21章 魔女の運命
日の光が差し込むのを感じ、僕は目を開けた。
「あれ……」
僕がいたのは寝台の上だった。体を起こし、周りを見渡す。見慣れた僕の部屋だ。
もともと着ていた服は脱がされ、上半身は簡素なシャツ、下半身はゆったりしたズボンに包まれていた。
帽子は窓辺の帽子掛けにかかっている。
そうだ、ちゃんと屋敷まで帰ってきた。アンジェネと一緒に。
少し怠さは残っているものの、ほぼほぼ回復している。
疲れすぎて気を失って、それからどうなったのだろう? アンジェネはどこだ?
寝台から降りようとしたその時、部屋の扉が開き、誰か入ってきた。
「エルテンス様! お目覚めになられたのですね!」
「エマ……?」
替えの服と思われる布を手にしたエマが、僕を見て目を輝かせた。
「良かったです。五日も眠ったままで、このままお目覚めにならないのではないかと……」
「そんなに?」
普段からしてみればあり得ない日数だ。しかしよくよく思い出してみると、アンジェネの魔法がかかった扉を強引にこじ開け、彼女のもとに全力で走り、怪我を負った後、もう一つの姿になって、屋敷まで飛んで戻ってきたのだ。
これだけのことをして五日間眠るだけで済んだのはかなりましな方かもしれない。
「ああ……まあ、あの姿になったし無理もないか」
悪魔ならみんな持っている、もう一つの姿。おぞましく巨大な獣の姿。
国を一つ滅ぼせるほどの強さを持っているけれど、悪魔の体にも、主の体にもかなり負担がかかる。
ほぼ間違いなく「鎖」は切れてしまうため、主の人間にとっては悪魔に変身を命じることは死ぬことと同じだ。
そして僕たち悪魔も、休息が必要になる。これは本当に必要な時にだけ使う奥の手だ。
だが、僕とアンジェネの「鎖」はまだ切れていない。
そうだ、アンジェネ!
「アンジェネは!?」
僕がたずねると、エマは微笑んだ。
「ご心配には及びません。アンジェネ様はご無事です」
ですが、とエマは言葉を続けた。
「エルテンス様が眠っておられる間、ほとんど何も召し上がろうとせず、一睡もせず、貴方のお傍にずっと付いたままで……。先ほど、ようやくお休みになりました。私がやや強引に寝室へお連れしたのですが……」
「……そうか。なら、しばらく寝かせておいてあげよう」
怪我をしていないなら安心だ。五日間ほぼ眠らず食べずであれば、さすがに限界が近いだろう。
「お着換えをお持ちしましたが、お体の具合はいかがですか? お怪我はアンジェネ様の魔法で治っているかと思いますが……」
エマが新しい衣服を寝台の傍らの机に置いた。
そういえば、剣で斬られたり、矢で射られたりしたはずだが、痛みはない。
「僕はもう大丈夫。それより、聞きたいことが山ほどある」
僕が言うと、エマがこちらを見た。何を聞かれるかはきっと分かっているはずだ。
「……まだ、何も答えられない?」
「……いいえ」
エマは少し黙った後、答えた。
「もう、隠す必要はないでしょうから」
「そこ、座っていいから」
エマが失礼します、と頭を下げ、部屋の椅子を寝台の横に持ってきて腰かけた。
「聞かせて。アンジェネは何者で、どうして処刑されようとしていたのか」
「お話しします」
エマはゆっくりと語り始めた。
***
「アンジェネ様は……この国の王様の娘、王女様としてお生まれになりました」
「……本当なんだ」
処刑場で聞いたことは嘘ではなかったのだ。
森の中とはいえ、それなりの屋敷に住んで、侍女もついているのだからそこそこの身分ではあると思っていたけれど、まさか王女だったなんて。
「はじめのうちは、ごく普通の女の子であったそうです。不思議な力を使うことなどなかったのです。アンジェネ様のお父上、国王様はとても気難しいお方でした。気に入らないことがあれば、貴族相手にも怒鳴り、使用人は鞭打ちの罰をお与えになる。その日、たまたま一人の使用人の態度が気に入らないと、直ちに鞭を持ってこさせ、その使用人を罰しようとしたのです。まだ五歳になったばかりのアンジェネ様の目の前で」
権力におごって、滅茶苦茶なふるまいをする人間なら僕も何人も見てきた。
「アンジェネ様はお優しい方でした。国王様にすがり、罰をやめるよう何度も頼んだのですが、国王様はまったく聞き入れなかったそうです。その時、初めてアンジェネ様は、不思議な力、魔法を使ったのです。鞭を退け、一瞬で使用人の傷を治しました」
そんなに小さい頃から、アンジェネは魔法の力を持っていたのか。しかも、傷を治す魔法まで。
「その力を見た国王様も、王妃様も、周りの人間も大層驚いたそうです。直ちに国中の学者や貴族が集められ、アンジェネ様の力の謎を解き明かそうとしましたが、誰にも何も分かりませんでした。今まで、魔法を使う人間がこの国に生まれたことはなかったのです」
僕も魔法を使う人間に会ったのは、アンジェネが初めてだ。数百年生きている僕でさえかなり驚かされたのだから、その時の人間たちにとってはかなりの恐怖だったことだろう。
