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お兄さまの無自覚な溺愛【コミカライズ連載中】  作者: 染井由乃
第二章 淡雪の大樹

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第2話 ひみつの慈雨

 翌朝。


 宿として借りていた礼拝堂の窓には、ぱらぱらと雨粒が打ち付けていた。激しい雨ではないが、道はぬかるんでところどころに大きな水溜まりもできている。


「お兄さま、ご覧になって! 雨ですわ!」


 窓際ではしゃぐように声を上げれば、淡雪の大樹にまつわる記録に目を通していたお兄さまが私のそばへ近寄ってきた。


「……この時期に降る雨は初めて見た」


 お兄さまの呟きに、浮かべた笑みが引き攣る。たった九年間とはいえ、旧子爵領で生まれ育っただけのことはある。この土地の気候については、熟知しているのだろう。


「め、女神さまのお恵みですわね、きっと! この雨では下山することもできないでしょうし、しばらくここに滞在させていただきましょう?」


「……そうする他なさそうだね」


 お兄さまはじっと私を見ていた。何かを探るようなまなざしに居心地の悪さを覚え、ぎこちない笑みのままお兄さまと距離を取る。


「リリアや他の使用人にも伝えて参りますわね。お兄さまはここで資料をお読みになっていて」


 後ろ手に客間の扉を開け、お兄さまにそれ以上何かを言われる前に廊下へ出た。ぱたり、と扉を閉めてから息をつく。


 ……ばれて、いないわよね?


 ぱらぱらと廊下の窓に打ち付ける雨粒を眺める。ここからはよく見えないが、淡雪の大樹にもこの雨は降り注いでいることだろう。


 朝にはふさわしくない疲労感を覚え、急いで私に与えられた客間へ向かう。お兄さまの客間のほど近くにある部屋の扉を開け、リリアに出迎えられた。


「お嬢さま! 問題ありませんでしたか?」


「おそらく、ね。お兄さまはこういうことに関しては勘が鋭いから、いつまでもつかわからないけれど」


 リリアに案内されるがままに、寝台に横になる。すぐに薄手の毛布を体に巻き付けられた。


「……私は、ちゃんとアシェルさまに申し上げるべきだと思いますけれど」


「言ったら絶対に止めるもの。大丈夫よ、倒れないから」


 昨晩、礼拝堂で荷解きを終え、夕食を取った後、私はお兄さまに内緒で再度ドロシアさんの家を訪ねていた。淡雪の大樹の管理者である彼女に、葉を治すにはどれだけの雨が必要なのか聞くためだ。


 ――まあ、三日三晩雨が降れば十分だろう。この時期にはそんなこと、到底望めないけどね。


 ……私の力ではぎりぎりだけれど、なんとかなるわ。


 ドロシアさんの話を聞いた後、私は早速淡雪の大樹に立ち寄り、そこで「ルナの祈り」を使ったのだ。


 ……『祝福を待ち望む憐れな命に、女神の慈雨が降り注ぎ、輝きを取り戻すだろう』。


 指を組み、雨が降り注ぐ様を想像しながら聖典の後半部分に書かれた祈りの文句を唱えると、ぱらぱらと小雨が降り始めた。残念ながら土砂降りになるほどの雨を降らせる力は、私にはない。


 小雨ですら、三日三晩となると正直厳しいところだが、日中も休息を取ればなんとかなるだろう。お兄さまの前で倒れるような失敗は、二度としないと決めていた。


 夕方には、もういちど淡雪の大樹まで行って、祈りの言葉を唱えにいかなければならない。それまで仮眠をとり、体力を温存しておくことにしよう。


「すこしでも体調に異変を感じたら、すぐにおっしゃってくださいね。そのときは、雨を降らせるのも中止です」


「そうね、気をつけるわ」


「だいたい、お嬢さまがイザベラ嬢の衣装のために力を尽くしていらっしゃるなんて、おかしな話です。あの聖女、巡礼の旅にも出ずに王城で怠けているらしいではありませんか。本当に、がっかりです」


 リリアは大きな溜息をつきながら、寝台のサイドテーブルに花を活けてくれた。横になっている私の目を楽しませようとしてくれているのだろう。


「そんなふうに言わないで差し上げて。きっと、何か事情があるのよ。イザベラさまは私と違って、一年前に急に聖女候補になったのだもの。まだまだ慣れないことが多いはずだわ」


