湖畔の邸宅③
”とはいえ、品質が落ちているというのは穏やかな情報ではないですね”
「そうですね。キャビアの質について、もう少し詳しく聞かせていただいてもいいですか?」
ん、と少し迷うような素振りで小首を傾げるシェトリーさんでした。すこしかがんでピアを凝視しながら何かについて思索しているようです。
やがてゆっくりと姿勢を元に戻して、口を開きました。
「あなた、旅の何とおっしゃっていましたか?」
”おや、質問に質問で返されてしまいましたね”
「旅の魔術師です。ピアティカと申します」
しかしピアはしっかりとお答えします。
「ピアティカさん。…魔術師というのは、あの?」
あの、と言われてもどのことを言ってるのかよく分かりませんが、ピアはあるものを取り出しました。
「一般的に魔術師というと国家資格のことと思いますが、私はその魔術師です」
「なんと…」
ピアが出したのは魔術師の証明である会員証です。これはシェトリーさんのブローチ同様劣化しにくく偽造が困難な金が縁に使われており、さらに仕掛けがあります。
「あれ?これ、黒く光ってますわ!どういうことですの?黒いのに…光って…」
「これは私の魔力の色です。魔術学会の会員証は持ち主の魔力に反応し、その色に光るんです」
黒い光というのは奇異なものですが、これは魔術学会の会員証だからではなく、ピアの魔力の色が黒であるためです。これにより会員証を盗んで不正に魔術師の特権を受けることを防げます。
「なるほど、つまりピアティカさんは本物の魔術師ということですわよね。それもこの町の外から来た」
「はい。おっしゃるとおりです」
そのピアからの返事を聞いてシェトリーさんの中で何かが決まったようです。彼女はピアをまっすぐ見つめて言いました。
「依頼があるのですが、引き受けてくださいますか?」
「えっと、それは依頼次第ですね…」
「依頼とは相談を受けてからが依頼ですわ」
「はい…?」
「つまり、依頼の詳細を聞くということは引き受けて下さるということでよろしいですわね?」
「いえ全然よくないです」
何を言ってるんでしょうかこのお嬢様は。あまり世間知らずには見えませんでしたが、しかし考えてみれば世間知らずじゃないからといって非常識でないとは限りません。
あるいは、これが彼女の交渉術なのかもしれませんが。
「強引な話であることは承知の上ですわ。ですが、依頼の内容は当家の秘密に深くかかわりますの」
そんなものをさっき会ったばかりの私達に話そうとしないで欲しいものです。いくら本物の魔術師だとしても無用心です。
「当家の秘密は部外者には決して明かしてはいけませんが、過去に顧問として当家以外の者がその秘密に関わったことはあります。よって、ピアティカさんにも顧問になってもらえばお話しできますわ」
「ええと…」
”つまり、依頼を引き受ける人にしか詳細を話せないというのがシェトリーさんのおうちのルールだということです”
「なるほど」
私からの補足でピアはようやくシェトリーさんの言ってることの理解に至りましたが、しかしもちろん納得したわけではありません。
「というわけで引き受けて下さるかどうか、今ここで決めてくださいまし」
「えぇ…」
ピアは迷っていました。当然です。あまりにも判断材料が少なすぎるのですから。
「引き受けていただければ手付金として最高級のナイトキャビア一瓶を進呈いたしますわ」
「やります」
ピアはもう、迷っていませんでした。
******
それから私達はシェトリーさんに導かれて湖の船着き場まで行きました。屋敷のあるベルアイランドまでは舟で行き来しているらしく、執事さんが舟と共に待っているとのことです。
「いました。あそこですわ」
シェトリーさんの指さす先で灰色の髪の初老の男性が身に着けているスーツと同じくらいピシッと立っていました。彼は主人の姿を捉えるなりその場でお辞儀をし、歩み寄ります。その視線は軽く周囲を伺うように揺らした後、まっすぐピアに注がれました。縄張りを侵された番犬のような視線です。
「じいや、戻りましたわ」
「ご苦労様でございました。…して、そちらの方は?」
「顧問の魔術師ですわ」
「顧問…?」
じいやと呼ばれた方は呆気にとられた様子でした。
その脇を悠々とすり抜けてシェトリーさんは舟に乗り込み、ピアを手招きします。
「さ、ピアティカさんもこちらへ」
「いやお待ちを」
促されるままに乗船しようとしたピアの前にじいやが立ちはだかりました。
「部外者のベルアイランドへの侵入は禁じられています」
「ありがとうじいや。その説明は先ほどわたくしからしましたわ」
