第13話
志野さんが言ったように、りんちゃんの効果は絶大だった。二人の家に泊まる回数は急増し、私は拓郎くんと志野さんとりんちゃんの家に入り浸るようになった。
母が亡くなり、まだ一年も経っていない。それなのに、私は新しい家族を築きかけている。
天国の母はきっとそれを喜んでくれるだろう。私がいなくなったのにと恨めしく思うタイプの人ではない。
母は終わったことは終わったこととして蒸し返さないようなさっぱりとしたところのある人だった。
頑張ってもどうしようもないことにネチネチと執着してる姿は見たことがない。
それに、私が母の不在を嘆き、暗く生活していくことを望んでいるはずはないのだ。
母は保険金も含め、少なくない額の資産を私に残してくれた。それは私の未来を明るく彩るためにと遺したものだろう。
私が働き始めて家に納めていたお金もすべて預金していたようだ。父の保険金も半分以上が残っていた。
父のお金で大学まで卒業したと思っていたが、実情はそうではなかったらしい。
母は働くことが好きで、経理事務やスーパーのレジ打ち、工事現場の警備やビル清掃、介護補助などの仕事を渡り歩いていた。
母は合わない職場をすぐに辞めることはあっても、すぐに次の職場を見つけてきては働き始めた。
母は働き者だった。
「いい年して仕事してなかったら、何するのよ?」
そして、母は趣味や楽しみを持たない人だった。母は遊びを知らない。
私は見事にその気質を受けついでいるが、預金通帳を開く度、良い性質を授けてくれたと母に感謝することになった。
父が亡くなった後、母は父の姉を頼り、私を連れ横浜に移り住んだ。
伯母と母はなぜか相性が良く、父を亡くしてからも二人の交流は続いた。というより、父が亡くなった後、伯母と母は本格的に仲が良くなった。
夫に先立たれ、一人娘と相性が良くなかった伯母を看取ったのも母だった。
伯母が、弟も自分も迷惑をかけたと母に泣いて謝っているのを見たことがある。
そのとき母は言った。
「真輔さんには一度も手をあげられたことがありません。大事にしてもらいました。真輔さんが亡くなった後、私たちを助けてくれたのはお姉さんじゃないですか」
母はそう言って、伯母の手をとり、握りしめていた。
母の寂しさを見たような気がして、胸が痛かったことを覚えている。
母は幼い頃に実母を喪い、父は再婚相手の女性と子供を設けていた。
母はその継母と相性が悪く、実家との縁は切れていた。
だから、父を喪った後、母と私はほんとにこの世に二人ぼっちだったのだ。
伯母に強く勧められ、横浜に移り住み、新しい団地の最上階に住み始めた。毎日、五階まで上り下りする生活は小学生の私には新鮮だったが、平屋暮らしの長かった母は慣れるまで大変だったと言っていた。
その団地の一室で、私と母は楽しく過ごした。
母子家庭がまだ目立つ世のなかだったが、ひどくいじめられたり、許せないほど理不尽なめにあったりといったこともなかった。
運が良かったのだろうか。
二人になってから、私と母は笑っていた記憶しかない。そうしなければという義務感は母にはもちろん、私にもあったと思う。
世間が思い描くような不幸な母子家庭になってたまるものか。口には出さなくても、そんな結束が二人にあった。
世間を敵に回し、私たちの関係はますます強固になっていったのだ。
思えば、ほんとは根無し草のように生きたいのに、そこそこの大学に進み、そこそこの会社に長く勤めたのも、そういった二人の思いがもたらしたものかもしれなかった。
それが良かったのか、悪かったのか、正直わからない。
こんなふうに生きてこなかった場合の答えを知ることは決してないのだから。
二人に囲まれ、猫を得て、一人になってからの私は順調過ぎた。楽しみすぎだ。これではさすがの母もやっぱりやるせない気持ちになるかもしれない。
次の週末は拓郎くんの家に行くのは止めて、母のお墓に参ろう。
当たり前のように仕事を終えた後、二人の家に帰宅し、ソファで一か月も経たないうちにこの家にすっかり慣れたりんちゃんを撫でながら、そう思った。