5.どこにもいない
ラーメン屋を出て、いつも朝に待ち合わせしている場所で言羽と別れて俺は部屋に戻っていた。
風呂に入った後、明日までの宿題をしていると気づけばあっという間に0時を過ぎていた。
「そろそろ寝るか…」
ベットに横になり今日の出来事を思い返す。
まあ言羽のことは省いて、水無月さんのことだ。
昼休みの時の水無月さんはまるで久しぶりの再会を果たした友人との食事のように楽しそうにしていた。
しかし、放課後に見た水無月さんはあまりにも悲しそうに見えた。
そして何より俺以外の人たちが全員水無月さんのことを忘れてしまっていること。
明日以降、水無月さんはどうなるのだろうか?
学校に来ても誰も覚えてない状況で普通の生活なんて送れるはずなんてない。
今は何をしているのか?
普通ならもうこの時間なら家にいるのが当たり前だ。
だがもし水無月さんの家族からも忘れられていたのなら?
それは生まれてきたことを否定されるのと同じぐらいの苦痛だろう…。
◇
「おはよう世界」
朝の支度を終わらせると言羽との待ち合わせの場所に行き、いつも通り一緒に登校した。
朝や授業の合間の休み時間はあまり余裕がないため昼休みに学生手帳を渡しに行くことにした。
まあまず学校に来ていたらだけど。
「じゃあ朝のHRは以上で終わる。日戸灰は昨日下校時間遅れたからこの提出物を職員室まで運ぶのを手伝え」
「お前またかよー」などとクラスメイトが笑っている。「うるせー」と言いながら俺は高木先生の手に持っている大量のプリントの束を受け取り、一緒に職員室へと向かう。
「そういえば学生手帳は届けることができたのか?」
「昼休みに届けようかなと考えています」
「水無月は1組だから」
「はい、ありがとうございます」
なるほど水無月さんは1組か。
やはり俺の考えは間違ってなかったようだ。
あれちょっと待て。
「なんで水無月さんのことをしっているんですか?」
昨日、先生に学生手帳を見せたときは黒い靄のせいで名前を見ることができなかった。
それに今はみんな水無月さんのことを忘れているはず。
「何を言っているんだ?お前が昨日の放課後に学生手帳を拾ったと言って渡してきただろ。
そのときに水無月のだというのは分かったからな」
俺との記憶が異なっている。
昨日は水無月さんが存在しないという状況での記憶の違いが生まれていたが、今は水無月さんが存在していたという状況での記憶の違いが生まれている。
きっと言羽とあの男子4人組に昨日ラーメン屋での会話のことを訪ねると話がかみ合わなくなるのだろう。
胸にしまっていた学生手帳を開くと靄はかかってなく、はっきりと水無月 零名という名前が書かれていた。
◇
昼休みとなった。
職員室までプリントを運んだあと、言羽や男子4人組に話を聞くと俺が思っていた通り俺と前者たちとの記憶は違った。
しかし、前者たちの間での記憶はどちらも俺と男子4人組が水無月さんの話題で盛り上がり、それに対して言羽が怒っていたというものだった。
つまり俺だけがみんなと記憶が違うのだ。
「景、今日は弁当でしょ、早く食べよ!」
「俺ちょっと1組に用事があるから先食べててくれ」
「えー今日も?今日こそは早く帰ってきてよ」
「わかったわかった」
俺は言羽に見送られながら1組へと向かった。
教室をのぞくとみんな弁当を食べているが水無月さんは見当たらない。
もしかしたら昨日みたいに食堂にいるのだろうか。
「どうしたの?」
後ろから声をかけられて振り向くと見覚えのある女子が立っていた。
確か昨日食堂で水無月さんと一緒にご飯を食べていた人だ。
「だれか探しているの?」
「まあ、そうですね」
「あっもしかして零名のこと見に来たんでしょー?」
結構グイグイと近づいてきて俺の視界の下ギリギリに来る。
女子特有の甘い香りが鼻をくすぶる。
顔はニヤニヤとしており俺のことを面白がっているように見える。
