第26話
ルッツが不在の間、リリスは止まらなかった。
最初の一ヶ月は、アードラー領全体の財務台帳の精査を終わらせた。
欠番の補完、重複の整理、年度ごとの収支の差異確認。
最終的に提出した報告書は七十ページになった。
アードラー公爵が「これまで気づかなかった」と言った箇所が、十一か所あった。
二ヶ月目に、領地の物流ルートの見直しを提案した。
日本の物流の知識が役に立った。
前世で読んでいたビジネス書の考え方を、この世界の輸送事情に置き換えた。
小さな村々を結ぶ集荷の効率が悪いため、特産品が王都に届く頃には鮮度が落ちていた。
中継地点を二か所設けることで、輸送時間を三割削減できると試算した。
提案書を出すと、長兄ゲオルクが「試してみよう」と言ってくれた。
三ヶ月目から、試験的に新ルートで運用を始めた。
結果は、試算より良く、王都の市場でアードラー領の特産品の評判が上がった。
価格も少し上がったらしい。
それと並行して、フェンとリルの世話を続けた。
毎昼、裏庭でジャーキーを渡す。
フェンは相変わらず要求が強く、リルは相変わらず嫉妬深い。
ルッツがいない裏庭は静かで、時々風の音だけがした。
四ヶ月目に、手紙が届いた。
ルッツからだった。
便箋一枚に、短く書いてあった。
『訓練は順調だ。配属は東の国境線になった。フェンとリルは元気か。報告書を読んだ。物流の件、試算を信じてやってみてよかった。次は何を考えている』
文体が、会話の時と変わらなかった。
飾りがない。しかし確かに、リリスに向けて書かれた手紙だった。
リリスは返事を書いた。
『フェンは太りかけているので、ジャーキーの量を少し減らしました。リルは問題ありません。物流の試算は三ヶ月で効果が出ました。次は、王都との取引条件の交渉を考えています。現在の卸値が市場価格の六割なのは低すぎると思います。根拠の数字は別紙に』
別紙は三枚になった。
五ヶ月目に、イザベラが書類室を再び訪ねてきた。
「あの物流の提案、あなたが出したの?」
「はい」
「クライス領でも似たような問題があって……少し話を聞かせてもらえる?」
「もちろんです」
それから二時間、話した。
帰り際にイザベラが言った。
「……あなたのことが、まだ好きではないけれど」
「わかっています」
「でも、嫌いでもなくなった」
「ありがとうございます」
「礼を言うことかしら」
「前回も同じことを言われた気がします」
イザベラが少し笑った。初めて、笑うのを見た。
六ヶ月目の終わりに、馬車の音がした。
リリスは書類室にいた。フェンが廊下を駆け始め、リルが吠えた。
外から、カールの明るい声がした。
「ルッツが帰った!」
リリスは書類を棚に戻し立ち上がって、廊下に出た。
ちょうど、玄関の扉が開いたところでルッツが入ってくる。
半年前より、少し日焼けし肩の筋肉が増えていた。
眼の光が、さらに鋭くなっている気がする。
その眼が、廊下の奥に立つリリスを見つけ。
一瞬、止まる。
フェンとリルが跳びかかって、ルッツが受け止めた。
そのまま、玄関の床に押し倒され、フェンに顔を舐められながら、ルッツがリリスを見た。
「……待っていたか」
「はい」
「元気か」
「はい。ルッツ様は」
「問題ない」
フェンがさらに体重をかけた。
ルッツが「重い」と言うその光景を見ながら思った。
(帰ってきた)
それだけで、胸の中が温かくなる。
半年前に知った、その感覚。
名前が、少しわかってきた気がした。




