2.
いつもの通学路を通って学校に付き、友達の早苗と歩美に喫茶店の話をしていた。
早苗が興味津々の目付きで迫ってくる。
「イケメンなの?! 年上のイケメン?!」
私は気圧されながら応える。
「あー、たぶんそうなんじゃないかなーと……」
歩美も楽しそうに微笑んでいた。
「一人で楽しもうってのは良くないわ。
それに、一人きりだと危ないかもしれないのでしょう?
今日は私たちも一緒に行ってあげるわよ」
それ、単に『マスターを見に行きたい』ってだけだよね……。
「わかった、じゃあ早苗たちも帰りに一緒に行こうよ。
でも仕事の邪魔はしないでよね!」
早苗が眉をひそめて告げる。
「それはしないけど、紅茶一杯でどれくらい居ていいのかしら」
歩美も小さく息をついた。
「お小遣いの中じゃ、一杯飲むのが限界ね」
「あはは……無理はしなくてもいいよ。
それにもしかしたら、お願いすれば長居させてくれるかもしれないし」
お客さんが居なければ、たぶん迷惑にはならない……と、思う。
早苗がパチンと手を叩いた。
「決まりね!
じゃあ放課後、一緒にそのお店に行きましょう!」
「はいはい――あ、ほら! 先生来たよ!」
早苗と歩美はあわてて自分の席に戻っていった。
****
女子三人で『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』の扉をくぐる。
歩美がちょっと興奮気味に私に告げる。
「あら、素敵な喫茶店じゃない」
早苗はどこか訝しんでるみたいだ。
「でも、こんなところに喫茶店なんてあったのね。
商店街から離れてる住宅街よ?」
カウンターにはマスターが居て、私たちに笑顔を向けてきた。
「いらっしゃい、伊勢佐木さん。
一緒に居るのは友達かな?」
私も笑顔でマスターに応える。
「はい、そうです!
『心配だから』って、今日は一緒に来てくれました!」
背後の二人が、マスターの顔を見て息を飲んだのがわかった。
「やだ……どこの芸能人?」
「話に聞いていた以上ね……」
マスターがニコリと微笑んで告げる。
「友達は好きな席に座っていて。
伊勢佐木さんは、僕と一緒に奥に来てくれるかな。
店員用の制服に着替えてもらいたいんだ」
「あ、はい! わかりました!
――じゃあ早苗たちは、ここで待ってて」
私はマスターの手招きに応じて、カウンター奥の扉に向かった。
****
「ここがスタッフルームだよ」
マスターに案内されたのは、ソファとテーブル、ロッカーに事務机が置いてある部屋だった。
事務机に上には書類が積み重なっていて、なんだか崩れそうだ。
トイレと流し台、電子レンジに電子ポット、それにいくつかの扉がある。
マスターがロッカーのひとつを指さして告げる。
「そこのロッカーを使って。
中に店員用のシャツとスカート、それにエプロンが入れてあるから。
シャツやスカートは学校制服のままでもいいけど、エプロンだけはしておいてね」
「はい、わかりました……あっちの扉はなんなんですか?」
「あれがストックルームで、あれが従業員用のトイレ。
もう一つは勝手口だよ。
勝手口は施錠してあるから、緊急時以外は使わないで。
――じゃあ僕は、カウンターに戻ってるから」
「はい!」
マスターがスタッフルームから出ていくのを確認してから、ロッカーの扉を開けてみる。
中にはマロンブラウンのスカートとエプロン、白いシャツがかけてあった。
うーん、『制服でもいい』って言われたけど、せっかくだから着替えてみようかな。
私は鞄をロッカーに入れると、スカートのファスナーに手をかけた。
****
スタッフルームから出た私を、早苗と歩美がすぐに見つけてきた。
「わー、ここの制服かわいーじゃん!」
「ほんとだ、朝陽じゃないみたい」
「ちょっと! それはどういう意味?!」
クスクスと笑うマスターが私に近づいてきて胸元のリボンを直してくれた。
「よく似合ってるね。
でも、リボンはもう少し綺麗に結べるよう練習をしておいて」
「あ……はい、すいません」
私は赤くなりながら、謝っていた。
「友達の飲み物ができてるから、それを彼女たちのテーブルに運んでみて。
カップを置くときは、なるだけ静かに、音を立てないようにね」
ええ?! 急にそんな事言われても?!
