旅立つとき(1)
ゼアネルヒはいつもどおり泰然と腰掛けている。彼女はまさにこのパムール島のシンボルなのだ。そこにいるだけで島を島たらしめているとエメルキアは思っている。
「そうかの。ようやっと島を出てみる決心がついたかの?」
彼女の説明に鷹揚に応じる。
「はい、行ってみようと思います。そろそろ、自分とも向き合わなければならないかと。いつまでも逃げているばかりでは」
「そっちは別に構わないと思うんだ、俺は。周りがなんと思おうと、つらさの度合いっていうのは本人にしかわからないからさ」
「でも、マサキと一緒なら大丈夫だって思えたから」
心は穏やかだ。
「まあ、一回様子見てみて問題なさそうだったら俺もトンボ返りするつもりだ」
「とんぼ?」
「ここで引っ掛かるのか」
手を繋いでイメージが伝えられる。異様な生き物が頭に浮かんだ。大きな目ばかりが目立つ頭。細長い身体に細い脚。透けるほど薄い翅が極端に大きい。
「気持ち悪いです」
表情が歪んでしまう。
「虫の中でもかなり強い部類なんだけど」
「虫って変身フォームの元ですよね? マサキの強いはなんだか変です」
「いやだから、単なるモチーフなんだってば」
単に彼をからかって遊んでいるだけである。マサキも阿吽の呼吸で応じてくれているだけ。しかし、ティナレルザが不安げにしているので改めた。
「ともあれ、行ってまいります」
はっきりと宣言する。
「そなたはこの男と生きるのを選んだと思っていいんかのう?」
「はい、望まれるかぎりは添い遂げたいと思ってます」
「まるで嫁に来るような言い方が気になるぞ」
マサキがツッコんでいるが笑って誤魔化されている。
「そうか、そなたにも旅立つべきときが来たと思っていいんじゃのう。安心したわ」
「受け入れてくださった御恩は生あるかぎり忘れはいたしません。これからはどうか心安らかに見守っていてくだされば……」
「では、わしももう還ってよいかのう?」
身体がびくりと震える。最初はなにを言われたのか理解できなかった。しかし、ゼアネルヒははっきりと還ると言ったのだ。
「ゼアネルヒ様!」
悲鳴じみた声が出てしまう。
「わしは十分に見てきた。いささか疲れてもおるでのう。許してくれんかのう?」
「そんな……、まだ……」
「なんの話をしている? おい、俺にも教えろ」
突如として変わった空気にマサキも動揺している。
「ゼアネルヒ様が還られたいと申されています。終わりを選ぶと。人間であれば死と同義です」
「なんだって? どこにそんな必要がある? そもそも自分で選ぶようなことじゃない」
「そうでもないのじゃ。我らは定命を持たぬでのう。自ら選ぶのじゃよ、自然の理に還るときをのう」
エメルキアたちにとっては常識でもマサキのような人間にとっては不自然に思えるかもしれない。しかし彼女にしてみれば、自分の生を選べない人間や獣のほうが不自由に思える。死は不本意なのではないかと。
「まだいいじゃないか、今回の騒動を見定めるまで待っても。それくらいは責任持て」
マサキは強く言う。
「無茶を言うなて。世界の行く先に責任など背負わせてくれるな。わしはエメルキアの居場所を守ってやれれば十分だと思っておったのじゃ」
「だが、あんたがいないと島の禁域は……」
「禁域はここの地脈を柱に固定できておる。そなたが生きておるあいだに切れることはない。案ずるなら、そなたがなんとかせよ」
逆に押しつけられている。
「できるもんならしたい。でも、まだいいじゃないか。気が変わるかもしれないし」
「もう、休ませておくれ。わしは疲れた」
「く……」
そう言われると返す言葉もないだろう。マサキもゼアネルヒがどれほどのときを見つづけていたか知っている。想像に絶するほどだ。
「悪いとは思ってる。人間の愚行を傍から眺めてるだけでも頭が痛む。それでも、あんたは……、妖精種の支柱なんだ」
島の様子を見て思ったのだろう。
「代わっておくれ。これからの時代はそなたらのもの。頼めるかの」
「マサキ、どうかゼアネルヒ様の願いを聞いてさしあげてください。それが、わたしにとっても恩返しになるのです」
「わかった」
彼は唇を噛み締めながら言う。
「この騒動を見定めたら俺は島に帰ってくる。この島を必ず守ってみせる。それで、思い残すことはないんだな?」
「嬉しいのう。こんなに嬉しいことはないのじゃ。それを言ってくれる人間が現れる日がやってくるなど思ってもおらなんだ。喜ばしいのう」
「還るだけなんだな。だったら、あんたは気楽に眺めていろ」
少しだが理解してもらえたらしい。彼女たち妖精種は自然の流れの中に還るだけなのだ。不本意な死でなにもかもが途切れるのではない。
「いつか……、いつの日か、わたしより生まれいでてくださいますでしょうか?」
最後のお願いを告げる。
「そんなこともあるかのう。世の理はわしにもわからぬで、あるかものう」
「では、必ずや」
「皆に感謝する。そなたらのお陰でわしの最後は華々しいものであった。悔いなど欠片も残さぬですんだ。善きかな善きかな」
その言葉を最後にゼアネルヒはエメルキアの目の前で光の粒子となりはじめた。
次回『旅立つとき(2)』 「俺も見送ってさしあげないといけないな」




