第11話
翌日から、裏庭は会議室になった。
ルッツが羊皮紙の計算書を持ってきて広げ、リリスが鉛筆を走らせ、フェンとリルが二人の足元で昼寝をするという光景が始まった。
ルッツの課題は「仮想遠征の兵站計画を立てろ」というものだった。
軍事教練の課題で、出発地から目的地まで往復三十日、兵士五十名、という条件が与えられている。
リリスは計算書をひと通り見た。
「計算式は合っています。ただ、変数が少ない」
「変数?」
「天候リスク、地形による移動速度の差、傷病者の発生率、食料の腐敗リスク。これらを定数で扱っているので、計算が実態より楽観的になっている」
「どう修正する」
「まず現実に近い想定で変数を設定する。最悪ケース、平均ケース、最良ケースの三パターンを計算して、平均ケースを基準にしながら最悪ケースに備えるバッファを積む」
「バッファ?」
「余裕分です。予備の食料と医薬品を何パーセント積むか、という話です。企業の在庫管理でも同じ考え方を使います」
ルッツが紙に書き始めた。筆が早い。理解が速いとわかった。
「最悪ケースへのバッファ率は、どう決める」
「過去の遠征データがあれば、そこから実際の誤差率を計算できます。なければ、教官から聞くか、軍の一般マニュアルを参照する。感覚で決めるのが一番危険です」
「なぜ」
「感覚は楽観に引っ張られるからです。特に、計画を立てている人間は成功を前提としているので、リスクを過小評価しやすい」
ルッツが手を止めた。
「……俺が、そうだと言いたいか」
「この計算書がそうだと言いたいです」
一瞬、空気が張った。
ルッツが計算書を見た。それからリリスを見た。
「…………」
「不快でしたか」
「いや」
短い答えだった。
「正しいことを言ってくれた方がいい。俺は曖昧な返事が嫌いだ」
「それは助かります」
「お前も、曖昧な返事をしないな」
「必要なら言います。不要なことは言いません」
ルッツがまた計算書に目を落とした。
羊皮紙の上を鉛筆が走る音だけがしばらく続いた。
リルが寝返りを打って、リリスの足首に頭を押し当てた。ずっしりと重い。
「……経営学というのは、どこで学べる」
「本で学びました。この国の学園には講義がないと思います。もしご入用なら、本を探してみます」
「頼めるか」
「探してみます」
ルッツが書き続けながら、ふと言った。
「お前は、なぜ経営を学んだ」
リリスは少し間を置いた。
「早く自立したかったので」
「実家から?」
「はい」
それ以上の説明はしなかった。ルッツも聞かなかった。
ただ、計算書の上で鉛筆を走らせながら、ルッツが一言だけ言った。
「……入学前から、一人でやっていたのか」
「はい」
「そうか」
それだけだった。
しかし、その一言の重さを、リリスはどうにも無視できなかった。
(なぜそれを、言ったんだろう)
リリスには答えがわからなかった。
ルッツの意図も、自分がなぜ動揺したのかも、よくわからなかった。
ただ、鉛筆を持つ手が一瞬だけ、止まった。




