魔法の無い町②
結局、カリキラさんへの報酬は売上の五パーセントということになりました。日没までお付き合いいただくことにして、私達はカリキラさんに導かれて彼女の事務所へやってきました。
「さあどうぞ。狭いですが」
カリキラさんの言葉に偽りはなく、案内されたのは手狭な空間でした。
部屋の中には長テーブルが一つとそれを挟む同じ長さのソファが二つ。部屋の壁は棚で埋まっていますが、奥の部屋に繋がってると覚しきドアのあるところだけは切り出されたように棚がありませんでした。
「ソファはこっちのに座ってくださいねー」
そう言ってカリキラさんは奥のソファを指しました。
「はい。失礼します」
ピアがソファの真ん中に座るとカリキラさんは
「あ、私も座るので詰めてもらっていいですか?」
とピアに寄ってもらい、その隣に座りました。
“え?こっちに座るんですか?”
「ご自分の椅子は無いんですか?」
「このソファが私の椅子兼ベッドです」
「そうですか…」
ベッドで寝ないと体を壊しますよ。余計なお世話でしょうが。
「あっちのソファはお客さん用なので」
そして反対側のソファに目をやりながらそうおっしゃいます。
お客さんとはつまり、ピアにとってのお客さんという意味でしょう。
「待ってる間何します?」
ぴったりと肩を寄せながら問いかけるカリキラさん。困惑するピア。
「えっと…」
ここで何ができるか、それは私よりもピアよりも、彼女の方が詳しいはずです。
「何かこの町でおすすめの食べ物などがあればそのお話を聞きたいですね」
「食べ物ですか…そうですねー…。色々ありますよ。隣町の名物とか、そのさらに隣町の名物とか、海外の名物も運がよければ売ってます」
「えっと…ここの名物は…?」
ないですねーと答えるカリキラさん。話をまとめると、他所の名物がここの名物、ということでしょうか。
まあ、他所で買い忘れたお土産を買って帰るのには重宝しそうですが。
“ここにある名物を参考に次の行き先を決めてもいいでしょう”
「なるほど。確かにそうですね」
「ん?サラさんですか?」
怪訝な顔をせずにピアに尋ねるカリキラさん。なかなか順応が早いです。
なんてことに感心していると事務所のドアを開く者が現れました。
「いらっしゃいませー」
お客さんは初老の男性でした。記念すべき初めてのお客さんですが、記念する間もなく交渉が始まります。
「重いものを運ぶ魔法が欲しいんだが」
「では浮遊魔法がいいですね。どういったものを持ち上げるんですか?」
「色々だな。畑の肥料や冬服の入った箱など」
「割れ物を持ち上げる可能性もありますか?」
「うむ」
では姿勢保持の浮遊魔法ですね。とピアは提供する魔法を決めました。
「空スクロールはありますか?なければ銅貨一枚で付けますが」
ここでカリキラさんの発言。空スクロールとはまだ術式を刻み込んでいない状態のスクロールのことで、魔法を売る人間にとっての必需品です。
これまで魔法を売るときは料金は取らずにサービスしていましたが、さすが商売人は抜け目ありませんね。
「空スクロールはこちらで用意してあるのでこれに頼む」
しかし対するおじさんも抜け目ありませんでした。言いながら彼は麻ひもでまとめられた空スクロールをテーブルの上にどさりと落とします。
「ずいぶんたくさんですね…。これ全部にですか?」
「うむ。丁度百枚だ。使い捨てで頼む」
「百枚…」
ピアは絶句しました。百枚ものスクロールに魔法を込めるのが大変だからではありません。むしろ、魔法の複製を習得していれば同じ魔法を延々とスクロールに籠め続けるのは存外楽な仕事です。
言うまでもなくピアはこの技術を習得しているので、絶句したのは別の理由、彼の買い物の下手さです。
「えっと…使い捨てだとしても百回くらいなら魔力は付与できますので、一つにまとめた方がお得ですよ?」
スクロールにおける「使い捨て」とは既に魔力を付与されている状態のことを意味し、魔力操作ができない人向けのものです。魔力操作は一般に女性の方が長けており、男性は使い捨てのスクロールをよく買う傾向にあります。
もちろん一流の男性魔術師もいますし、魔力を全く操れない女性もいますが、「剣士は男の仕事、魔術師は女の仕事」という認識が一般的だった時代もありました。