「人間には到底できないことをいとも簡単に成し遂げる謎の力、それを恐れた国王様は、アンジェネ様を、王族の別荘であるこのお屋敷にお一人で住まわせることにしたのです。何も知らない国民には、王女は死んだと告げ、アンジェネ様の魔法のことを知っている者には、決して口外してはならないと釘をさしました。アンジェネ様は、幽閉されてしまったのです」
「たった五歳で、ここに一人?」
それが本当なら、アンジェネは十一年、ここにいることになる。人間にとってはかなり長い年月だろう。
「お食事や、身の周りのお世話は、私のような侍女が通って行っていましたし、王妃様も、時間があればこちらへいらしてアンジェネ様と過ごしておられました」
「国王は? 父親なんだろう?」
僕がたずねると、エマは首を振った。
「国王様は、アンジェネ様を魔女と呼び、一度もこちらには来られませんでした。あとから聞いた話では、王妃様にも、魔女を生んだと言って辛くあたっていたと」
どうやら国王は血も涙もない奴らしい。母親がまともな人間だっただけましだろう。
「……アンジェネ様がこのお屋敷に移り住んで三年後、王妃様は病でお亡くなりになりました。それから、ここを訪ねるのは一部の侍女だけとなりました」
その時から、アンジェネは独りぼっちも同然だったということだ。
「アンジェネ様が退屈しないよう、多くの本や服がここには届けられました。しかし、アンジェネ様はずっと、お友達が欲しいと仰っていました」
しかし、アンジェネが生きていて、しかも魔女の力を持っていることは国民には知られてはいけない。
外部から人間を連れてくることはできなかったのだろう。
「国王様はずっとお城におられましたが、どんどん圧政を行うようになっておりました。重税を課し、貧困にあえぐ民のことは気にもとめず富を独占し、貴族でも、国民でも、逆らえば死刑となる……。そしてある時、民たちは我慢の限界を迎え、一斉に、国王様に対し反旗を翻したのです」
いわゆる革命というやつか。珍しい話ではない。
「押し寄せた民にお城は占拠され、国王様は捕らえられ、斬首刑となりました。国王様に取り入って贅沢な暮らしをしていた貴族たちも処刑、となった時、ある貴族が、自分を見逃してもらうため、アンジェネ様のことを話したのです」
「まさか……」
「王女はまだ生きている。しかも恐ろしい魔法の力を持っている魔女だ。魔女を殺さない限り、この国は災いから逃れられない、と。その貴族はこのお屋敷の場所まで洗いざらい話し、腕に覚えのある者たちがここへやって来たのです。アンジェネ様が十六歳になった日、私がこのお屋敷を出てお城に着く頃には、既にアンジェネ様を捕らえるべく人が向かっておりました」
「そんな! じゃあ……」
僕がアンジェネに眠らされた後、彼女は捕まって、城まで連れてこられた。
そして次の日、父親と同じように首を刎ねられるところで、僕に助けられた、ということか。
「どうにかアンジェネ様を助けたかったのですが、私には手立てがなく……。申し訳ないことをしてしまいました」
エマが頭を垂れて言った。しかし彼女に落ち度はないことは僕にも分かっていた。
「滅茶苦茶じゃないか……!」
エマの話を聞いて、怒りがふつふつと沸き上がってきた。アンジェネは悪いことなんて何もしていない。
ただ、魔法の力があるというだけでこの屋敷に追いやられ、独りぼっちで暮らすことを余儀なくされたうえ、一方的に悪だと決めつけられ処刑されかけた。そんなことあっていいはずがない。
変身したときに、あの場にいた奴は全員焼き殺してやればよかった。
「エルテンス様、アンジェネ様は、復讐など望んでおりません」
僕の心中を察してか、エマが言った。
「……どうして、アンジェネは抗わなかったんだろう。アンジェネの力なら、魔法でこの屋敷を隠したり、追手を退けることもできたはずなのに」
僕に、自分を守れと命令することだってできたはずだ。
「……アンジェネ様が十二歳の頃のことです。アンジェネ様は私に、自分は十六歳になった時、死ぬのだとお話ししました」
エマがそう言って、目を伏せた。
「私は魔女だから、魔女は悪役だから、人に恨まれて死ぬの、と……。その時の私は、アンジェネ様はきっと寂しい思いを募らせてそのようなことを仰ったのだと思っていたのです。ですが、あの時から、アンジェネ様はそのお力で、この国と、ご自身の運命を予知していたのかもしれません。自分が犠牲になることで、この国は変わるのだと」
わたしは魔女。魔女は悪役にならないといけないの。
アンジェネの手紙の中にも、同じことが書かれていた。
「長く生きられないと悟っていても、どうしてもお友達が欲しかったのでしょう。だからアンジェネ様は……」
「僕を呼び出した」
孤独に生きることを強いられ、穏やかに死ぬことを許されない定め。
最初からすべてが決められている運命なんて、幼い子供が背負うにはあまりにも残酷すぎる。
ええ、とエマは頷いた。
「しかし、エルテンス様がその運命を変えたのです」




