第22話
翌朝、イザベラが書類室の扉を叩いた。
リリスが「どうぞ」と言うと、珍しく一人で入ってきた。女官もなく、付き添いもなく。
イザベラは部屋を見回して、それから言った。
「昨日の話は、本当のこと?」
「台帳の件ですか」
「そう」
「本当です。記録があります」
「見せてもらえる?」
リリスは迷わず棚から報告書を取り出しイザベラに渡した。
イザベラがしばらく、黙って読んだ。
字が細かく、数字が多い。
普通の令嬢なら途中で目が滑る量だ。
しかし、イザベラは最後まで読んだ。
「……すごいわ、これ」
「ありがとうございます」
「嫌みで言っているわけじゃない。本当に……すごいと思っている」
イザベラが報告書を返した。
それから、椅子を引いてリリスの向かいに座った。
正面から向き合う、という姿勢だった。
「あなたに謝らなければいけないことがあるわ」
「……」
「先週から、いくつかの嫌がらせをした。書類の順番を崩したことと、部屋を移らせようとした伝言のこと。それから女官たちへの根回し」
「わかっていました」
「わかっていたの?」
「だいたいは」
イザベラが眉を上げた。それから、苦い顔をした。
「……最悪ね、私」
「感情的な行動だったと思います。でも、理由はわかります」
「理由?」
「ルッツ様のことが、大切なのでしょう」
イザベラが少し沈黙した。それから、静かに言った。
「幼い頃から知っている人だから。ずっと、ああいう人だったから。あなたが来て、ルッツが変わった」
「変わった?」
「話すようになった。裏庭で誰かと過ごすようになった。食事の時に、少し表情が違う。ルッツは変わらない人だと思っていた。それがあなたのせいで……」
イザベラが言葉を切った。
「……ごめんなさい。あなたのせい、というのは正しくないわ。ルッツが自分で変わったのに」
リリスは少しの間、何も言わなかった。
「イザベラ様が、ルッツ様を大切に思っていることは、悪いことではないと思います」
「でも、あなたが婚約するんでしょう?」
「まだ正式には何も」
「でも、そういう方向でしょう?」
リリスは答えなかった。
イザベラが溜息をついた。
「……正直に言うわ。私はあなたが嫌いだった。来た瞬間から。でも、昨日の話を聞いて、あなたがどういう人かが少しわかった気がした。ルッツが変わった理由も」
「どういう人だと」
「嘘をつかない人。数字も、言葉も、誤魔化さない」
リリスは少し驚いた。
「……そう見えましたか」
「そう見える。ルッツが好む人の種類だと思う」
それだけ言って、イザベラは立ち上がった。
「嫌がらせは、しない。約束する。でも、好きにはなれないと思う」
「それで構いません」
「なぜ?」
「好かれることより、信頼されることの方が大事なので。長い目で見れば」
イザベラが、少しだけ目を細めた。
笑ったわけではない。しかし何かが和らいだ。
「……あなたは、本当に変わっているわ」
「よく言われます」
イザベラが扉を開けて、出ていった。
廊下に足音が遠ざかる。
リリスはしばらく扉を見ていた。
(イザベラは、わかっていた。ルッツが変わったことを)
(私は……気づいていたのだろうか。自分が、変えていたということに)
答えは出なかった。