「いや確かに水無月さんに用事があってきたんですけど…そういう訳じゃ…」
「いいのいいの誤魔化さなくて、零名かわいいからみんな見に来るのよ。
でも残念、今日は零名は学校休んでるの」
見つけることができなかったのは単純に学校を休んでいたからなのか。
てっきりみんな水無月さんのことを思い出しているから勝手に学校にいると考えてしまっていた。
「そうですかありがとうございます」
「いいのいいの、じゃあまた明日出直してきてね」
俺は水無月さんの友人にお礼を言った後、1組を後にした。
「ねえ君ーーーーーー!!」
「?」
水無月さんの友人に呼び止められる。
「君の名前教えて?」
「日戸灰 景です」
「私は三枝 未来。
その…こんなこと初めて会うのに言うのは変だと思うんだけど…零名のことお願い」
「え?」
急にさっきまで少しちゃらちゃらしていたのに真剣な顔になりかしこまっていた。
「零名と幼稚園の頃から一緒なんだけど…それだけ長い付き合いだと言わなくても相手の気持ちがわかったりするの、中学校の頃から表面には出さなくても零名ずっと何かと戦い続けていてすごく悲しそうなの…身近にいすぎた私ではもう零名を助けることはできない…だからお願い」
身近にいすぎた私では助けることはできないか…一見人任せに感じる言葉だが俺はその言葉がわかる気がする。
いじめられていても親や先生には心配をかけたくなくて相談できない人は多くいる。
かといって親や先生はいじめられているのかとは聞きづらいし、いじめという陰湿な行為に気付くことも難しい。
こういう時、学校にいじめはダメだという公演をしにきた初めてあった人には相談しやすかったり、解決への道になることもある。
それときっと同じようなものなんだろう。
「でもどうして俺に?」
「それは分からない…でも君なら解決してくれそうだと思ったの。
今こうして初めて話す私の話も真剣に聞いてくれるし私の目に間違いはなかったと思うの」
「幼馴染が大事ですか?」
「当たり前だよ、家族ではないけどそれとは違う1番な存在だよ」
このとき俺の頭の中には言羽がいつもみたいにはしゃいでいた。
「俺にも三枝さんと比べたら短いですが大切な友人がいるのでわかります。
期待に応えることができるかはわかりませんが頑張ります」
「ありがとう」
…
「やっと帰ってきた、はやく食べよ!」
教室に戻ると先に食べていいと言ったのに弁当に手を付けていなかった。
これが言羽なりの優しさなのだ。
「…」
「どうしたのそんな真剣な顔して?」
「いや何でもない、早く食べようぜ!」
「その言葉を待ってました!」
俺と言羽は周りの目もくれずはしゃいだ。
たまにはこういうのもいいと思った。
◇
放課後となり俺は水無月さんの家に直接学生手帳を届けることにした。
明日でも全然かまわないのだが昼休みの三枝さんとの会話をしていたら時間がもったいなく感じたからだ。
「景、今日もオカルト研究部の体験に来て!」
元気よく言羽が呼びかけてくる。
もちろんこの誘いの答えはNOだ。
水無月さんの家に学生手帳を届ける以前に昨日のように実験を付き合わされるのはこりごりだ。
最初は体験に来てと言われたら「まあ体験ぐらいなら…」と付き合っていたがもうその手には乗らない。
「すまんが落とし物を水無月さんの家に届けないといけないから―――あっ」
つい口が滑ってしまった。
言羽の前で水無月さんの話をすると怒ってしまうため言わないでおこうと思ってたのに。
やばい、めんどくさくなるぞ…。
「水無月さんって誰?」
「っ!?」
一瞬空気が凍ったような感覚に襲われる。
急いで学生手帳を開いてみると名前や住所などあらゆる水無月さんの個人情報に再び黒い靄に覆われていた。
「ちょっと景、どこ行くの!?」
俺は言羽を後にして1組の教室へ向かって走り出した。
教室の扉を開くと目的の人物である三枝さんがいた。
慌てて俺が走ってきたため三枝さんもその周りの話していた友達も驚いた表情をしていた。
