第35話
ゲスナーが動いたのは、約束の一ヶ月が近づいた頃だった。
代理人からの手紙ではなく、別の形で。
村人の一人が、東の山で不審な人物を見かけたとの事だった。
馬に乗った男が三人、山の境界付近をうろついていたが、翌日には、その男たちが村の酒場で「もうすぐこの村の山はゲスナー領になる」と話しているのが伝わってきた。
リリスはその報告を聞いて、一拍置いてから。
「風説の流布ですね」
「なんですか、それ」
クラウスが聞き返す。
「根拠のない噂を流して、相手の士気を下げようとする手法です。正式な交渉で勝てないから、側面から揺さぶりをかけてきた」
「では、どうします」
「放置します」
「放置、ですか」
「噂に対して反論するより、実績を作る方が早いです。今月中に、山の帰属に関する王都の正式な裁定を請求します。裁定が出れば、噂は自然に消えます」
クラウスが頷き、ルッツが村の見回りを強化し、フェンとリルが夜間の周回をした。
不審な人物が近づかなくなるのに、三日かかった。
そうしている内にもう一つ、問題が起きた。
水路の上流で、新たな土砂の積み上げが確認されたのだ。
自然の土砂崩れではない。
誰かが意図的に積んだ跡があり、下流の水量が、また少し減った。
「明確な妨害行為ですね」
リリスはルッツに言った。
「俺が行く」
「待ってください」
「妨害を止めなければ、農業が立ち行かない」
「止めることと、正式な証拠を取ることは、別の話です。今、あの場所に行って物理的に排除すれば、ゲスナーは逆に被害者になれます。『アードラーが不当に侵入した』と訴えることができます」
ルッツが少し止まり考える。
「……先に記録を取るか」
「はい。調査員を連れて、公式な記録を作ります。土砂の位置、積み上げられた時期の推定、下流への影響の測定。それを王都に送ります」
「調査員は?」
「公証人が王都にいます。呼べます。費用は領地の予備費から出します」
「いつ呼べる」
「今すぐ手紙を出せば、一週間で来られます」
「……やろう」
「はい」
リリスがその日のうちに手紙を出すと、一週間後、公証人が来てくれた。
手分けをして土砂の記録を取り、書類にまとめその書類を王都に送る。
ゲスナーへの手紙も忘れない。簡潔に、事実だけを。
「当領地との境界付近の水路において、人為的な土砂の積み上げが確認されました。公証人による公式記録を王都の記録局に提出しています。引き続き状況を注視します」
ルッツがその手紙の内容を確認すると。
「脅しには聞こえないが」
「事実だけ書いています。脅しは書いていません。しかし、ゲスナーには十分伝わります。証拠が揃っていると」
「あちらはどう動くと思う」
「王都に手が届くかどうか、確認しにいくと思います。もし届くなら、王都を通じた圧力をかけてくる。届かないなら、直接的な妨害に切り替える」
「直接的な妨害とは」
「村への嫌がらせか、ルッツ様への物理的な圧力です」
「後者は来い」
ルッツが静かに言った。
「迎え討つ」
リリスは一拍置いて、頷く。
「では、準備しましょう」




