第34話
藍草の種を蒔いたのは、着任から六週間後だった。
マルガ老女が選んだ場所は、館の裏手にある小さな畑で、日当たりが良く、水はけが良い。
現在の水量でも、藍草を育てるには十分だとマルガが判断してくれた。
種まきの日、村の女性たちが数人集まった。
マルガが声をかけたわけではない。
噂が広まって、自然に来た人たちだった。
昔、工房で染めの仕事をしていた人。
娘の頃に手伝いをしたことがある人。
ただ見に来ただけの人。
リリスは横で、作業の記録をつけ始める。
蒔く量、畝の間隔、土の状態、今日の気温と湿度。
数字で記録する。
こうすれば、次の季節に、また同じことをする時の参照になる。
「お嬢様は、染色はおやりにならないので?」
種を丁寧に土に埋めながら、村長の娘のグレーテという若い女性が聞いてきた。
「私は数字を扱うのが仕事です。染めの技術はマルガさんの方が遥かに上ですから、私が手を出す意味がありません」
「でも、記録をつけているのですね」
「記録をつけておけば、三年後に何がうまくいって何がうまくいかなかったかを確認できます。記録がなければ、同じ失敗を繰り返します」
「三年後まで、考えているのですか」
「最低でも五年後まで計画を立てています」
グレーテが目を丸くする。
「五年後まで……?」
「五年後にこの村がどうなっていたいか、という目標から逆算して、今何をすべきかを決めます。目標がなければ、今日何をすべきかがわかりません」
グレーテがしばらく黙って、また種を埋め始める。
「……では、五年後のこの村は、どうなっていますか」
「藍染めが村の特産品として王都市場に流通し、安定した収入源になっている。水路問題が解決して農業収量が回復している。若い人が外に出て行かなくて済む仕事が、村にある」
「本当になりますか」
「わかりません。でも、そこを目指して動けば、何もしないよりは確実に近づきます」
グレーテは、小さく笑った。
「お嬢様は、変わった方ですね」
「よく言われます」
マルガが「そこじゃない、もっと深く」と声をかけると、グレーテが慌てて作業に戻って行った。
リリスはノートに数字を書き続けた。
土の匂いが、鼻の奥に広がる。
前世では嗅いだことのない匂いだったが、不思議と嫌いではなかった。