そのことは彼自身予想していたのでしょう、その言葉を聞いてからはそれ以上食い下がることなくピアに背を向け、シェトリーさんへ向き直りました。
「お嬢様。一体どういうおつもりですか?掟をお忘れですか?」
「まず断っておきますが、彼女は部外者ではありません。わたくしの顧問魔術師ですわ」
ベルアイランド家というものがどういう組織かは分かりませんが、ここでこのじいやを説得できなければピアの顧問としての未来は断たれたも同然でしょう。
”ピア。あまり下手なことを言ってかえって事態を拗らせたくはありませんが、しかし何も言わないわけにもいきそうにありません”
既にシェトリーさんとじいやとの間で拗れ始めています。下手に水を差してはかえって水掛け論を助長するでしょうが、それが適切であれば瞬時にクールダウンできるでしょう。さながら料理中の差し水のように。
”まず問題の所在を明らかにしましょう”
「はい。…じいやさん。少しよろしいでしょうか」
ピアに呼びかけられたじいやは振り返り、じっとピアを見つめました。それから何を言うでもなかったのでピアは続けました。
「はじめまして。私はピアティカと申します。この通り本物の魔術師です」
ピアは会員証をシェトリーさんの時と同様じいやに見せました。
「シェトリーさんは依頼の報酬としてキャビアを約束してくださいました。私の目的はそれだけですし、シェトリーさんとの出会い自体も全く予期せぬものです」
「あなた様が信頼に足るかどうかよりも、今は掟が問題です。お嬢様は勘違いなさっているようですが、当主が認めれば誰でも顧問になれるというわけではありません」
「え!?そうなんですの?」
”なぜあなたが知らないんですか”
政治家よりも弁護士の方が法律に詳しい、みたいなものでしょうか。
”しかしということは、顧問になるための正規の方法は存在するということですね?”
「では、きちんと手順を踏めば顧問になれるということですよね?」
「その通りです。…ただ、簡単ではありませんよ?」
ここが入り口ということですね。今まで突き進もうとしていたのは裏口だったようです。
「身分は今しがた明かしていただけたので、第一関門は突破です。続いて試験を受けてもらいます」
「分かりました」
”ちょっと待ってもらってください”
「やっぱりちょっと待って下さい」
ピアはどうしたんですかと首を傾げながら私を覗き込みます。私にはピアに課せられる試験がかなりの難関になると思ったのですが、当のピアは何だか余裕そうです。
”ピア。出される試験は多分キャビアに関する内容と思われますが、大丈夫なんですか?”
「え?あ、魔法じゃない…それはまずいですね…」
”ですよね”
どうやらピアは「試験」という言葉から反射的にこれまで自分が受けてきた試験、魔法の試験を思い浮かべてしまっていたようです。確かにそれであれば魔術師のピアが落とすはずはありませんが、試験問題を作るにはその分野の知識に明るくなければなりません。彼が魔法について出題することはまずないでしょう。
「あの、試験っていうとやっぱり、キャビアに関することですか?」
「いえ、主にベルアイランド家の掟についての試験です」
なおさらピンチです。キャビアのことであればピアの知識でも多少は太刀打ちできるかもしれません。少なくとも0点はあり得ないでしょう。ですが、ベルアイランド家のことなんて存在自体今初めて知りました。0点も十分あり得ます。
「試験勉強のために時間をいただきたいのですが」
「いいでしょう。問題を作るのに時間が掛かります。その時間を試験勉強に活用すればいいでしょう」
「お待ちなさい!」
準備期間があることに胸を撫で下ろしていると、突然シェトリーさんが船べりに片足をついた勇ましい格好で身を乗り出しました。
「じいや!ピアティカさんは魔術師ですのよ。経営の顧問に出すのと同じ問題を出して資質が問えるとは思いませんわ!」
「分かっています。ですが当家の掟、しきたりは島に招くために知っておかなければなりません。出題範囲はそこだけです」
「本当にそれだけですわね?」
「本当です」
「出題範囲はベルアイランド家の掟、しきたりのみですわよ?」
なおも念を押すシェトリーさん。彼女のことが頼もしく思えてきました。
「先ほどそう申しました」
「問題用紙はわたくしも確認しますわよ?」
「…いいでしょう」
”今変な間がありましたよ”
このじいや、放っておいたら法外な難易度の問題を出すつもりでしたね。
「ではピアティカさん。じいやが試験問題を作っているうちにわたくしが掟について教えますわ」
「よろしくお願いします」
こうしてシェトリーさんによる特訓が始まりました。