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20章 もう一つの姿

 街の中は異様に静かだった。道の脇にずらりと並ぶ露店の陳列棚には上から布がかけられ、

店主たちの姿はどこにもない。家々の扉も窓も閉じられ、中の様子をうかがい知ることはできなかった。

 誰にも僕の姿を見られることがないのは有難いけれど、ここまで人がいないのは妙だ。

 「鎖」は僕をさらに街の奥へ導いている。行きつく先は城だろうか。

 街中を駆け抜け、広い階段を登ると、目の前に現れたのは巨大な鉄製の門だった。

 開かれた門の奥は広場になっているようだが、溢れんばかりの人間に埋め尽くされている。口々に何かを話しているのが聞こえた。

 街に人が誰もいなかったのは、ここに集まっていたからだ。でも何のために?

 広場の向こうにあるのは城のはずだ。石でできた壁が、広場をぐるりと囲んでいる。

 そして、アンジェネの気配を強く感じる。

 何があるのか確かめたいが、僕の姿は目立つ。怪しまれてつまみ出されるかもしれない。

 一旦、門の左手に回り込み、周りに人目がないことを確かめて、杖を取り出した。それを軽く振る。

 姿を消し、透明になる魔法だ。今の僕を視認できる者は誰もいない。触れることもできない。

 群衆の間をすり抜け、広場の前のほうまで移動した。

 今、ここには人間が何人ぐらいいるのだろう。

 広場の奥には城がある。白い石で造られ、いくつもの尖塔がそびえたつ豪奢な城だ。

 やがて、人の群れの一番前の列まで来た。そこには、階段がついた木の台が置かれていた。

 舞台のように見えた。十数人の人間なら乗せても問題なさそうだ。人間たちは、何かを待っているらしい。

 しかしアンジェネの姿はない。

 辺りを見回してアンジェネの姿を探していると、城の方から誰かが出てきて、舞台へ上がってきた。

 現れたのは一人の男だった。身なりは派手ではない。簡素な鎧のようなものを着ている。

 男は長く太い縄を手に持っていた。縄は男の後ろに伸びており、その先端に、何かが繋がれている。

 舞台の上に現れたその姿を見て、僕は思わず叫びそうになったのを慌てて抑えた。


「……っ!」


 縄に繋がれていたのはアンジェネだった。両手を縛られていて、その縄の先を鎧の男が持っている。

 彼女は簡素な白い衣服をまとっていた。俯いていて、表情まではよく見えないが、抵抗する素振りも見せず、男に引っ張られるまま大人しく歩いている。

 その後ろに、長い得物を持った兵士のような男が二人、ついて行っている。

 今までざわめいていた人々が急に、水を打ったかのように静かになった。


「皆の者、聞け!」


 アンジェネを捕まえている男が声を張り上げた。


「この娘が王家の最後の生き残りだ! 憎むべき王の血をひく娘、人ならざる力を持つ魔女だ!」

「なんだって?」


 僕は思わず呟いた。最後の生き残り? 王の娘?

 アンジェネは僕にそんな話を一度もしたことがない。


「いよいよ、我々は長年にわたる耐えがたき苦痛から解放される!」


 男が叫ぶと、人々が歓声を上げ、拍手が沸き上がった。

 舞台の上に、黒い覆面をつけた大柄な男が現れた。片手で大きな斧を肩に担ぎ、もう片方の手に台のようなものを抱えている。

 覆面の男が、台を舞台の中央に置いた。鎧の男がアンジェネを引き寄せると、アンジェネは膝をついて、台の上に頭を乗せた。

 僕は全身の血が一気に凍りつくのを感じた。

 殺される。アンジェネが。


「魔女に死を!」

「王女に死を!」


 鎧の男が叫ぶ。人々もそれに応えるように繰り返した。

 覆面の男が斧を構える。アンジェネはぴくりとも動かなかった。訪れる最悪の結末を受け入れようとしているのか。

 ――させるものか。

 もし君が逆らわないとしても、僕が絶対に許さない。


「アンジェネ!」


 斧が降りあがるその瞬間、僕は舞台の上めがけて全速力で走った。

 アンジェネの首が斬り落とされる前に、僕は魔法をといて姿を現した。彼女と覆面の男の間に割り込み、振り下ろされた斧を杖で受け止めた。

 不測の事態に覆面の男は驚いたようで、後ろに飛びのいた。


「エル……!?」


 アンジェネが呟くのが聞こえた。まさか僕が来るなんて思っていなかったのだろう。

 彼女が処刑されるのを今か今かと待っていた群衆は、驚き、戸惑っている。広場が一気にざわついた。


「何者だ」


 あまりに突然のことに唖然としていたらしい鎧の男が我に返ったようで、腰に帯びていた剣を抜いた。控えていた兵士二人も武器を構える。


「僕はアンジェネの友達だ」


 僕は短く答え、膝をついたままのアンジェネを立たせて両手を縛っている縄を断とうとした。

 しかし鎧の男がそれを許さず、僕の腕をつかんで剣の切っ先を向けてきた。


「魔女の腹心か」


 僕は男の手を振り払いなおも答えた。


「違う、友達だ。アンジェネを返してくれたらお前たちには何もしない。二人で家に帰る」

「エル、だめ」


 アンジェネがか細い声で訴えてくる。だが、ここで引き下がる気はない。


「捕らえろ」


 鎧の男の命令に、二人の兵士が武器を突き出してきた。

 僕はアンジェネを背にかばい、杖を振り下ろした。一人目の兵士の武器を真っ二つに叩き折り、杖の先で眉間を殴る。

 すぐに降って来た二人目の兵士の追撃を受け止めて押し返し、よろめいた隙に腹に突きを喰らわせた。


「貴様!」

 

