鏡の地獄4
鏡の地獄、そこは冬の山と湖の世界だった。
「きれいだ――」
それまではしゃいでいたカドがそう言って急に黙った。僕もさっきから初めてみる鏡の地獄の美しさに五感が忙しく、言葉は一つも発していない。
白い山々と湖は人間の世界でも見たことがある。
冬の期間の移動は夏よりずっと頻度が少ない。ただ同時に雷が僕に貸してくれる熱量が他のどの季節よりも強く、一番好きな時季だった。そこで目にした何処とも違う風景が目の前に広がっている。
ここの景色は明度と彩度が常に変化している。
なのに何故か気持ち悪くない。いや、むしろとても心地良い。
明度は呼吸に合わせて変化し、彩度は鼓動に合わせて変化している。これは僕の景色だ。冷たい空気が、今、ここにいる僕を映している。
ふと、横に立つナイトを見上げた。始まったばかりの一日の冷たい空気の中、白い息を吐く感情のない表情がきれいだ。
こいつの目に、今、景色はどう映っているのだろう。
「鳥が、いるよ」
カドがささやくように言った。その視線の先の湖に、白く首の長い鳥の群れが浮かんでいる。
「俺の地獄は湖が凍らないんだ」
ナイトが湖から目をそらさずに言う。
自分を見ていないことなど気にせず、カドが無邪気な声で返す。
「そうなんだね。ここの鳥は、この間、雷の中で見た鳥と似ているけど、どこか違うね。なんだか……何処にも飛んで行かなさそうだ」
カドの言う通り、ここの鳥たちは向かう先もなく寂しそうで、雷鳴の中、地上に堕ちて行った鳥とは全然違う。飛んで行かないというより飛んで行けなさそうだ。でも今、僕が一番気になるのは――
「何で地獄に植物以外の生物がいるんだ?」
ナイトが無言で僕を見た。数秒の沈黙。こいつとこんなにしっかり目を合わせるのは久しぶりだ。
氷のように透き通って光る目がきれいだ。
「あれは生きていないから」
何の感情もなかった目の氷が解けて、はっとする。
突然カドがナイトの前に立ち、顔に手を伸ばすと、頬の涙に触れた。僕は自分の見ているものが幻想のような気がして、ただその様子を眺める。
鏡のように心を映して色彩を変える湖。すぐそばにある僕に似た二つの顔。泣いている美しい悪魔。何故だか全部、本当のことに思えない。目の前にあるのに懐かしく、全く他人の記憶のようにも感じる。
ナイトが一粒だけ流した涙を黙って指で受け止めたカドは、その後、何事もなかったように、新雪の中を湖のほとりに向かって走って行った。
カドは僕よりずっと勘が良い。あの時、既に気がついていたはずだ。ナイトの悲しみも優しさも、苦しみも。僕だけが何も知らなかった。極楽は僕とカドを入れ違えてしまったのではないだろうか。
僕じゃ神様は無理だ――。




