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3章 屋敷の少女

 アンジェネが僕を呼び出した場所は地下室だったらしい。彼女の後ろについて階段を登ると、廊下に出た。どうやら、ここはそれなりの広さの建物のようだ。

 僕は前を歩くアンジェネの背中を見つめた。ここが彼女の家なのだとしたら、それなりに身分が高い人間のはずだ。

 それとも、他にここの主がいて、アンジェネはその人間に仕える立場なのかもしれない。人間同士の関係というのは妙なもので、上に立つやつは欲しいものを何でも手にいれられるが、下で働くやつらは一生、這いつくばり、汗水を垂らすだけで終える。

 上に立ちたいという強い野心を持つ人間が、僕たちに頼ったりするのだ。

 廊下を抜けると、広間に出た。中心に据えられた大きな階段が、二階へ続いている。


「お部屋は二階よ」


 アンジェネはそう言って、上へ続く階段を昇っていく。ドレスの裾の隙間から、彼女の足が見えた。裸足だ。

 大体の人間は靴を履いているものだと思っていたけれど、例外もいるらしい。それとも彼女がおかしいだけなのかもしれない。何せ悪魔に友達になれなんて言ってくる人間だ。

 二階へ続く階段を上がりきると、扉が三つあった。右の扉を開け、さらに広がる廊下を進む。

 どこに何があるかを覚えるのに時間がかかりそうだ。アンジュネは廊下の一番奥の扉の前で立ち止まった。


「ここが貴方のお部屋よ」


 通された部屋は、権力のある人間が使うような部屋だった。一人で過ごすにはかなり広さがある。

 奥には暖炉が備え付けられ、窓は綺麗に磨かれている。中央に置いてある木製の机と椅子は、古いもののようだけれど、精巧な彫り物がしてあった。敷かれている絨毯にも、金の糸で複雑な刺繍が施されている。

 寝台は二人で寝転んでも広いくらいだ。大きな洋服箪笥には、どのくらい服が入るのだろう。

 その部屋は、僕の力を借りた人間が住む部屋であって、僕の住む部屋ではなかった。少なくとも今までは。


「ここのものは全部好きに使ってね。掃除はもうしてあるわ」

「……ここに僕を住ませる気?」


 もしかしたら友達、というのは嘘で、何か裏があるのではと思ったけれど、アンジェネは当然だと頷いた。


「ええ。貴方は私の友達で、お客様だもの」


 僕が口を開く前に、アンジェネは言葉を続けた。


「欲しいものがあれば教えて。このお屋敷にあるものなら、すぐ持ってきてあげられるから。でも、ここになかったら、少し時間がかかるわ」


 僕は眉をひそめた。こんなに広い屋敷なら、それなりの規模の街も近くにありそうだし、使用人だっているだろう。

 ……待てよ、地下室からこの部屋へ来る前に、他の人間に誰にも会わなかった。思えば、誰かの気配すらなかった。


「どういうこと? ここは……」

「わたし、あまり遠くへいけないの」


 遠くへ行けないとはどういうことだろう?アンジェネは何かの病気なのだろうか。

 いや、病気だとしたら、悪魔を呼び出す、という行為だけで力尽きてしまうだろう。


「あのさ、ここ、君以外に住んでいる人間はいないの?」

「ええ、いないわ。わたし一人よ。今日から貴方と二人だけれど」


 一人だけで、この屋敷に住んでいる?

 家族がみんな死に、天涯孤独になることは勿論あり得るだろうが、それにしたってあまりにも妙過ぎる。悪魔の僕にだってそれくらい分かる。

 そもそも、ここは一体、どこにある屋敷なんだ?

 僕は窓に駆け寄り、外の景色を見て、呆然と立ち尽くした。


「ここは……」


 見渡すばかり、木、木、木。僕が今いるのは、どこかの森の中にぽつんと建てられた屋敷なのだ。

 ここから見る限り、街が近くにあるような感じがない。


「景色は、木ばかりでつまらないかもしれないわね。でも、星が綺麗に見えるのよ」


 アンジェネが僕の隣に来て、窓の外を覗いた。僕が戸惑いを通り越して軽く混乱までしていることになんてまるで気づいていない。


「なんで……こんなところに一人で……?」

「わたしはね、魔女なの」


 彼女はこともなげに答えたが、それはますます僕を混乱させた。

 気がふれて、自分を人間ではない別の何かだと主張するやつはいるが、アンジェネはもしかして、そういう類の人間なのか?


「魔女?」

「そう。魔女。だからここに一人でいたの」


 魔女、ということは、何らかの魔法のようなものが使えたりするのだろうか。

 いや、僕は五百年よりもっと長く生きているが、そんな人間には会ったことがない。きっと彼女のひどい思い込みだろう。

 新しい主は狂人、命令は友達になること、しかも「鎖」がいつ切れるか分からない……絶望のあまり、めまいがする。


「それじゃあ、まず何から始めようかしら……。友達ができたら、したいことがたくさんあって……」


 ぞっとするほど無邪気な表情で一人ごちるアンジェネを見つめながらも、僕はこれから始まる日々を想像し、立っているのがやっとだった。

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