第38話 『悪霊と成り』
霊能力者のレイちゃんは、ダメ、無能、役に立たない?
著者:ピラフドリア
第38話
『悪霊と成り』
私は立ち上がると自室の扉を開けて、リビングに向かった。
リビングのソファーではスキンヘッドを寝かしており、お兄様と赤崎君が奥のパイプ椅子に座っていた。
私が来たことに気づいた赤崎君は驚いて立ち上がる。
「寒霧さん!? 寝てないとダメですよ!!」
すぐに駆け寄り、私の身体を支えてくれようとする。しかし、私は赤崎君のことを押して拒否した。
そして奥で椅子に座り、窓を見つめるお兄様に私は聞く。
「幽霊が悪霊になるって本当?」
数分前。私はタカヒロさんと自室で話していた。
「楓ちゃんがリエを助けに行ったってどういうこと?」
黒猫は私に背を向ける。
「憶測に過ぎない。だが、あのタイミングで楓が出ていき、リエと共に行方が掴めない。可能性があるはずだ」
「じゃあ、楓ちゃんがリエを助けてきてくれるかも」
私は期待していた。楓ちゃんならあの執事と人形にも勝てるかもしれない。
しかし、黒猫は違った。
「無理だ」
「なんでよ、あの楓ちゃんよ! リエを連れて逃げるくらいできるはずよ!!」
「そのリエが悪霊になってたらどうなる」
黒猫の発言を聞いて、私は固まった。時計の秒針の進む音が、聞こえるほど部屋は静まり返る。
そして秒針が十から十五へ移動した頃。
「何言ってるの、リエがそんなこと!! ……あ、痛い、頭痛っ!?」
「興奮するな、バカ」
頭の痛みに悶える私、そんな私の手に黒猫は呆れながら肉球を押し付けた。
「落ち着いて話を聞け。俺だってそんなことあるとは思いたくない。だが、聞いちまったんだよ」
黒猫の話では私が風邪を引いた時に、二人の帰りが遅かったからエレベーターの近くまで行っていたらしい。
その時にリエと楓ちゃんの話を聞いた。
「その話、本当なの……?」
「俺が知るわけないだろ。だが、本当なら楓だけじゃ手に負えない」
黒猫の話を聞いた私はベッドの端にお尻を置き、そして足を下ろしてスリッパを履く。
「どうする気だ」
私の行動を見て、黒猫が睨みつけてくる。その瞳は鋭く、蛇を睨むような目だ。
「助けに行く」
「その傷でか。それにお前が行って何になる」
タカヒロさんの口調はいつも以上に厳しく。私の決意を断とうとしているのが伝わってくる。
だが、
「タカヒロさん、ミーちゃん。二人はどうするつもりなの?」
私は黒猫のことは見ずに、下にあるニコちゃんマークのスリッパに目線をやりながら尋ねた。
一人と一匹は答えることなく。私は二人の答えない答えを口にした。
「私を寝かしつけて。それから二人を探しに行くつもりでしょ」
「…………」
「覚えてるかな。リエが夢から出られなくなった時。あの時危険を冒してまで、あなた達は外に出た」
私はゆっくりと視線を動かして黒猫の顔を見た。そして睨まれた仕返しとばかりに睨み返した。
「少しでもその可能性があったから外に出たんでしょ。その結果がどうあれ、あんた達はそこに救える手段があるなら行動をする一人の一匹よ」
タカヒロさんが無言で答えずにいると、黒猫は動き出しベッドから降りた。
「おい、ミーちゃん、何する気だ!!」
タカヒロさんの焦る声が聞こえる中、黒猫はベッドの下に潜り込むと、何かを引っ張り出す。
そして黒猫が下から引き摺り出したのは、私の使っている小さなバッグだ。
私の前にバッグを置くと黒猫はその前で座り込み、私の顔を見る。
「何、見ろって?」
声の動揺からタカヒロさんではなく、ミーちゃんの意思で動いたのだろう。中を見るとすぐに出かけられるように必要な品々がバッグの中にまとめられていた。
黒猫は目を細めながら「にゃ〜」と鳴く。
ミーちゃんの一言で私は理解した。
このバッグとその中身を誰が用意していたのか。そして最終的にはベッドの隠して、リエのことを話した。
私は黒猫に微笑みかける。
「あんたも面倒な飼い主に飼われたものね」
黒猫も目を細めて返事をするように、鳴くことはないが口だけを開けて返事をした。
私はバッグを肩にかけて立ち上がり、黒猫を抱っこする。
「さぁ行きましょうか。後悔をしないために」
私の問いにお兄様は口を開く。
「幽霊ってのは人の意思に宿った霊力の集合体だ。だが、その意思が無くなれば、ただの霊力の塊になる。霊力ってのは不思議でな、集まって集まって、その力を強めようとする……」
感情なく淡々と喋るお兄様。私はそんなお兄様に少し強い口調で急かした。
「つまりは!」
私を行かせたくはなかったのか。だが、私に急かされたお兄様は、時間稼ぎをやめて素直に答えた。
