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湖畔の邸宅⑤

「では目標を下げて育てるためだけの生け簀を作ってはどうですか?」

「生け簀の中の卵は全て孵化させるということですの?」

「その通りです」


繁殖に成功さえすれば後は収穫し放題ですから、しばらくの我慢ということですね。しかしシェトリーさんの反応は芳しくありません。まさかそれすらもう試していて、うまくいかなかったというのでしょうか。


「ピアティカさん。掟についてはお話しましたわよね」

「はい」


お話しどころかみっちり叩き込まれましたとも。


「それにチョウザメの命は無駄なく全て享受しなければならない、という文言がありましたわよね?」

「ありましたね。それが何か問題なんですか?」

「…孵化できなかった卵があった場合、掟に反することになるかもしれないのです」


何をもって無駄とするかといったところですが、確かに孵化に失敗すればその卵は食べられることはないので、消費されなかったという意味では無駄になったともいえるのかもしれません。


「そこはチョウザメの将来のためということで何とかならないですか?」

「…今のところは何とも言えませんわね。ただ、掟自体はそう簡単に書き変えることはできませんわ。できるとすれば、解釈の仕方を変えることですわ」

”まあ、初代から続いてる掟ならそんなものでしょうね”


簡単に変えられるならそもそも掟として現在まで残らないでしょうし。


”でも、生け簀を作るにしても他の対策を打つにしても、まずはこの湖のどこにチョウザメがいるか把握する必要がありますよね”

「そうですね。では取り敢えずの方針として、チョウザメの居場所が分かるような魔法を作るというのはどうでしょうか?」

「確かに、チョウザメがどこにいるか分かっていないのもあって、チョウザメの生態についてはあまり理解が進んでいませんわ。しかし、魔法で簡単に見つかるとは思いませんわ。そんなことができるなら先代もやっていたことでしょうし」

”果たして本当にそうでしょうかね”


先代までは漁をすれば普通にチョウザメが掛かったのですから、生態なんて二の次で味を良くすることしか考えてなかったんじゃないでしょうか。


「安心してくださいシェトリーさん。理想と現実の間に立ちはだかる困難を飛び越える力、それが魔力です」

「…そうでしたわね。申し訳ありません。ピアティカさんの実力を疑うつもりはなかったのですが」

「お気になさらず。これまでうまくいってこなかった困難を、いきなり現れた魔術師が解決して見せると言ってるんですから、疑うのは当然です」


私に言わせれば、無理だと思うならさっさと手付金だけでも支払って帰して欲しいものですが、もちろんピアはそんなセコいことは考えていません。今は自分が提案した魔法をどう実現するかということしか考えていないでしょう。

とにもかくにもこれでやることが決まりました。そしてピアは早速作業を始めるべく、掌から樹状の魔力の流れを作り出し、しばらくそれをじっと見つめます。


「それは何をしていますの?」

「これは私の魔術のノートで、学校で魔法を学んだ者はみんなこれを使ってます。本人以外が見てもただの枝分かれした魔力にしか見えないんですが、この枝の先一つ一つが魔術の術式なんです」


ピアはその術式の中から今回の依頼に適したものを探していたのです。


「落とし物発見魔法がよさそうですね」

「チョウザメを落とし物として捉えるということですの?」

「その通りです。ですが、もちろん今のままでは役に立つ使い方をするのは難しそうです」


ピアは枝の一端に触れ、そこから一つの魔法陣を引き抜いてきました。それを大きく拡大しながらピアは話します。


「落とし物発見魔法には事前の準備が必要です」


そう言ってピアは魔法陣の一部を指さしますが、その部分が魔法においてどのような役割を果たしているかなど、シェトリーさんにも私にも分かりません。


「何をすればいいんですの?」

「登録です。まず最初にこの魔法に対象を記憶させる必要があります」

「ですがそれだと…」

「はい。一度手に入れたものしか発見することはできません」


落とし物なのですから当然のことですが、それでは意味がありません。一度捕えたナイトをもう一度放って観察するなら有効ですが、今はその一度目の捕獲をするための魔法が必要なので。


「ただこの魔法、実はかなり高精度な判別機能が付いているんです。例えば自分のペンを記憶した場合、別の人の同じ形のペンと区別がつくほど厳密に観察、判別されるんです」

「それはすごいですが、それくらいでないと落とし物を見つけるだなんてできませんわよね」


特に学校だとみんな大体同じペンを使ってますからね。魔法を発動した瞬間にあちこちから発見されることでしょう。


”ということは、その高度な判別とやらをしなければ”

