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4 ユダヤ人の子


 翌日、ロイドが新聞社に出ると、デスクの上に一通の電報が載っていた。

『〈バベルの箱〉について話さなきゃならんことができた。なにがなんでも、ベルグレーヴ通りのガーデン侯爵邸まで来い。今日のディナーの時間までだ。絶対に驚くぞ。フランキー』

 時計はすでに一一時四〇分を示している。ロイドがどうにか外出のいい訳を考えていると、アルバイトが「副主任が呼んでいる」と取り次いだ。行って用向きを尋ねると、ポーランドで起きている暴動について、ある貴族院議員に意見を取材してこいとのことだった。いいタイミングだ。すぐにタクシーに乗り込み、ベルグレーヴ通りに走らせた。

 侯爵邸の執事に名刺を渡すと、すでに話は通じていたようだった。丁寧に、ガーデン侯爵夫人のいる応接間に案内された。

「よくきてくださいました。さあどうぞ」

 侯爵夫人は椅子を勧めた。

 職務上、ロイドと侯爵夫人は互いに面識がないわけではなかった。ふたりとも比較的うちとけた表情をしていた。フランキーはロイドの顔を見ると、椅子の上で身を伸ばした。主人を見つけて喜ぶ犬のようだとロイドは思った。

「早かったな。暇人か? まあ、いい。お前にも助けてもらいたくてな」

 フランキーは、興奮しているような口振りだ。

「何か新しく事が起こったか?」

 ロイドが言うと、フランキーは首を振った。

「逆だ。過去の出来事に驚かされた」

「もったいぶるな、話せ」

「それは、私から申し上げましょう……」

 侯爵夫人の顔には、日頃からあったはずの快活さがなかった。

「フォージャーさん」と、ロイドを呼び、「これは、当公爵家の秘密なのですが……長くとは申しません、事件が社会に発表されるべきふさわしいときまで、秘密のままにしておいてほしいのです」

「わかりました。それが悪いことでなければですが……」

 重大事の圧迫を感じながら、それでも答えた。

「ありがとう。そのご心配はいりません。正しいことでないとお考えの折は、いつでもあなたのご行動はご自由です」

「わかりました。お許しがあるまで、事件についてはオフレコにします」

「ありがとうございます。……では、フランクリンさん」と、夫人はフランキーを呼び、「フランクリンさんから要旨をおっしゃっていただけますか」

「話すよりも、あれを見せたほうが良くないですか」と、フランキー。

「そうですね」

 夫人は素直に、ひと束の書類をロイドの前においた。フランキーの顔をロイドが盗み見ると、フランキーは目で「構わずに見ろ」といっているようだった。訝りながら、その書類を見ることにした。

 一つ目のものは、先代侯爵と、ブラックベル家の娘ベッキーとの結婚証明書だ。ブラックベルはユダヤ人の名家であることを、ロイドは知っている。

 二番目のものは、先代侯爵とベッキーとの離婚証明書。

 最後に、現侯爵夫人への相続手続きの書類。この書類によると、侯爵夫人は先代侯爵の姪にあたるものだが、他に先代侯爵に血筋の近いものがいなかったので、結婚を期に夫婦でガーデン家を相続しているということらしい。

「これがどういう意味になるのですか」

「それらは予備知識に過ぎません。こちらを御覧くださいまし」

 夫人は一枚の写真を示した。欄外に「先代侯爵の日記の一節」という見出しがあって、次のように映し出されていた。

『ベッキーは、私の子種を孕んだようだ。しかし、離婚せざるを得ない。ベッキーは我が宗教の敵だからだ。今更ながら、ガーデン家の決まりを犯してベッキーと結婚したことを悔いている。……苦しい。私はベッキーの生まれ持っての心根は愛している。しかし、宗教上の態度には憎悪の念が湧く。この矛盾が常に私を苦しめている。私は、ベッキーが出産を終えるのを待って、必ず離婚すると決意した』

 ロイドが読み終えるのを待って、侯爵夫人はすぐに口を開いた。

「先代の侯爵は熱心なカソリック、ベッキーはユダヤ教徒らしかったのです。そのため、ベッキーは出産を待たずに離婚したと見えるのです。そうした場合、生まれた子供の相続権というものはどうなりましょう。……私がいま持っているものの大半は、その子供が持っているべきだったのでしょうか」

「なるほど、大問題ですね。しかし、この日記というのはいつ発見されたものなのです? ご先代とベッキー夫人との離婚は、証明書によるところではすでに一七年も前のようですが」

「そうです。私どもは、一切そうした事情を知らずに相続してしまいました。侯爵の日規模は、ちょうど離婚前二十日間の記録が失われております。また、この写真は、何者かがこの頃になって送りつけてきたものです」

「俺も今日、初めて聞かせていただいてな」と、フランキー。「それで、侯爵夫人に、お前にも相談してみるように提案したんだ」

「この写真にある文字は、ご先代の筆跡に見えますが」と、ロイド。

「確かにそう思われます。これを御覧ください」

 侯爵夫人は別の日記簿を示して見せた。紛うこともない同一筆跡だ。ロイドはじっと考え込んだ。

 フランキーは、普段よりも声を低めてロイドにいった。珍しく真面目なのだ。

「侯爵夫人は、最初、懸賞の方法で提げ網を探し出し、できることならこの日記の写真を送ってきた人物を確かめ、そして侯爵家を汚さない限りで、先代の正当な血筋の人物にガーデン家を譲られようと決心された。そして、お前が競りで買った〈バベルの箱〉を知ると、俺だけじゃなくお前にも相談に乗って欲しいということになった。だが、ある期間まで、ガーデン家に別の正統後継者がいるということは誰にも漏らすわけにはいかないそうなんだ。のみならず、侯爵夫人の旦那さんには、特に極秘にされたいということだ」

 夫には特に極秘にしたいというフランキーの説明に対して、ロイドは違和感を抱いた。しかし、事情もあるのだろうとも思った。夫人の要求どおりに、ここで聞いた話をすべて秘密にすることを約束した。

 ふと、フランキーがまだ知っているようなことがあるように思えて、訊いた。

「お前のことだ、あのあと、競売場にいっただろ」

「ああ、それから出品者のところも訪ねたさ。もっとも、本人は七日前に出たきりだったから、あったのは夫人だったがね。そこで聞いた話が面白いんだこれが! ……」

「しっ!」

 フランキーが何事かを語りだそうとしたとき、夫人は急に唇の前に指で戸を立てて止めた。

 幽かに幽かに、廊下から靴の音がする。

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