 物心がついたころから聖女候補として、また妃候補として教育を受けていた私と、同じだけのものを突然要求されているのだとしたら、イザベラさまが憐れだ。彼女を愛している様子の王太子殿下が、そのあたりの事情を察して気を配ってくださるとは思うが、聖女に選ばれたイザベラさまはきっと窮屈な思いをしているに違いない。


 ……私だけ自由になってしまって、申し訳ないくらいだわ。


 自由になったどころか、こうしてお兄さまやリリアと楽しい旅をさせてもらっているのだ。彼女に対して罪悪感がないといえば嘘になる。


「……聖女を庇うのなんて、お嬢さまくらいなものかもしれませんね。知っていますか? 民の間では、巡礼の旅に出ない聖女に対してだんだん不満が募っているんです。その不満が……神殿や国に対する不信感に変わらなければ良いのですが」


 リリアの横顔は不安に翳っていた。それくらい、街では聖女のよくない噂が出回り始めているのだろう。聖女としていい出だしを切ったとは言いづらかった。


 ……巡礼の旅に出ない聖女を、彼がいつまでも黙認するとは思えないけれど。


 純白の長い髪をひとつの三つ編みにまとめた、青年神官を思い出す。私の教育係である大神官であり、私の感情に枷をつけた張本人だ。恐ろしく厳格で、誰より忠誠心の篤い神官だから、聖女となったイザベラさまにも同じように接しているのだろう。彼が、イザベラさまが聖女の勤めを果たさないことをいつまでも許すはずがない。


「……大丈夫よ。神殿には、きちんとした神官がいるもの。彼がイザベラさまの補佐をしてくれるはずだわ。きっと今に巡礼の旅にも出るはずよ」


「きちんとした神官、ってお嬢さまの教育係のあのひとですか?」


「……ええ、そう、ルカ神官のことよ」


 思い出すだけで、気分が重くなる。悪いひとではないとわかっているが、金色に光る彼のまなざしはまるで私を絡めとる鎖のようで、いつも息が詰まる思いだった。


 ……それくらい、私に期待してくれていたのよね。


 私が聖女に選ばれなくて、さぞ落胆していることだろう。だが、二度と彼の厳しい指導を受けなくて済むのだと思うと、ほっとしてしまっている自分がいるのも確かだった。


 ……ルカ神官にとっては、裏切りに近い思いでしょうね。


 もう、聖女候補であったときの生活に戻ることはできない。お兄さまから離れて、一日中あの厳しいまなざしに晒されるなんて、耐えられなかった。


 つらい記憶が蘇り、ただでさえ「ルナの祈り」を使って疲弊している体が余計に重たく感じた。呼吸を整えるように深呼吸をして、枕にぎゅうとしがみつく。


「……体調のすぐれないときに、嫌なひとを思い出させてしまって申し訳ありません」


「いいのよ。私が勝手に思い出したのだもの」


「気分を紛らわすために、本でもお持ちしましょうか。それとも、アシェルさまについて語り合いますか?」


「お兄さまについて語り合ったら、それはそれで眠れなくなりそうだわ」


 私のためにあれこれと提案してくれるリリアが、なんだか愛おしくてならなかった。くすりと笑って、毛布を首の辺りまで引き上げる。


「ありがとう、リリア。すこし休むわ。あなたも自由にしていてね。……お兄さまが来たら、適当に誤魔化しておいてちょうだい」


「かしこまりました。ごゆっくりおやすみください、お嬢さま」


 リリアは慎ましく礼をして、天蓋から降ろされたカーテンを閉めてくれた。ひとりきりの空間になると、ふっと孤独感が押し寄せる。


 ……ルカ神官のことを思い出してしまったからかしら。


 寝返りを打って、ぎゅう、と目をつぶる。暗い視界に巡るのは、ルカ神官と共に過ごした冷たい神殿の光景ばかりだ。忘れたいのに、意識から追い出すことができない。夢か現かもわからぬままに、彼の金の眼差しにとらわれるように、灰色の日々の記憶へ沈んでいった。

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