19章 独りぼっちの悪魔
目を覚ますと、自室の寝台の上だった。
窓の外は明るい。朝になっている。
どうして一晩も眠っていたのか一瞬、理解ができなかったが、昨晩のことを思い出した。
「アンジェネ!」
僕は昨日、アンジェネと踊っていて、彼女に、多分魔法をかけられて、急に気を失った。
一体どういうつもりだ。悪戯にしては度が過ぎている。
寝台から飛び降り、アンジェネを捕まえて問い詰めてやろうと勢いよく扉の取っ手を捻った。
――取っ手が動かない。
まるで凍ってしまったかのようだ。力をこめてもびくともしない。閉じ込められているのか?
まさかアンジェネが? どうして?
「アンジェネ!」
僕は扉をどんどんと拳で叩きながら叫んだ。
「ここから出して! どういうつもりなんだよ! 悪戯にしては趣味が悪すぎるって!」
しかし返事はない。物音すらも聞こえない。
「怒ってるの!? 僕がなにかした!? ならこんなことしないで直接言ってくれないと分からないって!」
やはり、何も聞こえない。
目を閉じて集中し、「鎖」を手繰ってアンジェネの居場所を探ろうとしたが、扉の向こうより先をたどることができない。
手荒な真似はしない方がいいと分かってはいたけれど、杖を取り出し、力をこめて扉を思い切り突いた。
扉はびくともしない。杖を持つ手が痺れた。
僕ははっと振り返った。窓に駆け寄り、同じように杖を振りかざす。しかし結果は同じだった。
本当に閉じ込められているらしい。
ただの扉や窓がこんなに頑丈なはずがない。考えられるのは、アンジェネが魔法で細工をしていること。だとすれば、「鎖」をたどることができないのも合点がいく。
しかし何のためなのか、まったく見当がつかない。
途方に暮れていると、上着の内側から何かが落ちた。拾い上げてみると、封がしてある手紙だった。裏に、「エルテンスへ」と書いてある。アンジェネの字だ。
焦る気持ちを抑え、中身ごと破ってしまわないように封を開けた。
エルテンスへ
この手紙を読んでいるということは、貴方はわたしの心臓を食べなかったということね。
どうして、と聞きたかったけれど、もうエルと会うことはないでしょう。
何も説明してあげることができなくてごめんなさい。だけど、わたしは魔女。
魔女は悪役にならないといけないの。本の中の物語のように。
部屋に魔法をかけました。わたしが死ぬまで、扉も窓も開くことはないわ。
わたしが死ねば、エルはもといたところに帰れるでしょう?
本当はこんなかたちでお別れしたくなかったけれど、
貴方といると、きっとわたしは甘えてしまう。
貴方といると、生きていたい、と思ってしまうの。
だけど、わたしは満足よ。最後に、とても素敵な思い出をもらったから。
たくさん我儘を言ったことは分かっています。
わたしにとっては初めての友達で、つい嬉しくなってしまったの。
でも、エルはそんなわたしを受け入れてくれた。貴方は悪魔だけれど、とても優しい悪魔。
わたしにとってエルは初めての友達で、最高の友達よ。
エルにとっても、わたしが最高の友達であればと思うけれど、それはきっと欲張りすぎね。
エル、本当にありがとう。
貴方に会えて、わたしは幸せだったわ。
エルにたくさんいいことがあるように、わたしに残されたすべてをかけて願います。
さようなら。
誰よりも、貴方のことを愛しているわ。
アンジェネ
どういうことだ?
死ぬ? アンジェネが?
殺される? 魔女だから?
何ひとつ、分からない。
「アンジェネ!」
もう一度叫んだ。扉の向こうは静かなままだ。
アンジェネは屋敷にいない。手紙に書いてあることが本当なら、誰かに連れて行かれたのか。
しかし、僕はまだこの世界に実体を保っている。つまり、アンジェネはまだ生きているはずだ。
行かないと。
部屋を出るには、窓か扉を破るしかないが、アンジェネが魔法をかけているなら、僕にはきっと破れない。
いや、そんなことを言っている場合じゃない。何としてでも出るんだ。
何度も何度も、杖で扉を殴った。開く気配のない扉に、体当たりをかます。
「開けっ! 開けよっ!」
アンジェネが死ななければならない理由なんてどこにもないはずだ。彼女の力は魔女のそれだが、彼女自身は、ただの人間の女の子なのだから。
こんな屋敷に閉じ込められて、友達もいなくて、悪魔にすがるしかなくて、そんな不幸な女の子が、悪役なわけないじゃないか。
助走をつけ、渾身の力で扉に突進した。扉に衝突し、痛みが全身を駆け抜ける。
「ぐっ……」
肩で息をしながら、扉から離れた。僕の力でこんなにぶつかってもびくともしないのだから、相当強い魔法がかかっているのだろう。
僕ではどうしたって開けられないのかもしれない。アンジェネの魔法は、僕では到底太刀打ちできないものであるのは分かっていた。
けれど、アンジェネともう二度と会えないまま終わると思うと、胸の奥が痛んだ。体に感じるそれより、もっともっと痛い。
「……やるんだ」
扉を見据え、力をかき集める。僕は悪魔だ。巨大な化け物ですら倒す悪魔だ。
放たれた矢のように、猛然と扉に突っ込み、全身を扉に打ち付ける。
その瞬間、体がふっと軽くなり、そのまま僕は床に倒れた。体の下では、あれほど破れなかった扉がただの木の板と化している。
「やった……!」
起き上がり、もう一度「鎖」を辿った。「鎖」は屋敷を抜け、森の奥へ伸びているのを感じる。
やはりアンジェネは森の外へ行ったのだ。今まで、かたくなに出ようとしなかった森を抜けた。
彼女の身に、何かが起きている。
廊下を突っ走り、階段を駆け下り、屋敷を飛び出す。そのまま「鎖」を頼りに、森の木々の中を駆けて行った。
忌々しいはずの「鎖」だが、今は大事な道しるべだ。
視界を遮る枝葉を払いのけ、地を這う木の根に何度かつまずきながら走り続けると、突如視界が開けた。
目の前を石造りの街道が横切っていて、その先に多くの建物が集まっている。街だ。
目を凝らすと、尖塔を携えた城が建っているのが見えた。
「鎖」は街に向かって続いている。
あそこにアンジェネがいる。僕は再び地面を蹴って、街道を真っすぐ進んでいった。




