悪魔の血9
「な、何やってるんだ、お前までおかしくなっちゃったのか、やめて」
シロキが恐ろしく青ざめた顔で俺の腕を掴んだ。
「俺の血をカドに飲ませるから」
想像していたのより痛かった。
それでも怖くないのは傷が直ぐに癒えることを知っているから、耐えられるのは怒りの方が強いから、それだけだ。
カドは俺の血を呑もうとしているが、飛び散って上手く全部口に入らない。カドと門を修復するために、どれだけの血が必要なんだろうか。いくら失血しても構わないが、足りなくてカドを救えないことだけは絶対にあってはならない。
カドはだんだん血を受け止めるのが上手くなってきている。もう要領を得たかのか。本体に似ないでいつも冷静なカドらしい。
「厄介なのが、ガジエアでつけた傷が直ぐに治ってしまうことなんだけどな」
シロキにそう笑いかけ、俺は既に塞がりかけている傷の上を更に切りつける。
「そんなに血を失ったらお前まで消えてしまう。そんなの僕は……僕はどうしたら……」
俺も自分が消えた時のことを考えていた。
カドに頼まないといけない。カドが門と融合して俺の血で修復したなら、それは最強の砦になる。
もうガジエアでも破壊されることはないし、何より、カドの意志で操ることができるようになる。
俺が消えたら、永遠に極楽への扉を閉じろ、そして鏡の地獄への扉も二度と開くな。シロキに命令されても無視しろ。強引に開けられそうになったら、もう口をきいてやらないと脅してやれ。
「近づくなよ、お前に当たったら危ない。このままだとカドが苦しみ続けるぞ。俺は消えてもこいつが残るから、お前は一人じゃないだろ、しっかりしろ」
俺を止めるべきか、カドを助けるべきか迷うように腕をこちらに伸ばしているシロキを突き放す。迷ったところで最後にはカドを取るのはわかっている。
「黙って離れとけ」
血が止まりかけては傷をつけることを繰り替えしながら俺は言った。血は最初より飛び散らなくなり、今はぼたぼたと落ちる方が多くなった。カドの呑み方が上手くなったのもあって効率は良くなっているが、いつまで血が持つか心配になってきた。
突然、鏡の門を叩く音がした。炎の地獄の扉だ。
そうだよな、これだけ鏡の空間が歪み、叫んでいるんだ。地獄だって揺れ動いているだろう。アドバンドあたりが心配して様子を見に来たのかも知れない。
「開けるなよ」
自分のものとは思えないほど掠れた声が出た。今、止められでもしたら俺とカドの努力が無駄になってしまう。
「助けて……」
シロキの弱々しく助けを求める声を聞いてざわりとした。
こいつ扉を開ける気だな。
「馬鹿だな」
もう振り返る気力すら無くなっていた。
ただ後ろから足早にこちらに向かってくる悪魔の気配は感じた。
同時に鏡の空間が縮小する。
「お前たち……何やってるんだ」
その声を聞いて、少しほっとしてしまった。俺もまだ、消えたくない。
自分自身でこんな世界の仕組みを終わらせたいと願っていた。
「……シロキさん、どうしたんだ、そんなに泣いて。地獄がひどく揺れているけど、ここの歪みのせいか」
アドバンドが鏡の悪魔の方が良かったのではないだろうか。シロキの肩を抱き、優しい顔で話しかているのを見て思う。
俺がこんな風にしてやれたことはない。
「ナイト、お前何やってるんだ。カドは……これが、カドか? 門と融合したんだな。門も破壊されているみたいだが……お前の血で修復しているのか」
血まみれの俺と、呑みこぼして散らばった血の海の中、人型にうごめいている床を辛そうに見つめながらアドバンドが言った。
説明する必要もないな。それに俺たちに同情した表情はしているが、同時に落ち着き払ってもいる。
かっこいいな、俺も炎の悪魔なら良かった。
「そうなんだ。でもこいつらなかなか修復してくれないんだよな」
心配させないように、なんて配慮をしなくても良い気がした。
俺も甘えさせてもらおう。
俺は今、とても弱々しく映っているんだろうな。
シロキが俺を初めて会ったような顔で見ている。
「大丈夫じゃなさそうだな。お前、それ以上血を失ったら消えてしまうぞ。何でこんなことになったのか知らないが足りないんだろ? それを貸せ」
アドバンドはそう言って優しい目で俺を見ると、ガジエアを奪った。そして、穏やかな表情のままガジエアで自分の腕を深く切る。
「お前、まだ消えたくないんだろう」
眠る前はこうなるのだろうか。そんな薄い意識の中でアドバンドが俺だけに聞こえる声でささやくのを聞いていた。




