第39話
翌年の春、藍草は見事に育った。
マルガが選んだ畑に、青紫の葉が広がったのだ。
予想より発育が良く、マルガが「驚いた」と目を丸くしている。
リリスが計算で弾いた水量と土壌の条件それにマルガの経験が噛み合った結果がそこにあった。
収穫と染めの作業が始まり、工房には、マルガの他に六名が加わっていた。
かつて染めの仕事をしていた老女たちと、グレーテを含む若い女性たち。
世代が混ざった工房で、染めの技術が伝わり始めた。
最初の布が完成した日、マルガがリリスを呼び出した。
「見てみなさい」
藍色に染まった布が、工房の軒先に吊るされていた。
深く、濃い、静かな青。
空の色に似ていたが、空よりも落ち着いた色だった。
「……綺麗ですね」
「何十年振りかね、この色が戻ってきたのは」
マルガの少し震える声を聞きながらリリスは布を見上げた。
(やった)
言葉にしなかった。する必要がなかった。
次いで水路の工事は、同じ春に完了した。
上流の詰まりを取り除き、分配用の小さな水門を設ける。
水量が回復し、麦の作付け面積が三割増えた。
ゲスナー子爵は、王都の調査の結果、不法行為やその他の余罪について多額の罰金を科されることになった。
水路と山林の権利は正式にアードラー管轄地に戻ってきた。
子爵自身は失脚したわけではないが、表立って動ける立場ではなくなったのだ。
秋には、最初の藍染め布を王都に出した。
反応は、想定より良く、「ローデン藍染め」という名前が、王都の市場でわずかながら広まり始める。
リリスは売上の数字を見ながら、五年計画の進捗を確認していく。
一年目の目標は、七割達成しており、想定より速い。
(ペースは悪くない)
しかし、急がない。
急いで粗くなるより、確実に積み上げる。
これは、リリスの習性だった。
「リリス」
書類から顔を上げると、ルッツが戸口に立っていた。
「フェンとリルが裏に行きたがっている」
「裏庭、ありましたっけ」
「館の裏に広場がある。お前が来てから雑草を刈らせた」
「そうでしたか」
「一緒に来るか」
リリスは書類を閉じると一言だけ返事をする。
「はい」
立ち上がって、ルッツの隣に並び、館の裏に出ると、夕暮れの光が広場に満ちていた。
フェンが先に走り出し、リルが追いかける。
二頭が、夕暮れの中を駆け回った。
ルッツが隣に立って、それを見ていた。
リリスも見ていた。
「一年が経った」
「はい」
「どうだった」
「思っていたより、やりがいがありました」
「苦しくなかったか」
「苦しいこともありましたが、解ける問題でした」
「ゲスナーの告発は」
「……あれは、少し堪えました」
「正直に言えるようになったな」
「ルッツ様が「言え」と言ったので」
ルッツが、少し笑った。
「来年は、どうするつもりだ」
「藍染めの生産量を増やします。水路が安定したので、農業の品目を広げることも考えています。あと、村の子どもたちの教育環境が弱いので、そこも何かできればと思っています」
「子どもの教育まで」
「領地が豊かになっても、次の世代が育たなければ続きません」
「……十年後まで、計画しているか」
「二十年後まで考えています」
ルッツが少しの間、黙った。
「俺も計画を立てた」
「何の計画ですか」
「俺たちの計画だ」
リリスが、ルッツを見た。
「来年、正式に婚礼を挙げる。この領地で」
「……はい」
「その後は、ここを二人で治める。フェンとリルも一緒に」
「はい」
「子どもが生まれたら、ここが故郷になる」
リリスは少しの間、夕暮れの広場を見ていた。
フェンがリルを追いかけて転び、リルがまた逃げる。
「……それは、ルッツ様の二十年計画ですか」
「そうだ」
「私の計画と、重なる部分があります」
「どの部分が」
「ほとんど全部、です」
ルッツが、リリスの方を向いた。
「それでいいか」
「はい」
「後悔しないか」
「しません」
「なぜ」
「ここが、私の居場所だと思っているので」
ルッツが手を伸ばしリリスの手を、握った。
握り返した。
フェンが二人の間に割り込もうとして、ルッツが片手で押し返した。
リルがその隙にリリスの足元に潜り込んだ。
夕暮れの広場で、笑いが起きた。
静かな、温かい笑いだった。
空が赤から紺へと変わり始めていた。
リリスは繋いだ手の温かさを感じながら、思う。
(ここに、来てよかった)