そしてひとつのスクロールが保持できる魔力の量にも限界はあるので、魔力消費が大きい爆破や、長時間発動し続ける監視などのスクロールは一度使うと魔力切れで再び発動できなくなるので、文字通り使い捨てということになります。
「いや、一つにまとめるとどこかに置き忘れるかもしれんだろ。最近歳でな。よくやるんだよ」
「一日経てば定位置に戻る魔法を付けましょうか?」
「そうすると少し値が張るんじゃないか?」
「そうですよー。目標を指定した浮遊魔法ってことになるので、目標を検知する魔法とそこに向かうまでのルートを決める魔法が必要です。銀貨二枚くらいにはなりますね」
と、カリキラさんから魔法の見積もりがありましたが、私達の金銭感覚でいえば高めの値段設定です。
「確かにカリキラさんの言うような魔法の作り方もありますけど、今回はもっと簡単にできますよ」
言ってピアはマジックツリーを展開しながらそれとは別に紙切れを一枚取り出し、二つに破りました。途中で斜めに裂けてしまい不格好になりますが、気にせず小さい方をつまみ上げ、もう片方をテーブルの上に載せます。
「では、今からこの紙に修復魔法を掛けます」
そう言って指の間の紙片に向けて魔法を発動すると、テーブルの上紙が糸で吊られたように持ち上がり、しばらく宙を漂ってから元通りにくっつきました。
おお、と唸るカリキラさんとおじさん。
「スクロールに紙を付けておけば、同じ現象を利用して使い終わったスクロールを所定の位置に戻すことができます」
「これだと安く済むのか?」
「はい。ただの修復魔法なので、銅貨三枚くらいですね」
異議あり!とカリキラさんが挙手されました。
「確かに普通の修復魔法ならそうでしょう。でも、修復魔法って難易度が上がるほど魔力の消費は増えますよね?」
然りと頷くピア。それを受けてカリキラさんの弁は勢いを増します。
「どこかに置き忘れたということは近くにはないということでしょうし、普通の修復魔法より難易度は上がりますよね?三倍に少し色を付けて、銀貨一枚がいいでしょう」
どうしてここで堂々と色を付けるなんて言ったのかは分かりませんが、当然おじさんは反論します。
「いや、何で勝手に色付けてるんだ。それに、本当に三倍もかかるのか?」
「かかりますよ。ねえ?」
「えっと、魔力の量としてはそれくらいの差になるかもしれませんけど、術式は同じなので三倍はさすがに取り過ぎだと思います」
ピアは普段魔法を売るとき、その術式に対する値段を請求しており、こめる魔力の量は基本的に気にしていませんでした。魔術師にとって魔力とはじっとしていても勝手に湧いてきたり、周囲から集めてこれるものです。故に発動に必要な分の魔力をこめるのはサービスというか魔術師としてのマナーみたいなものなのです。
「ほらみたことか」
「それでも銅貨三枚は安すぎです」
「えっと…それでは銅貨五枚でどうでしょうか」
“なんでピアが仲裁する側になってるんですか”
「ふむ…それくらいなら」
「そうですね。いいでしょう」
それは本来カリキラさんの役割だったはずですが、当の彼女は意気揚々と値段を吊り上げにかかってました。
「えーっと、それじゃあ話をまとめますね。修復魔法による置き忘れ防止機能の付いた浮遊魔法のスクロール、これが一つ当たり銅貨七枚ですね?」
修復魔法がさっき交渉した通り銅貨五枚。本体の浮遊魔法自体は銅貨一枚ですが、百回分の魔力を込めるので銅貨一枚増えて合計銅貨七枚。間違いありません。
ピアは首肯しました。
ちなみに本体よりも追加機能の方が値段が張るというのはおかしな話なようで実はよくある話なので、これには特にツッコみません。
「で、それを百セットでしたね。では合計で…」
「いやちょっと待って下さい」
しかしこれにはストップをかけます。
「どうしました?ピアさん」
「百回分の魔力を込めて一枚のスクロールにするっていう話でしたよね」
そうです。それだと置き忘れが心配だからということで修復魔法を付けたというのに。まさかここまでのお話をカリキラさんは聞いていなかったのでしょうか。
「あ、はい。百回分のスクロールを百枚ですよね」
いえ、どうやら聞いていたようです。聞いた上でこのような提案をなさっていたようです。
「ああ。スクロールは百枚あるんだからな」
そしてなぜかこれにはツッコミを入れないおじさん。さっきのカリキラさんの値上げには猛反発したというのに。
”いいんですか?金貨七枚ですよ?”
