第38話
ゲスナーが最後の手を打ったのは、裁定が出てから一ヶ月後だった。
今度は武力でも書類でもなかった。
王都に向けて、告発状が出されたのだ。
「アードラー卿の婚約者、リリス・フォン・ローゼンハイムが、元ローゼンハイム伯爵家において不正な帳簿操作に関与していた」という内容だった。
リリスはその情報を手紙で受け取り、一読すると手紙を折った。
「来ましたね」
「どう対処する」
「王都に行きます」
「一人でか」
「一人で十分です。書類が揃っています」
「俺も行く」
「ルッツ様は領地にいた方が」
「俺も行く」
語気が変わっていた。リリスはルッツを見ながら。
「……わかりました」
「出発は明後日でいいか」
「はい」
王都への道中、ルッツが馬車の中で静かに尋ねてきた。
「怒っているか」
「私に対して?」
「ゲスナーに」
「いいえ」
「なぜ」
「想定内だったので。あの人は、できることを全部やる人だとわかっていました。直接的な妨害が失敗したら、側面から来る。側面が塞がれたら、人格攻撃に来る。予測の範囲内です」
「それで怒らないのか」
「感情を使うより、対処を考える方が効率的です」
ルッツが少し黙る。
「……お前は、自分が傷つかないのか」
「傷つきます」
「傷つくのに、怒らないのか」
「怒ったところで、書類は書けません」
ルッツがまた黙る。
「……俺は怒っている」
「知っています」
「お前のために」
「……知っています」
リリスは窓の外を見た。街道沿いの木が、秋の色に染まっていた。
「ありがとうございます」
「礼を言うな」
「でも、ありがとうございます」
ルッツが短く息をついた。
フェンは馬車の揺れにうとうとしていた。
王都では、アードラー公爵が動いていたようで、リリスが到着する前に、公爵が関係する人物に手を回しており、告発状の審査担当者がすでに「証拠の確認が必要」という立場を取っていた。
リリスは審査の場に、持参した裏帳簿の原本と公証人が認証した書類一式を広げた。
「ローゼンハイム伯爵家において私が行ったことは、後妻カトレアの不正を記録し、被害を受けた父の保護を求めることです。帳簿操作は行っていません。証拠はこの通りです」
書類の山が、テーブルを埋める。
審査は三日かかり結果は、告発の棄却だった。
さらに、ゲスナーの告発自体が「虚偽の申告」と判定され、ゲスナー子爵に対して別途の調査が開始される事になった。
帰り道の馬車の中で、ルッツが言った。
「終わったな」
「はい」
「今度こそ、怒っていいぞ」
「……ふふ」
リリスが笑う。
馬車の揺れの中で、小さく、しかし確かに笑った。
「笑うのか」
「「今度こそ怒っていいぞ」というのが、面白かったので」
「面白くて言ったわけではないが」
「わかっています。でも、面白かったです」
ルッツが少しの間、黙ってから口を開く。
「……お前の笑顔を、もっと見たい」
「ルッツ様」
「なんだ」
「今のは、少し恥ずかしいです」
「正直に言った」
「知っています」
フェンが二人の間で大きなあくびをしリルが窓の外を眺めていた。




