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湖畔の邸宅②

ピアの指と視線の先には洒落た文字で「オーシャンパスタ」と看板を掲げる店がありました。店の外壁には荒波を超える活きの良さそうな魚の絵が描かれています。


”パスタですか、いいですね”

「はい。久しぶりの麺類です」


意外にも回転率は良いようで、列に並んで待っているとすぐ店内に入れました。

席はすべてカウンター式で、調理場をUの字型に囲んだ面白い配置でした。更に面白いことに調理の過程を眺めながら食事できるようです。

ピアは席に着くとまずメニューを開き、じっくりと目を通していきました。文字から思い起こされる料理の情景に自然とピアの口角が上がります。

と、ピアは何か驚くことでもあったのか、ん?と声を上げました。


”どうしましたか?”

「これ、こんなところにキャビアがあります」


そう言ってピアが指を置いたところには「手作りキャビアのソースパスタ」と書かれています。

まさかこんなところでキャビアだなんてと驚く反面、少し気になることもあります。


”この名前だとキャビアが手作りされてることになりませんか?”


「手作りキャビアソース」のパスタならまだ分かりますが。


「さすがにキャビアを手作りはできないでしょう」


ともっともなことを言ってピアはそのパスタを注文しました。

どちらかというとキャビアが手作りされている方のイントネーションでしたがコックさんは威勢よく返事をし、新しいフライパンを火にかけ始めました。

他の注文と並行しながら調理は手際よく進み、いつの間にやら出来上がっていたホワイトソースにパスタを絡めると、最後に黒い粒がスプーンで二掬いほど豪快に振りかけられました。


「お待たせしました。手作りキャビアのパスタです」


ふんわりと山型に盛り付けられたパスタの頂上と裾野に凄まじい存在感を纏ってキャビアは佇んでいました。そしてカットされたイカや魚の切り身がその周囲を彩るように散りばめられています。

ピアはパスタの山裾にフォークを差し、キャビアを巻き込みながら一口目を運びました。


”どうですか?キャビアの味は?”

「…おいしいです。海鮮の出汁が効いていて、とてもおいしいパスタです」

”なるほど”


え、キャビアは?

と聞きたくなりましたがやめておきました。おいしいという言葉に嘘はないものの、何か引っかかるところがあるようです。そして恐らくそれはわざわざ店内で言うことでもないでしょう。食後の楽しみにしておいて、私はゆっくりピアの食事を見守ることにしました。

引っかかることはあるものの味は美味なようで、ピアのフォークの勢いも衰えませんでした。ペロリと平らげ、代金を払って店を後にしました。


"で、実際のところどうだったんですか?さっきのパスタ…というよりはキャビアの方ですかね"


そして質問タイムです。


「ええっと、何だか予想外の味でした」

”珍味だったということですか?”

「逆です。むしろ知った味でした」


予想外でないのが予想外、といったところでしょうか。


「大粒のタラコのようでした」

”タラコ…?要するに、魚卵の珍味を口にしたらよく知った魚卵の味がしてしまったということですか”


それはなんというか、残念でしたね。


「あ、でも、ちゃんと美味しかったのでがっかりはしてないですよ。たらこパスタの新しい可能性が垣間見えました」


キャビアですけどね。しかし、得てしてこういうことはあるものですね。幽霊見たり枯れ尾花とはこのことです。


”ピア、気を落とすことはありませんよ。いくら珍味とはいえ魚卵は魚卵、キャビアとタラコが似ていても不思議はありません”


キャビアは食材である以前に卵ですからね。味に文句を言われてもチョウザメとしては知ったこっちゃないでしょう。


「ただ、気になるのはあの値段です。とてもお手頃な値段でした」


確かにパスタ単品としては妥当な値段でした。もちろん、高級食材を使われていない普通のパスタとしてです。

商品である以上儲けがないと成立しないので、あのパスタに入っていたキャビアの価値はそれ以下ということになります。スプーン二掬いだとしてもそこまで安くなるかどうかは疑問です。


「昔キャビアについての本で読んだんですが、『一瓶で一ヶ月分の食費に匹敵するものもある』らしいです」

”ならばなおさらさっきの値段には違和感があるということですね”

「はい。ですが、今の情報はこう言い換えることもできます。『一瓶が一ヶ月分の食費ほどではないものもある』」


時期による値段の浮き沈みもあるでしょうが、それに加えて他のどの食材でもそうであるように品種や銘柄による差も存在するとピアは考えているわけですね。

そして、さっきのはランクの低いキャビアだったと。


”その可能性はありますね”

「サラさんもそう思いますか?」

”ええ。手っ取り早そうなのはキャビア専門店とかを探すことですが、それらしい店はありますか?”


