第5話
そんなある日、拓郎くんに自宅へと招かれた。
「今度の土曜日、ウチに来ませんか?」
「うん、いいよ」
私の承諾を得て、拓郎くんは照れたように笑った。その照れの中にいろんなことを想像してしまう私だった。
う~む、これは、やっぱり、アレなんだろうか。土曜日ってことだし、夕方からという誘いだし、そしたら泊まりも視野にいれてるってことだろうし・・・
拓郎くんが私との関係を一歩前にずずずいと進めようとしているのではないかと思い、処女の高校生のように胸が騒いだ。
それも仕方のないことだ。
私は童貞ではないけれど、処女だし、男性経験はもちろんない。
そんなことを考えながら、重要なことに気づく。
それは拓郎くんとの関係を維持するために、求められればそれに応えようとしている自分、迷いなくそのコースを選んでいる自分がいるということだった。
そこまで考えて、ふと気づく。あれ、奥さんは?
拓郎くんは毎日、薬指に指輪をしている。外した日を見たことがない。
合コンに行く既婚者は指輪を外すというが、拓郎くんは合コンに行くつもりがないタイプの旦那なのだ。
だったらなぜ?
拓郎くんは小さなやり取りの中で私への好意をさりげなく混ぜてくる。それは繊細で細かくて、目をこらしてなければ見逃してしまうようなものだ。
でも、拓郎くんはそれを私に拾ってほしいと思ってやっている。それがわかる程度の主張はこめてやっている。
好意を示してくる相手の妻に会う。どうなるんだろう。ノーマルな三角関係さえ経験したことのない私には到底想像もつかない展開だ。
私を誘った後の拓郎くんはいつも以上ににこやかだった。
まるで私が拓郎くんの家に訪問すればすべてが上手くいくと思っているかのようだった。
彼は何を考えているのだろう。さっぱりわからない。このあたりは年代の差なんだろうか。
一対一の恋愛が当たり前の私たちとは違い、拓郎くんたちの世代は複数で複雑に絡みあう恋愛に慣れているのだろうか。
明日は拓郎くんの自宅を訪問するという金曜の夜、私はなかなか寝つくことができずに、布団の中で何度も体の向きを変えた。
拓郎くんの家は、学校の最寄駅から三つ離れた駅の近くにある。
拓郎くんの家からも海が見えた。山と山の間に海が見える。海は太陽の光を強く反射し、魚の鱗のようにきらきらと光っていた。
大学に吹く風は乾いていたが、拓郎くんの家に吹く風は少し湿り気と塩気を帯びていた。惹かれる風だった。私は、もう一度この家に来たいと強く思った。
拓郎くんの妻の志野さんはさっぱりとした美人だった。
テキパキと動き、ちゃっちゃとしゃべる。サバサバと表現されそうな人だが、サバサバを演じている人のようなわざとらしさはなかった。
志野さんはナチュラルというか、人にどう見られているかをあまり気にしないタイプに見えた。
下手したら修羅場の相手・・・拓郎くんの伴侶をそんなふうにとらえていたのに、私はあっさりと彼女に惹かれた。
いろんな話を聞いてみたい、こっちの話もしてみたい、そんなふうに思わせる人だった。
志野さんと友達になりたい。
思わずそう言うと、志野さんは笑って返した。
「私も。見た瞬間仲良くなれる人だと思った。私たち、同年代だしね」
「嘘?」
志野さんは拓郎くんより年上に見えたが、自分よりは十ほど下に見えた。
「ほんと。どころか、私のほうが年上だよ。四十七だもん」
「ぜんぜん見えない」
私は言葉を失った。
「そっちだって、三十五ぐらいに見えるわよ」
「うそ~」
微妙に褒め合うような結果になってしまい、私たちは急に照れを感じ、くすくすと二人で笑った。
それは共犯者の笑いだった。
誰かと一緒にこんな笑いを共有したのは久しぶりだ。
拓郎くんとは違う形で、志野さんはきっと自分の中で大きくなっていくんだろうなと思った。