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第29話



 新しい土地への到着は、曇り空の朝だった。



 馬車が街道を外れて土道に入ると、風景が変わる。


畑は荒れ、家屋の修繕が追いついていない。


道端に積まれた石材が、誰かが作業を途中で放棄した跡を示していた。



 村の中心部、かつて領主館だったらしい建物の前で馬車が止まる。


館は立っていたが、窓ガラスが割れた箇所がいくつかあり、入口の扉の蝶番が一つ外れている。


庭は雑草が伸び放題だ。



 ルッツが先に降りると、フェンとリルが続いて飛び降り、リリスも降りた。



 村人が数人、遠巻きに見ていた。


近づいてこない。


新しい領主がどんな人間かを確かめるような、慎重な目つきだけがこちらを見ている。



(当然だ。前任者に痛い目を見ている)



 リリスは村人たちを正面から見据え、逸らさなかった。



 その中の一人、六十代と見える老人が、少し前に出てきた。



「……新しい領主様方でいらっしゃいますか」



「はい。アードラー家から赴任したルッツ・ヴァン・アードラーと申します。こちらはリリス・フォン・ローゼンハイム」



 ルッツが即答する。簡潔で、飾りがない。



「村の代表の方はいらっしゃいますか。今日中に村の現状をお聞きしたいと思っています」


「……わしが、村長を務めています。カスパーと申します」


「ありがとうございます。カスパー村長、本日の夕方に時間をいただけますか」



 老人が目を細めた。警戒の中に、わずかな安堵が混じったのが見えた。



 話を聞く、追い立てないと伝えると、それだけで、少し空気が変わった。



 リリスは館の中に入った。



 中は予想よりひどい。



 家具は残っているが、長期間の放置でカビと埃が積もっているし書類室に使えそうな部屋は一つあるが、棚が倒れていた。


台所の竈は煤が詰まっていて、そのままでは使えない。



 ルッツが各部屋を確認しながら歩くと、フェンとリルが嬉しそうに周りを走り回っていた。



「作業の優先順位を決めましょう」



 リリスは館の中央に立って宣言した。



「今日中にやること、今週中にやること、今月中にやること。それぞれ分けます」


「俺は何をする」


「今日は村長から話を聞く準備を。村の現状、特に水の問題の詳細が必要です。私は館の棚卸しをします」


「棚卸し?」


「使えるものと使えないものの仕分けです。ゼロから始めるには、今何があるかを知ることが先決です」



 ルッツが一度頷いて、外に出る。



 リリスは残って、ノートを開き。書き始めた。



 現状記録。


使用可能な部屋の数と状態。


修繕が必要な箇所のリスト。


食料の有無と備蓄の状況。


井戸の場所と水の状態。



 一ページが埋まり二ページ目に入る。



 窓の外で、フェンが村の子どもたちに囲まれていた。


子どもたちが恐る恐る手を伸ばすとフェンが尻尾を振っていた。



 リリスはそれを一瞬だけ見て、またノートに向かう。



(始まった)



 胸の中で、静かな高揚があった。



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