ピアは地図を広げ、その上に視線をざっと走らせましたが、やがて首を横に振りました。


”では、時間に余裕のありそうな方に聞きましょう”


暇そうな人とも言います。

通りを見れば、ぼーっとしながらうろうろしている女性がいます。ピアも私と同じ方に目をつけたようで、そちらへと歩き始めます。その方は一言で表すならば謎めいた人で、ぼーっとしてる割には身だしなみがきちんと整っていて、高貴さというか気高さのようなものすら感じます。

フリル控え目な紺色のドレスの胸元には金色の魚を象ったブローチが輝いていますが、彼女から漂う高貴さがはったりでなければ、多分あれは本物の金でしょう。


「すみません。少しお話いいですか?」


ピアはそんな彼女に労することなく近づき、声をかけることに成功しました。


「…あ、はい。わたくしですの?」


彼女は声を掛けられて初めてピアの存在に気づいた様子で、それまで緩み切っていた目がきゅっと引き締められ、なんとなくだった高貴さを後押しするような眼光が宿りました。


「私は旅の魔術師のピアティカと申します。キャビア専門店のような店を探しているんですが、ご存じありませんか?」

「キャビ…ア…?」

「はい。専門店でなくても何種類かキャビアを取り扱ってる店など」


何だかキャビアそのものをご存じないみたいな反応ですが大丈夫でしょうか。


「…知ってますわ」


しかし心配に反して彼女からの返答は肯定でした。


「でもあまりおすすめはしませんわよ」

「え?…それは、どういうことでしょうか?」

「最近のキャビアは質が落ちていますからね。わたくしに言わせれば、あんなものはみんなクソですわ。いくら獲ったって仕方ありません」


クソとはなかなかお口がワイルドなお嬢様です。このような方は日々高級品で舌を肥え太らせているせいで美味しいと思えるものが限られてしまっているのでしょうか。そういう意味では可哀そうな人なのかもしれません。

と、私なら軽く相手を見下しながら別れの言葉を口にして別の通行人を探していることでしょうが、しかしピアはこのような不遜な発言には断固として抗議する子なのです。


「今のはキャビアにも、それを採ってる方達にも失礼だと思いますよ。私もあまり詳しいわけではありませんが、ついさっきパスタのお店で頂いたキャビアはおいしかったです」


このピアの反応は予想外だったのか、お嬢様はしばらく固まっていましたが、やがてバツが悪そうに目を伏せました。


「…確かに。無礼な発言でしたわね。取り消しますわ。どうか忘れてくださいまし」

「分かりました。忘れましょう」


お嬢様は素直にも反省なさったようで、軽く膝を曲げてお辞儀をしました。


「ですが、ここ最近のキャビアの質が落ちているのは事実ですわ。わたくしの名に懸けてそれは保証いたします」

「名に…?それはどういう…」


もしやこの方、キャビアの品質評価協会の重鎮とかでしょうか。そんな協会があるか知りませんが。


「申し遅れました。わたくしはシェトリー・ベルアイランド。ベルアイランド家の家長、つまりはナイトキャビアの生産者ですわ」

「え?キャビアの?あ、それは失礼しました」

「いえ。そういえば旅の方でしたものね。このブローチの意味もご存知なかったのでしょう」


そう言ったお嬢様改めシェトリーさんはあの胸元の金の魚を指さしました。今ならその魚が何となくチョウザメであることが察せます。


「これはナイトを象ったもので、当家のシンボルであるとともにナイトキャビアの販売許可証でもあります。当主が代々引き継ぐものですわ」


金は高価な上に劣化もしにくいので、継承される許可証としては最適な素材なのかもしれませんね。ただ少し重そうですが。


「ということは、世の中のナイトキャビアは全てシェトリーさんによるものなんですか?」

「ええ。今はわたくしが全てのナイトキャビアの生みの親ですわ」

”いや、生みの親はチョウザメでしょう”


孵化する前に出荷してしまっているので育ての親でもないですね。

ふふんと得意げに胸を張るシェトリーさんでしたが、つまりこの方は我々の目当てであるキャビア、その最高品種であるナイトキャビアを町に出荷してる方ということです。期せずしてこの町での目的を果たすための一番の近道を引き当てられました。

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