「わ、わかりました……」
私は渡されたトレイを手に持って、紅茶をこぼさないように慎重に歩いて行った。
テーブルに付くと、歩美がクスクスと笑う。
「そんなにおっかなびっくり運ばなくてもいいんじゃない?」
「だって! こぼしたら怖いじゃない!」
あきれたように早苗が告げる。
「初めての練習なんでしょ? こぼしたら謝ればいいだけよ」
他人事だと思ってー!
私はトレイを片手で支え、慎重に二人の前にカップを置く。
「えーと、で、ではごゆっくりどうぞ?」
「なんで疑問形なのよ……」
早苗のあきれる声が返ってきた。
「しょーがないじゃん! 初めてなんだから!」
歩美がクスクスと笑って告げる。
「はいはい、涙目になってないで、マスターのところに戻ったら?」
私はマスターに振り向いて尋ねる。
「こんな感じでいいんですか?」
マスターはニコニコと微笑んでいた。
「うん、大丈夫。
もっとリラックスできれば、さらに良いけどね」
うう、マスターにまで言われた……。
私はとぼとぼとカウンターに戻り、早苗たちの様子を見守る。
二人は紅茶を口にすると、少し首をかしげていた。
「別に……普通の紅茶よね」
「特にフルーティーではないわね」
え? 昨日と違うの?
マスターに振り向くと、彼はニコリと微笑んだ。
「だから言っただろう?
『メニューの味がわかること』も、大切な条件なんだ。
普通の人には、あれはどこにでもある紅茶の味にしか感じないのさ」
どういう意味だろう……。
それって、私が普通じゃないってこと?
マスターを見つめていると、彼はカウンターの下からケーキを二つ取り出し、トレイの乗せて歩美たちの元へ向かった。
「これは僕からのサービスだ。
どうぞ召し上がれ」
「ほんとですか! やったー!」
喜ぶ二人がケーキにフォークを入れる。
そして一口食べて、やっぱり首をかしげていた。
「なんか、微妙な味だね」
「『とろける』って言ってたけど、普通のスポンジよね……」
私はあわてて二人のテーブルに駆け寄って「ちょっと分けて?!」と言って一口食べてみた。
――とろける甘さ! 昨日と同じ味わいだ!
私が甘さでにやけてると、早苗たちが怪訝な顔で私を見てきた。
「え、この味をそんなに喜ぶの?」
「朝陽って、味覚がおかしい?」
「――そんなことないよ?!」
マスターが私の背後でクスクスと笑っていた。
「この店のメニューはね、『わかる人にしかわからない味』なんだ。
普通の人にも、決して美味しくない訳じゃないんだけどね。
だから、このお店に普通の人はあんまり立ち寄らないのさ」
早苗が困惑するように口を開く。
「そんな料理、あるんですか?
それで経営が成り立つんですか?」
マスターはニコリと微笑んで応える。
「ここは趣味でやってるお店だからね。
利益度外視なんだよ。
この味を求めて来てくれる人にメニューを提供する、そういうお店なんだ」
早苗たちは「へぇ~」と、困惑したままうなずいていた。
****
二時間ほどお客の来ない時間が過ぎると、紅茶を飲み飽きたのか二人が席を立った。
早苗が笑顔で告げる。
「イケメンマスターの顔は見れたし、変な店じゃないっぽいのはわかったよ」
歩美もニコリと微笑んだ。
「これ以上、紅茶一杯でお邪魔するのも悪いし。
そろそろ私たちは帰るわね」
マスターが私に告げる。
「レジの打ち方も教えるから、そばで良く見ていて」
「はい!」
私は初めてレジ打ちを見ながら、早苗たちが清算するのを見届け、二人をお店の外まで見送った。
「それじゃ二人とも! また来週ー!」
「あんたもガンバんなよー!」
手を振ってくれる二人に手を振り返し、私は店内に戻った。