「なる。幽霊は悪霊になり得る存在だ」
お兄様の答えで、タカヒロさんが聞いたリエと楓ちゃんの会話が真実となった。
そうなると取る手段は、
「私達、二人を探してくるから止めないでね」
私はお兄様に背を向けて事務所を出ようとする。そんな私にお兄様があることを尋ねる。
「悪霊に勝つ算段はあるのか?」
背中越しに冷たい言葉を突きつけられる。私はすぐに振り返り、言い返した。
「その前にたすっ」
「無理だ」
私が言い終える前にお兄様は否定した。椅子に座り前のめりになったお兄様は、窓から視線を落として床に目をやる。
長い髪がお兄様の片目を覆い、髪の隙間から冷たい瞳が薄らと映る。
「希望は薄い。ないとは言わない。だが、奇跡を信じるな。だから、お前の抱える黒いのはお前を心配してバッグを隠した」
私が視線を下にして黒猫を見ると、黒猫はそっぽを向く。
お兄様は椅子の横に置いてあった細長い布を手に取ると、それを私に向けて投げ渡した。
私がそれをキャッチすると、お兄様は
「最悪を考えろ。そしてその上での最善を目指せ。俺が言えるのはそれだけだ」
送り出してくれた。私は渡されたものを大事に背負い、事務所を出る。
残った赤崎は心配そうに尋ねた。
「良いんですか。行かせて」
「今回俺たちは動くわけにはいかない。これはあいつの決断することだ」
事務所を出て夜道を走る。私に抱えられた黒猫が私の進む方向に疑問を持つ。
「居場所はわかるのか?」
「分からない」
「そうだな」
私の問いに文句を言わず、一緒について来てくれる。
どこにいるかは分からない。もしかしたらもう街にはいないのかもしれない。だが、行動しないよりも行動をする。
もしかしたらいるかもしれない。いた時に後悔しないように、私と黒猫はリエ達を探して走り出す。
公園を超えて住宅街を抜けると、塀の角から黒髪の男性とぶつかった。
男性はコートを羽織っているが腕に通してはおらず、肩にかけているだけだ。
「すみません」
私はすぐに謝ると、リエを探すために先に進もうとする。だが、そんな私に男性は背を向けたまま、あることを伝えた。
「北にある廃墟に行け」
男性はそれだけを言い残し、コートを靡かせながら夜の街へ消えていった。
男性がいなくなり、私達は再び走り出す。走っていると、黒猫があることに気がついた。
「あいつが言ってたこと信じるのか?」
「デタラメかもしれないけど、手がかりがないなら行くしかないでしょ」
人形に連れられて、廊下の奥の部屋へと押し込められる。
「……ぅ、ぅんぅぅ〜!!」
口を塞がれて抵抗の出来ない楓を、人形は押さえつける。
リエと離れさせられて、こんな奥まで連れてこられてしまった。
あれからリエと国木田がどうなったのか。その様子が気になるが、楓は身動きが取れずにいた。
そんな時、人形の背後に瓦礫が持ち上げられる。そしてその瓦礫を勢いよく人形の頭にぶつけると、木製のパーツは砕けて人形は力を失ったように地面に崩れ落ちた。
仲間がやられたのに何も動かず、楓を押さえている人形。残りの人形も同じように倒して、楓は解放された。
「もう逃げてるものだと思っていたよ」
楓は自分を助けてくれた人物の顔を見て、素直な気持ちを伝える。
「俺が取材途中で逃げるわけないだろ。これは君達のドキュメンタリー記事なんだから」
瓦礫を投げ捨てて手についた煤を払う石上。
楓は立ち上がると周囲を見渡した。
ここは監獄の中でも倉庫的な場所なのだろう。部屋は狭く、左右には棚が置かれている。
ここには人形と楓達以外は何もないようだ。
周囲を見ていた楓の姿に気づき、石上がある情報を伝える。
「君に一つ朗報だ。霊宮寺さん達は建物にはいなかった」
「え? じゃあ、レイさんは……」
「国木田は嘘をついている。あれは嘘だ」
国木田に聞かされたレイの話。国木田の話ではレイは始末したと伝えられた。
しかし、それが嘘であると分かり、楓はホッと息を吐く。
「それにだ」
安心した楓の上半身に石上は指先を向けた。指を追って自身の身体を見ると、制服が真っ赤に染め上がっているが、服も身体も着れてはいなかった。
「え、あれ? 僕切られたような?」
「切られた人間がそんな元気なはずないだろ。これもハッタリだ。血糊で切ったふうに見せかけたのだろう」
「何のために……?」
「俺は知らない」
国木田がレイや楓を殺したように見せかけていたことが分かった。だが、その目的が分からない。
理由を考えようと楓は頭を回転させようとしたが、その時、別のことに気がついた。
「そういえば…………。なんで僕が切られたこと知ってるの?」
「ん、ああ……」