「そうです。この判定の精度をわざと落とすように調整して、一匹のナイトを記憶すれば他の全てのナイトを発見できるようにもできるはずです」

「なるほど…!それなら確かにナイトの居場所を簡単に何度でも把握できますわね」

「はい。もちろん精度を落とす度合いの調整に少し時間がかかると思いますが」


それを誤るとナイト以外のチョウザメも対象になったり、下手をすれば魚という大きなくくりで判別されてしまいかねないでしょうしね。今回の仕事の難関はそのあたりになりそうです。


「こんなことなら昔魚群探知のスクロールを売りつけられた時、素直に買っておけばよかったです」

”そんなこともありましたね”


あの頃は旅を始めたばかりで節約志向だったのと、魚群探知なんてこの先絶対使わないと確信してましたからね。本当に旅というのは何があるか分かりません。しかし裏を返せば既に特定の種類の魚を発見するための魔法はこの世に存在しているということ。ピアが今やろうとしていることが不可能でないことの証拠です。

ピアはしばらく集中して魔法の改造作業にあたりました。その間も馬車は順調に走り続け、結局ピアの作業は終わらないうちに馬車は動きを止め、じいやによって扉が開かれました。


「到着しました。…それは何をなさっているのでしょうか」


興味ではなく訝しみから出たであろうじいやの言葉が指すのはもちろんピアが今まさに没頭している作業のことです。術式の編集は魔術のノート同様、第三者が横から見ても何をしているかさっぱりわかりません。それは魔法の専門家たる魔術師でも同じです。

ただし例外的な魔術の才を持つ者はその限りではないらしく、見ただけで魔術の構造を完璧に理解できるような天才も過去にはいたようです。もっとも、数百年前の話らしい伝説の類なので、多少の脚色は入っているでしょうが。


「チョウザメを探し出す魔法を作っているところですが、続きはまた後でにします。……。ここがシェトリーさんのお屋敷ですか?」

「ええ。改めてようこそですわ」


その屋敷には門も柵もなかったので今私たちがいるのが庭なのか、それともただの屋敷の前の道なのか分かりませんでした。しかしそもそもこの島はベルアイランド家のものなので、どこもかしこもベルアイランド家の庭なのかもしれません。


「中にお入りくださいまし。まずはお客様にお茶をお出ししなければ」


そう言ってシェトリーさんは先に馬車を降り、ピアが降りるために手を貸してから屋敷へと歩を進めました。それをどこかから見ていたのか、あるいは馬車の音で気づいたのか、屋敷の扉は私たちが着くよりも先に開かれ、中から三名のメイドさんたちが現れました。


「お帰りなさいませお嬢様」

「ただいま帰りました。こちらは客人のピアティカさんですわ。お茶をお出ししてくださる?」

「かしこまりました」


二名が踵を返して早足で屋敷の奥へと消えていき、残った一名と共に私たちはゆっくり応接間に通されました。

応接間では先ほどのメイドさん二名がお茶の準備をすっかり終えて待っており、部屋の中は紅茶の甘酸っぱい匂いで満たされていました。

ピアが席に着くとカップに紅茶が注がれ、紅茶よりさらに甘い香りのお茶菓子も出てきます。


「あら、普通のお茶菓子だけですのね」


と、お茶菓子を見たシェトリーさんが言いました。

テーブルの上のお菓子はクッキーやフィナンシェ、タルトなどで、確かに彼女の言う通り奇抜なものはありません。初訪問の来客に対してはこれがごく普通なのではないでしょうか。


「キャビアもお出ししてくださる?」

「かしこまりました。すぐにお持ちします」

「え?いいんですか?」

「もちろん。これからピアティカさんにはそのキャビアのために働いてもらうのですから。まずは味を知っていただかないといけません」

「ありがたくいただきます」


しばらくして戻ってきたメイドさんは仰々しい銀色のワゴンに小瓶と木製のスプーン二本だけをを載せて戻ってきました。瓶の中身はキャビアに違いありません。

ありがとう、と声を掛けながらシェトリーさんは瓶を受け取り、ゆっくりと蓋を開けます。それからスプーンに一掬いずつキャビアを取ると、空気による劣化を避けるためでしょうか、間髪入れず瓶には蓋が被せられ、密閉されました。

瓶のふたが開けられてから今に至るまで、紅茶の匂いにかき消されてかキャビアの香りというものは感じられませんでした。しかし確かな存在感。私は納得しました。これが、本物のキャビア。

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