第4話
目の前の信号が点滅して赤に変わる。
ちょうどいいタイミングでひっかかってしまった。悔やまれるところである。しかし、何も急ぐことはない。
日々、予定に追われていたような会社員生活はやっと捨てることができたのだ。
私は車が行き交う様を見守った。
今日も拓郎くんとお昼を一緒した。そして、いつものように彼の手作りの一品もいただいた。
今日は味のよく染みた牛の焼肉だった。ちょっと冷えていたが、その分味が濃く感じて、絶品だった。
楽しく、平和な一日が終わる。
車の交差が止まり、信号が青に変わる。
この信号を渡った先に母と過ごしてきた団地がある。私は一人になっても、母と暮らした部屋に住み続けていた。
母が死んで、私は本当の自由を手に入れた。好きに、好き勝手に生きる自由だ。
会社も辞められた。いい年なのに派遣で最低限の収入を得て、ふらふらと生きることも実践できている。
いずれも母が存命なら、反対されたかもしれないこと、それゆえにできなかったかもしれないことである。
最近は母が嫌いだったから飼えなかった猫も今度飼おうと思って、保護猫のサイトをチェックしまくっている。
人生の第二章が始まったんだなと感じている。
それはとてもエキサイティングなことだったが、ぽっかりと心に穴の開いたような寂しさを時折感じることもなくはなかった。
会社を辞めて、三か月ほどはぶらぶらした。そして、改めて私は今までの仕事が別に好きでもなんでもなかったことを確認した。
キャリアにはなるのかもしれないけど、捨てても全然惜しくない。妻もいなければ子供もいない。扶養しなければならない親もいなくなった。
蓄えもわりとたくさんある。母は保険に入っていたようで、その保険金もある。
派手な生活をするつもりがなければ、今後の生活でお金の心配をする可能性は極めて低い。
人間関係のしがらみからも、経済的な縛りからも、私は自由になったということだ。
母を喪った悲しさはあっても、いずれは訪れるものという納得もあったし、喪失感は大きくはなかった。
母と二人の生活は楽しかった、やりきった、そう思えた。とにかく「区切り」だと思った。
ほんとの自由を手に入れたとき、私が望んだ生活の形は、稼ぎは少なくとも、どこかに強く帰属することなく働くこと、生きることだった。
私は派遣社員という形で働き始めた。
働き始めた職場は、海を見渡す丘に建つ大学だった。
以前のように都心へと通う気のなかった私は、自宅からドアTOドアで三十分で通える職場に絞り、仕事を探した。そのなかのひとつが大学の事務局での仕事だった。
駅から続く長く緩やかな坂を登り、毎日大学へと通った。
大学からは海を一望できたが、吹いてる風は湿り気も潮っ気も帯びてはいない。カラッとしたものである。
それが少し意外で、物足りなくもあったが、未来を夢見る若い人たちが溢れる大学の明るい雰囲気には概ね満足していた。
「おはようございます」
デスクにつくなり拓郎くんがやってくる。
「おはようございます」
私は挨拶を返し、笑った。拓郎くんも笑顔だ。同じチームでもなく、席も離れている。仕事で接点があるわけでもない。
しかし、二人は朝から睦んでいる。毎朝、こんなふうにやりとりする二人を周囲は不審がるかと思ったが、そんなことはなかった。
誰も私たちに強い関心は持たなかった。
普通の会社ならこんなふうに放置されなかっただろう。
「あの二人って・・・」
そんなふうにいろんな人の好奇心の餌食にされ、私たちは気まずい思いをしたに違いないのだ。
しかし、大学の事務局というのは、少し普通の職場とは違った。
なんというか、ちょっと枯れたようなところのある職場だったのだ。
若い職員も同年代の職員も、皆、他者への関心が低く、かといってコミュニケーション能力が低いわけでもなく、噂話や悪口のためにつるんだり群れたりすることもない。
大人しく、極めて大人の人たちが集った職場だった。
そんな職場の人たちを、私も拓郎くんもとても好きだった。
しかし、生徒たちはどうだろう。拓郎くんはとてもかっこいい。目をつけている生徒が必ずいるはずだ。
実際、拓郎くんに恋をしている生徒はいたのだが(女生徒だけでなく、男子生徒もいた)、彼らは拓郎くんを憧れの存在としてみているようで、実際に拓郎くんの生活や人間関係に介入しようとする子はいなかった。
なので、生徒たちの間で噂にでもなったらという私の心配も杞憂に終わった。
そんなこんなで、拓郎くんは毎朝明るい顔で私のデスクへと駆け寄ってくる。
そんなことが、とてもうれしかった。
学生のときに新しい友達、それも友達に自慢したいような友達ができて、その友達が明らかに自分にゾッコンだったりしたときのような高揚感が毎日続いていた。
こんな幸せが待っているなんて・・・好きに生きてみようと思ったときは、いい年をして、人生の義務を放棄したろくでなしのように自分をことを思ったりもした。
父の姿とだぶり、怖じてしまいそうになったが、私の選択は間違っていなかったようである。
振り返れば我慢ばかりしてきたような気がする。
皆、そうだと思う。だから、世間というものと一緒に並んで歩いてきた。それが自分と自分の周囲の人たちの心を穏やかにする唯一の方法だと思っていたから。
でも、その縛りがなくなった。解き放たれた自分が真っすぐ歩いていけるのかどうかが不安で、辞職後なかなか一歩が踏み出せなかった。
どう生きても誰も文句は言わない。金銭的にも(たぶん)一生安泰だ。
それでも、人は失敗したくない、痛い目をみたくない、傷つきたくないと足がすくむものだと知った。
どれだけのものを揃えたら、手に入れたら、ほんとに自由になれるんだろう。そんなふうに小さく震えて揺れていたのに、今は晴れやかに笑っている。
まだまだ生きていきたい。
そう思わせてくれたのは、目の前の(かなり)年下の、たぶん自分を好いてくれている同僚のおかげなのだ。
彼のために、拓郎くんのために何ができる? 何をしてあげたい? 拓郎くんは私に何を求めている?
そんなことを探っていくこれからの毎日に光を見出している自分に気づき、急に照れてしまった私を、目の前に立つ拓郎くんは笑って見ていた。