質問に答えるため、石上は自身の胸ポケットを指で二回叩き、胸ポケットを調べるように指示した。
楓が自分の胸ポケットに手を突っ込むと、石ころのような小さなものが入っていることに気づく。
それを摘み上げてポケットから出すと、それは小型のマイクだった。
「ジャーナリストは仕込みが肝心だ。必要な情報を聞き逃さないためにな」
楓は顔を赤くすると石上に向けてマイクを投げ飛ばした。石上はキャッチすることができず、肩にぶつかってマイクが地面に落ちる。
「君、普段からこんなことしてるのか!! 犯罪だよ!! 今回は助かったけど、普段はやめてよ!!」
石上はやれやれとしゃがんでマイクを拾った。
「君ってやつは……。そうだ。先にこれも渡しておくよ」
立ち上がった石上はポケットからトランシーバーを取り出して楓に投げ渡す。楓がそれを受け取って、何か音が出るのか確認しようとしたとほぼ同じくして。
建物が大きく揺れる。建物は音を立てて、天井からは煤が舞い落ちる。
二人は壁や棚に捕まってその揺れから身を守った。
「今の揺れは……」
「きっと君の友達だよ。早く行った方が良い、国木田は何か企んでいる様子だからね」
石上の言う通り、楓は部屋を飛び出すと急いでリエの元へと駆け出した。
本当は短い廊下、その廊下を走りるがずっと長く感じる。
まるで夢の中にいるかのような不思議な感覚。長い廊下を抜けて、ロビーに辿り着くとそこには衝撃的な光景が映っていた。
「……リエ…………ちゃん………………」
そこには絵の具で塗りつぶしたような黒い姿をした胴長の悪霊がいた。ロビーに入り切らず、天井を突き破り、月を見上げている。
ロビーの端には粉々になった人形が落ちており、執事の姿は見当たらなかった。
楓はどうしたら良いのか分からず、後退る。一歩、また一歩と退がっていく。
だが、そんな楓の足が近くにあった瓦礫の山に当たり、瓦礫の山が崩れたことで悪霊に気づかれた。
悪霊はゆっくりと胴体を曲げて楓のいるロビーに目をやる。
髪に隠れた瞳が楓のことを睨みつける。
睨まれた楓は後退りをやめて、その場に立ち尽くした。
死を覚悟したわけではない。だが、逃げるのをやめた楓は拳を握りしめる。
「あの時、君が望んだ通り……。僕が君を解放する」
獲物を発見した悪霊は楓に手を伸ばし、楓を鷲掴みにして捕まえようとする。
しかし、楓はジャンプして悪霊の手に飛び移ると、腕を駆け上がって本体へと向かう。
悪霊は残るもう片方の手で駆け上ってくる人物を捕まえようとするが、楓は素早く躱しあっという間に本体の肩にたどり着いた。
腕の長さだけで10メートル近くあったはずなのに、その距離を登り切った楓は回転しながら高く飛び上がった。
悪霊の顔の高さまで飛び上がった楓は、回転を生かしたまま、悪霊の顔面に向けて蹴りをお見舞いしようとする。
しかし、
楓の視界に映るリエの面影。変わり果てた悪霊となったリエを、記憶の中に残るリエと重ね合わせ、攻撃を躊躇してしまった。
その一瞬。攻撃を止めた隙に悪霊の手が下から伸びてくる。そして楓の身体をガッチリと掴み込んだ。
掴まれた楓は暴れて抵抗するが、悪霊の力には敵わず抜け出すことはできない。
ニヤリと目を細めた悪霊は口を大きく開き、楓を捕食しようと口に近づける。
悪霊に食べられる楓は自分の身の安全よりも、リエへの謝罪で頭がいっぱいだった。
「ごめんねリエちゃん。僕にはやっぱり無理だったよ……」
リエを助けられなかった後悔、罪悪感。全てが入り混じり、楓の心を食い破る。
だが、口内へと入る直前で悪霊の動きが止まる。口を開けたまま、腕はゆっくりと口から離れる。
そして元の位置まで腕は戻ると、口を開けた状態で楓を投げ飛ばした。
食われると想定していた楓は、突然投げ飛ばされたことに動揺する。
投げ飛ばされた楓は廃墟の廊下を転がる。軽く投げられただけで建物の端まで転がった楓は、廊下の奥の壁に激突し、全身に痛みを感じる。
それでも寝ていることはできず、ドアノブに手を掛けながら立ち上がった。
「……今のは」
楓は頭から血を流す。額を伝って目鼻を通り、口にも血が入ってくる。
楓は制服の上着を脱いで血を拭ってから頭に巻いた。
出血を止めるためではない。一時的に血が目の近くに流れてこないようにするためだ。
壁に手をつき、再びロビーを目指す。
楓には確信があった。今の出来事は偶然ではない意思があると。
ロビーを目指す楓の耳にある音声が聞こえてくる。それは石上から渡されたトランシーバーからだ。
「ジリ…………ジジ…………ジ…………えるか、…………聞こえるか。俺……、で…………楓、聞こえるか」