「三枝さんちょっといい?」
「どうしたの景くんそんなに慌てて」
いきなり名前呼びかよ…まあそんなこと今はどうでもいい。
「水無月さんって知ってる?」
「誰、水無月さんて?」
少し冷静になろうとしていた脳がパニックになる。
黒い靄が消えていたためもうこの俺以外から水無月さんの存在が消えるということはないと思っていた。
しかし、実際に再びこの現象が起きている。
そして何より俺は怖かった。
昼休み、時間で言えばほんの一瞬の出来事だったかもしれない。
しかし、三枝さんが水無月さんへの大事に思っている気持ちはよく理解し感じ取った。
だがどれだけ大事に、大切に思っていたりしてもこの現象を前には無力で簡単に忘れてしまうのだ。
俺は急いで靴箱に向かうと外靴に履き替え、昨日乗り忘れていた自転車に乗り水無月さんの家へと向かう。
学生手帳にのってあった住所は黒い靄で隠されているが記憶を頼りに向かって「水無月」という苗字の表札を探しまわった。
数ある家の中で一軒見つけることができた。
俺は迷わずインターホンを押していた。
ピンポーンという音がした後、家の中から歩いてくる音がしてガチャリとドアが開いた。
「はい、どちらさまですか?」
外に出てきたのは40代ぐらいの女性で水無月さんと同じ雰囲気をまとっているため水無月さんのお母さんで間違いないだろう。
「炯眼高校の日戸灰 景です。水無月さんの同級生で落とし物を届けに来たんですがここで間違いないですか?」
俺の問いに対して水無月さんのお母さんの表情は柔らかくなった。
良かったお母さんは憶えて――――
「ごめんなさい、きっと家間違えているわよ」
安心から一転、全身が寒気に襲われて鳥肌がたった。
「確かに子どもはいるけど…あ、ちょうど帰ってきた!」
水無月さんのお母さんが向いた方向にスーツを着た仕事帰りのような見た目をした男性とその男性と手をつないだ幼稚園ぐらいの女の子がいた。
「おかえりリンちゃん」
「ママただいま!」
「あなたもお帰り」
「ああ、ただいま」
「パパ抱っこ~!」
「はいはい、よいしょっと」
はたからみたらごく一般的な仲の良い幸せな家庭だ。
しかし、足りないものがある。
「この通り娘は幼稚園に通っているからあなたの同級生ではないわ」
「すいません、ここらへんで苗字が水無月の家はありますか?」
「あなた知ってる?」
「ん~聞いたことないな…」
夫婦が目を合わせるも首をかしげている。
やはりここが水無月さんの家で間違いないだろう。
ふと庭に中高生が乗るような自転車があるのが見えた。
「あの自転車は誰の自転車ですか?」
俺は自転車を指さし尋ねる。
見た目が綺麗なためどう考えても夫婦のどちらかが学生時代に使ったものではないし、幼稚園児が乗るには大きすぎる。
「あれ、誰の自転車かしら」
「おかしいなあんな自転車あったか。まあでもあっても問題ないだろう」
普通知らない自転車があったらよっぽどの能天気な人でないとこんな簡単に済ませることはできないだろう。
この現象で一つ気付いたことはこういう矛盾というか違和感のようなものがあっても強制的に納得する方向へと進んでしまうことだ。
みんな違和感があってもそれについて考えようともしなくなる。
俺は密かに期待をしてしまっていた。
どれだけ忘れられようと血のつながった一番身近な存在である家族であれば水無月さんのことを忘れないと言うことを。
しかし、現実は甘くない。
ドラマや映画、アニメなどの創作物のように奇跡や感動は起こりやしないのだ。
じゃあ水無月さんは一体どうやって生活しているのだろうか。
家族にも忘れられた世界で頼れる存在がいない高校生である彼女はどうやって生活しているのだろう。
考えるだけでも嫌になる。
皮肉にも彼女のことを憶えているのは一番の親友でも家族でもなく、一回も話したことない赤の他人である俺だけなのだ。