 鎧の男が怒りの声を上げ、斬りかかって来た。僕が一撃を杖で止めると、すぐに後ろに飛びのき、次の一手を繰り出してくる。

 僕たちを黙って逃がしてくれるつもりはないらしい。

 僕は杖を構えて男に突っ込んだ。振りかざされた剣をかわし、剣を持つ男の手を杖で打った。

 剣を落とすことはなかったものの、男は痛みに顔を歪め動きを止めた。

 男の頭に打撃を加えようとした、その瞬間、背中に刺すような痛みを感じた。


「エル!」


 悲痛な声でアンジェネが叫ぶ。

 自分の背中に目をやると、矢が三本、背中に突き刺さっているのが見えた。どこかに潜んでいる兵士が放ってきたのか。

 続けざまに矢が飛んできた。今度はすんでのところで叩き落としたが、隙を突かれ、鎧の男の剣に肩から腹にかけて深く斬られた。

 焼けるような痛みが体中を駆け巡り、黒い血しぶきが飛んだ。

 武器を持ち、鎧を着た人間たちが、いつの間にか舞台の周りを囲んでいた。これ以上僕が暴れれば、一斉に襲いかかってくるだろう。


「やめて! わたしは逃げないから、彼に酷いことしないで!」


 膝をついた僕の隣にアンジェネが駆け寄ってきた。僕と鎧の男の間に立ち、男の顔を見上げて懇願する。


「わたしが死ねば、すべて終わるから……」


 ――終わる。

 そんなの嫌だ。

 終わらせない。絶対に。


「嫌だ……」


 僕は声を絞り出し、ゆっくりと立ち上がった。足元はふらつくが、何とか踏ん張る。

 体に矢が刺さり、黒い血を流す僕の姿は、さぞかし異様に見えているだろう。

 それでも構わない。もとより悪魔は異様な生き物だ。

 僕が立ち上がったのを見て、一度は剣を下ろしかけた男が再び戦う体制に戻った。

 僕が先ほどねじ伏せた二人の兵士も起き上がり、僕を睨みつけている。


「まだ……終わりじゃない……」


 大きく息を吸い、そして吐き出す。

 二度、三度、繰り返すうちに、全身の血が沸き立つのを感じる。熱い。

 体がむくむくと膨れ上がり、上へ伸びていく。異様な光景を目にした人々の驚く顔が、目線の下になっていく。

 体に刺さっていた矢が抜け落ちた。今、僕の全身を覆っているのは、緑色の鱗だ。

 手は人間のそれの形を失い、鉤爪が生えた形になった。足はなくなった。太い尾と腹で体を支えている。

 背中からは翼が生えている。蝙蝠のそれと似た巨大な翼。一度羽ばたいただけで、突風が巻き起こる。

 今まで立っていた木の舞台が、僕の重みに耐えきれずぐしゃりと潰れた。

 舞台上にいた鎧の男と兵士二人がよろめく。僕は傍にいたアンジェネを手でつかみ支えた。

 アンジェネは茫然とした表情で僕を見つめていた。

 かつて、僕のこの姿を見た人間たちは、蛇の化け物だ、竜だと口々に騒ぎ立てた。

 前に、僕のことを物語の中の王子のようだと言った君は、この姿を見て、どう思っているのだろう?

 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 アンジェネを助けるためなら、手段なんて選ばない。

 今の僕の顔は、広場全体が見えるほど高い位置にある。

 僕は群衆を見下ろすと、口の中にずらりと並んだ牙を見せつけるかのように吠えた。

 どんな獣にも似つかない咆哮に人々は怯え、そして我先にと門に向かってなだれ込んで行く。

 どこからかまた矢が飛んできた。しかし、今度は僕の体に刺さることなく、体に当たるだけで木の枝も同然に地に落ちた。

 さて、最後の仕上げだ。本当はここにいる全員を焼き殺してやりたいくらいだが、頭の片隅に残った理性でそれを阻んだ。

 目的はアンジェネと二人で逃げることだ。

 天を仰ぎ、唸り声と共に、青い炎を口から吐き出した。体をくねらせ、尾で地面を叩く。

この怪物の姿を目にして、まだ戦う意志を見せていた人間たちも、僕が噴き出した炎を見て、命が惜しくなったらしい。

 悲鳴を上げながら逃げていく非力な人間たちを後目に、僕はアンジェネの体を掴み、空へ舞い上がった。

 襲ってくるものはもう誰もいない。あとは森へ、僕たちの家へ戻るだけだ。

 空中で止まり、もう一度、下を見下ろした。混乱の中、広場の隅で、こちらを見上げている顔が一つあった。

 エマだ。

 表情までははっきり見えなかったが、エマは僕の姿を見つめ、頷いた、ように見えた。

 心配いらない、というつもりで吠えてみせたが、聞こえてくるのは人々の恐れおののく声だけだった。


***


 アンジェネを掴んだまま、翼をはためかせて飛び続けた。

 彼女は何も言わず、動くこともなく、ただただ黙って僕の手の中におさまっていた。

 やがて眼下に森が広がり、慣れ親しんだ屋敷が見えてきた。

 少しずつ高度を下げていく。地面が近づいてくるにつれ、、僕の体はどんどん縮んでいき、

アンジェネを下ろすと同時に、もとの姿に戻り、そのまま地面に倒れた。


「エル!」


 ぐったりと地面に横たわった僕の体をアンジェネが揺さぶる。

 彼女に怪我はなさそうだ。

 だが、僕はもう限界だった。

 体がひどく重い。意識が薄れていく。


「エル! エル!」


 アンジェネ、悪いけど、少しの間だけ、眠らせて……。

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