶化して聖結晶や魔結晶になってしまうと外科手術で取り除かなければ命に関わる事態になる。
魔法使いにとって便秘は命取りなのである。
「魔法革命マジッサンスは人々の生活を豊かにしましたが、誰もが魔法を使えるようになった弊害もあります。環境汚染です。この世界の神聖エネルギーと魔力エネルギーの循環が滞り、偏り、均衡が崩れれば、世界は崩壊してしまいます。世界は便秘で滅ぶのです」
生徒が一斉にノートに「世界は便秘で滅ぶ」と書き込んだ。
神聖エネルギーによる魔法使いと魔力エネルギーによる魔法使いの数はほぼ拮抗しており、均衡が大きく崩れることはない。だが、全体的に均衡が取れていても、局所的に均衡が崩れることはもちろんある。神聖エネルギーが溜まりすぎれば聖素となり、魔力エネルギーが溜まりすぎれば魔素となる。聖素の結晶は生物や死骸を聖物化し、魔素の結晶は生物や死骸を魔物化する。どちらも人類を脅かす厄介な存在だ。ゆえに、世界各国には聖物ハンターや魔物ハンターと呼ばれる者が存在し、聖物や魔物を討伐することを生業としているのだ。
では、局所的ではなく全体的な均衡が崩れたときはどうするのか。
「この世界の神聖エネルギーと魔力エネルギーの均衡が崩れたとき、それを補正する役割を担うのが聖女です。聖女が聖なる儀式を行うことで、この世界の神聖エネルギーと魔力エネルギーの均衡が保たれるのです」
教科書に載るような存在が同じ教室にいるのだから、それはもう教室中にどよめきが起こるというものである。
教室中の視線を一身に集めて、ソレイユローズは頬を赤らめている。
生徒の一人が挙手して質問した。
「先生、聖女はどうやって神聖エネルギーと魔力エネルギーの均衡を保つのですか?」
教師は困った顔をし、少し考えてから答えた。
「聖女が聖なる儀式を行うということは知らされていますが、聖なる儀式の内容は聖女以外には知らされないことになっています」
まあそうだろうな。儀式の内容は私も知らされてないが、王家の血を引く者と結ばれる必要があると知れ渡れば、とんでもない権力争いに発展する恐れがある。王室は混乱必至だろう。王室内での権力争い、それはすなわち命の奪い合いをも意味する。
それにしても、この世界は危ういな。聖女が介在しなければ崩壊してしまうということだと、人類が滅びたあとはどうなるのだろうか。
いや、それは人間を基準に考えているだけだ。この世界が魔素で満たされて魔物だらけになったら、魔物にはさぞかし住みやすい世界になるだろう。逆に言えば、魔物にとっては現在のこの世界は崩壊していると言える。
ソレイユローズを見ると、少し膨れっ面をしている。怒っているようだ。
「どうしまして?」
理由を尋ねると、ソレイユローズは答えた。
「この世界にとって、聖女は便秘薬ですよ。ひどい設定だと思いませんか?」
設定?
言葉の意味はよく分からないが、便秘薬呼ばわりされれば聖女だって怒るだろう。気持ちは分かるが、ここは敢えて「貴族ことば」で嫌味を言っておく。
「よう怒らはるわ、元気なこっちゃ(よくそんなに怒れるね、必死だなお前)」
「はい。ヴィラネッタ様に分かっていただけて、ちょっと気持ちが楽になりました」
いや、肯定されるとは思わなかった。自分で嫌味を言っておいてなんだが、便秘薬呼ばわりされたことのない私は、言われた人がどれくらい必死になるかなんて言えないよな。
☆
魔法学には、もちろん実技もある。
「皆さん魔法はすでに使ったことはあるでしょうし、自分の聖魔特性が神聖エネルギーなのか魔力エネルギーなのかご存知の人もいるでしょう。皆さんの聖魔特性を改めて確認しましょう」
教師はそう言い、生徒一人一人に小さな丸い石を配った。ひとつひとつ手配りだ。魔法の教師なのだから魔法で配ったほうが見栄えがいいのだろうが、魔法が手作業より楽だとは限らないのだ。
配られたのは灰色をした艶のない球状の石だ。大きさは親指と人差指で輪を作ったぐらいで、見た目を裏切らない重さだ。これが聖魔石だということは分かるが、どういう性質の聖魔石なのかは分からない。聖魔石鑑定師なら聖魔石を見ただけでどういう性質なのか分かるのだろうけど。
「皆さんに配った聖魔石は、聖魔エネルギーを吸収しやすく放出しやすいだけの何の機能もない聖魔石です。皆さん、自分の中の聖魔エネルギーを聖魔石に集中してみてください」
聖魔石には、聖魔エネルギーを蓄積したり、増幅したりする物もある。聖魔エネルギーを吸収しやすく放出しやすいだけの聖魔石ということは、聖魔特性を調べるくらいしか使い道のない聖魔石なのだろう。
生徒は、聖魔石を手に握ったり、机の上に置いた聖魔石に手をかざしたりしている。私は右掌に乗せて集中した。ソレイユローズは両掌で挟んで祈るような姿勢だ。
しばらくして、私の右掌の聖魔石に変化が現れた。灰色だった聖魔石が白くなり、ほんのりと白く光っているように見える。
他の生徒を見ると、聖魔石が黒くなり、ほんのりと黒い光、いや黒い影のようなものを発している物もある。
人数的には、白と黒は半々くらいだろうか。
「皆さん結果が出ましたね。白い光を発しているなら神聖エネルギー、黒い光を発しているなら魔力エネルギーということです。聖魔特性は一生変わることのないものですから、覚えておいてください」
聖女のソレイユローズが神聖エネルギーなのは納得だが、悪役令嬢の私も神聖エネルギーなのは意外だな。
「わあ、ヴィラネッタ様、ヴィラネッタ様も神聖エネルギーなんですね」
ソレイユローズが私の聖魔石を見て目をキラキラ輝かせている。この子は何がそんなに嬉しいんだ。興奮気味のソレイユローズを「貴族ことば」で制しておくか。
「賑やかで、よろしおすなあ(うるさいぞお前)」
するとソレイユローズは頬を赤らめて静かになった。授業中にはしゃいでしまったことを恥じているのだろう。
教室のざわつきが落ち着いたところで、教師が念を押すように言う。
「今回配った聖魔石は皆さんに差し上げます。普段は肌に触れないようにしてください。長時間肌に触れたままにしていますと、意図せずに聖魔エネルギーを注ぎ込んでしまい、過労に陥ることがあります。そして、決して勘違いをしてはいけないのは、神聖エネルギーと魔力エネルギーに善悪の概念はないということです。どちらかが優れている劣っているということもありません。数学の正と負に優劣がないのと同じです。くれぐれも勘違いのないように」
なるほど、悪役令嬢だから黒というわけでもないんだな。
「ちなみに王族の方々は魔力エネルギーです。くれぐれも失言のないように。それでは本日の授業はこれまで」