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22章 悪魔の心

「僕が運命を変えた…」


 確かに、アンジェネは僕が助けに来ることを想定していなかったはずだ。

 四年前から、いや、アンジェネが生まれた時から決まっていたかもしれない運命を、僕が変えたということになる。


「私は、アンジェネ様がお城に連れて来られた時、少しだけお話をすることができました。エルテンス様はどちらへ、と尋ねましたら、アンジェネ様は、悪魔の国に帰ったから、二度と会うことはないと仰いました」

「それは違うよ。色々決まりがあって、僕はアンジェネの言うことを聞かないといけないし、自分の意志で帰ることができない。僕はアンジェネに魔法で眠らされて、部屋に閉じ込められたんだ。アンジェネが処刑されれば、契約はなかったことになって僕はこの世界に留まれなくなる。アンジェネは……きっと僕を巻き込みたくなかったんだ」


 彼女が僕に望んでいたのは、最後まで友達としていることで、自分の運命を変えることじゃなかった。


「ではエルテンス様はなぜ処刑場まで来られたのです?」

「無理やり、部屋の扉を壊した。それで、アンジェネの気配を辿って、何がなんでも助けないとって思って、変身して……」


 すみません、とエマが遮った。


「あなたは、アンジェネ様のご命令ではなく、ご自分の意志であの場に現れたのでしょう? それは、なぜなのですか?」

「え……」


 言葉に詰まってしまった。そういえば、なぜ僕はあんなに無茶なことをしたんだろう?

 自分の体が傷つくのもいとわず、アンジェネを助けたいという一心で動いていた。

 しかし悪魔は本来、契約した人間の命令のみによって行動するものだ。

 悪魔の本質は、心臓を喰らう怪物のはずなのに。

 アンジェネが死ねば、契約は切れ、僕は彼女の元を去る。新たな主を探し、心臓を得るために手を汚す。今まで通りの生き方に戻っていたはずだ。


「分からない……」


 僕はぽつりと言った。


「分からないんだ。最初はアンジェネのことが不気味でしょうがなかった。何を考えてるのか全然分からないし……。友達になったのだって仕方なしに、命令だったからだ。ここでの暮らしは退屈でくだらなかった。けれど、だんだん居心地がよくなってきて……今までは人間の心臓を食べることだけが僕にとっては価値のあることだったのに、それよりも、アンジェネと一緒にいたいと思っていたんだ。彼女に二度と会えなくなるかもしれないと思ったら、じっとしてなんていられなかった」

「エルテンス様……」

「エマ、僕はどうしたらいい? こんなこと初めてなんだ。僕は自分の意志で、アンジェネのために動いた。それがどうしてなのか分からない!」


 アンジェネに、自分の心臓をあげると言われた時、僕はそれを断った。命令されてもいないのに、危険をおかして彼女を救った。

 どうして僕は、そこまでアンジェネに生きていて欲しいと望んでしまうのか、分からない。


「エルテンス様」


 エマが僕の手の上に、自分の手を重ね、軽く握った。


「どうか落ち着いてください。何も恐れることなんてありません」


 僕ははっとしてエマの顔を見た。エマが僕に触れるなんて初めてのことだ。僕の目をじっと見る彼女の顔に、恐れの感情は一かけらもなかった。


「エマ……」

「私には、悪魔のことは何も分かりません。エルテンス様が今までどのように生きてこられたかも。ですが、少なくとも今の貴方が、心のない怪物であるとは思えません」

「僕が……?」


 エマは微笑んだ。


「ええ。ですから私は、貴方に触れることも怖くありません」


 エマの温かい手に触れて、僕の気持ちもいくらか落ち着いてきた。

 それを察したのか、エマは僕の手を放し、自分の膝のうえに、手を置いた。


「アンジェネ様は、貴方を一度も悪魔として扱わなかったはずです。だからエルテンス様も変わることができたのでしょう。人間であっても、悪魔のような心を持つこともあります。その逆のことがあっても、不思議ではありません。きっかけに出会えるかどうかだと、私は思います」


 確かに、アンジェネは僕を名前で呼び、僕に触れることに何の抵抗もなかった。

 文字が読めない僕に字を教えてくれた。

 僕に喜んでもらいたいからと、獣の心臓をとってきた。

 アンジェネにとって、僕は最初から「友達」で、「人間」だった。

 自分と対等な存在として扱ってくれた。僕にとって、それがきっかけだったんだ。


「貴方はアンジェネ様をどうして助けようと思ったのか分からない……と仰いましたね。

私は、エルテンス様を動かしたのは、愛だと思います」

「愛……」


 目に見えない、手にもとれないものが、僕を動かした?


「でも僕には、愛がどんなものなのか分からないよ」

「ええ。人間だからといって、必ず愛を理解できるわけではありません。形のないものですから」


 エマがゆっくりと、子供に聞かせるかのように言った。


「もう一度、思い出してみてください。エルテンス様は、アンジェネ様ともう二度と会えないのではと思った時、何を感じましたか?」

「僕は……」


 部屋の中に閉じ込められて、扉を破るため何度も体当たりした時、体は痛かった。

 でも、それ以上に、体の痛みなんてほとんど感じないほどに――


「痛かった。痛かったのは体じゃなくて……心だ」


 僕の言葉を聞いて、エマは頷いた。


「エルテンス様、答えはもう、貴方の中にありますよ」

「僕の、中に……」


 愛は力を持つ。

 愛する者を失うことはとても心が痛くなる。

 アンジェネが、ディヴィッドが言っていたことだ。

 愛しているのか。僕が、アンジェネを?

 ぼんやりとしている僕を見て、エマが椅子から立ち上がった。


「申し訳ございません。お話が長くなり過ぎてしまいましたね。まだお疲れでしょうから、ゆっくりお休みになってください」


 エマがさっと椅子を元の位置に戻し、部屋を出て行こうとしたので、僕は慌てて声をかけた。


「エマ」

「はい?」


 部屋の扉に手をかけていたエマが振り向いた。


「何かご入用でしょうか?」

「そうじゃなくて、あの……ありがとう」


 言っておかないといけない気がした。

 エマは、僕に対して真剣に向き合ってくれた。

 僕のことをアンジェネの友達として、人間として扱ってくれたのだと感じたから。


「こちらこそ、ありがとうございます。アンジェネ様を救ってくださったこと、心より感謝致します」


 エマは笑みを浮かべ、一礼すると部屋を出て行った。

 一人になり、僕はもう一度寝台の上で横になった。

 アンジェネは今頃、ゆっくり眠れているだろうか。

 目が覚めて僕の意識が戻っていると知ったら、どんな顔をするだろう?

 僕のもう一つの姿を見た今でも、まだ友達だと言ってくれる?

 そんなことを考えているうちに、瞼が重くなり、僕は再び眠りに落ちていった。

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