そして浮遊魔法一万回分です。重いものなんて毎日運ぶものでもないでしょうし、彼の残りの人生で使い切る自信でもあるんでしょうか。
「そうです。金貨七枚にもなるんですよ」
「んん…まあ確かに決して小さくない出費だな…」
顎を抑え小首を傾げるおじさん。大きな出費になるほど感覚が麻痺するタイプなのでしょうか。
「よし。それじゃあ五十セットにしてくれ」
「え?だから…何故です?」
金貨三枚と銀貨五枚。そこがおじさんの払えるラインだったのでしょうか。
しかしスクロール一枚で十分だと主張しているピアからすればまだ多すぎます。
「大丈夫ですよピアティカさん。五十セット売っちゃってください」
そして相変わらずおじさんのおかしな買い方を諌めず取引を成立させようとするカリキラさん。こういうのを阻止して健全な取引をするためにいるはずなのに、一体何してるんでしょうか。
とはいえ、私だったら最初の金貨七枚で売りつけていましたけどね。ピアは良識がありすぎる子なので躊躇してるみたいです。
“ピア。売ってあげてはどうですか?”
「え、でも…」
“ピアにとっての良い魔法が、必ずしもお客さんが求めているものとは限りませんよ”
相手が欲しがっていて、こちらが提供できるのであれば、売ってあげるべきでしょう。
「…そうですね。分かりました。五十セットということは、つまり魔法五千回ということですよね」
「ああ、そうだな」
「でしたら一つのスクロールに五百回分の魔力を込めます。これくらいなら無料で対応できる範囲なので。そうすればスクロールは十枚で済むので、それでいいですね?」
もちろんおじさんはそれなら同じ回数で五十セットにしてくれだのとおっしゃいましたが、スクロールがもったいないというピアの言い分を突破することはできず、銀貨七枚で取り引きが成立しました。
「はい。銀貨七枚ですね。確かに。ありがとうございましたー」
おじさんから銀貨を受け取り明細書を渡すカリキラさん。ピアとの契約の清算は最後にまとめてするのでしょう。一応、今回の売り上げが銀貨七枚であることは覚えておきます。
さて、店を去ったおじさんの代わりに今度は暇な時間が訪れます。
「またしばらく暇ですね。紅茶でも飲みますか?一杯で銅貨二枚です」
“お金取るんですね。しかもちょっと高い”
喫茶店でもないというのに。
「良い茶葉を使ってらっしゃるんでしょう」
「はい。私のお気に入りの茶葉です」
ではカリキラさんのお気に入りを信じるとしますか。
「よかったらクッキーもどうですか?」
「あ、いただき…」
「銅貨二枚で」
「…いただきます」
そうして次のお客さんを待ちながら少し優雅で割高なティータイムが始まりました。