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18章 誕生日

 翌日。


「おはよう! エル!」


 自室がノックされ、僕が返事をするかしないかぐらいの間合いで、勢いよく扉が開き、アンジェネが入ってきた。

 昨夜の静かな様子が嘘のように明るい声と表情だ。


「……おはよう」


 何か嬉しいことでもあったのだろうか。

 椅子に腰かけ、杖を磨いていた僕の隣にアンジェネが駆け寄り、腕をきゅっと掴んできた。


「今日はね、わたしの誕生日なの! わたし、十六歳になったのよ!」

「……へぇー」


 きらきら輝く目で見つめてくるアンジェネだったが、僕はいかにも無関心、な返事しかできなかった。

 誕生日、人間は自分が生まれた日が来るたびに祝うらしいとぼんやり分かってはいたが、

たかが一年過ぎたくらいで、というのが正直な僕の感想だった。悪魔が不老だからだろうけど。


「だからね、エルにお祝いして欲しいの」


 僕のまったく興味なさげな態度など意にも介せず、アンジェネが笑顔でねだってくる。


「お祝いって言ったって、何をすればいいのさ」


 当然、今まで僕が誰かの誕生日を祝った経験などあるはずもない。

 僕が今まで見てきたのは生ではなく、死ばかりだ。


「そうね、わたしと一緒にいて?」

「それじゃ、普段と変わりないよ?」


 毎日一緒に何かしらしているのだから、お祝いとは違うような気がするのだけれど、アンジェネは僕の腕をぐい、と引っ張った。


「いつも通りでいいわ。それが一番楽しいもの」

「……はいはい」


 まぁ、アンジェネがそう言うなら仕方ない。僕は立ち上がると、アンジェネに腕を引かれて部屋を出た。


***


 本当にいつも通りの日常だった。

 二人で屋敷の周りを散歩して、本を読んで、昼食をとり、昼過ぎにはお茶。

 アンジェネは終始楽しそうだった。一歳年をとる、というのがそんなに嬉しいことなのかは分からないけれど、

 昨日のどこか影のあったアンジェネの様子を思うと、元気になったのは良いことだろう。

 お茶をしているところにエマがやって来た。アンジェネの誕生日だから、好物をたくさん作るという。

 毎年、エマの料理が楽しみなの、とアンジェネが言うと、エマは嬉しそうにしていた。

 いつもより豪華な夕食が終わり、片づけをして屋敷を引き上げていくエマを見送った頃には、すっかり暗くなっていた。


「エル、わたし、準備があるから。広間で待っていてくれる?」

「……いいけど、まだ何かあるの?」

「最後にやりたいことがあるの」


 今日はもう十分じゃないか、という気はしたが、まだ足りないらしい。アンジェネはふふっと笑って、跳ねるように2階へ続く階段を登り自室へ戻っていった。


***


 言われるまま、屋敷の一階の奥にある、広間で待つことになった。結構時間が経った気がするが、アンジェネはまだ現れない。

 準備って、何をしているんだろう。こんなに時間がかかるなら僕に手伝わせればいいんじゃないか。

 様子を見に行こうか、と思ったその時、広間の扉が開いた。


「おそ……」


 文句の一つでも言ってやろうと、現れたアンジェネの方に顔を向けたが、その姿を見て言葉を失ってしまった。

 アンジェネは着替えをしていたのだ。いつもはどちらかというと動きやすさに重きをおいた簡素なつくりのドレスを着ているけれど、今は、ふわりと広がった、薄い青色の豪奢なドレスに身を包んでいる。袖口や裾まわりにきらきらした金の糸で、複雑な模様が刺繍されている。

 髪には、銀色の宝石を散りばめた、花をかたどった飾りをつけていた。

 いつもはわりと子供のような言動が多いアンジェネが、別人のように大人びて見えた。


「遅くなってごめんなさい。一人で着るのが大変で……。エマに手伝ってもらえばよかったわ」


 アンジェネがこちらに近づいてくると、衣擦れの音と、こつこつという音が聞こえてきた。

 裾に隠れて見えないが、今は靴を履いているようだ。

 アンジェネが僕の顔を見上げて小首をかしげた。


「似合ってるかしら?」

「え……あ、ああ」


 突然のことで、はっきりしない返事しかできなかった。ただ着替えただけなのに、すごく動揺しているのを感じる。


「……似合ってる」


 そう言うと、アンジェネは笑みを浮かべた。


「ふふ。ありがとう。嬉しいわ」

「……で、僕に見せるためにわざわざ着替えたわけ?」

「それもあるけれど、やりたいことがあるの」


 アンジェネがドレスをつまみ、お辞儀をしてみせた。


「素敵な貴公子様、わたしと踊って頂ける?」

「は……?」


 まるで物語に出てくる、どこかの国の王女のような振る舞いだ。いや、それを再現しているということか。

 もしそうなら、ここは城の舞踏会。さしずめ僕はどこかの貴族、ということになる。

 とはいうものの……


「僕、踊り方を知らないよ」


 文字の読み方と同じで、誰かに習ったことなんてない。

 僕の反応をよそに、アンジェネは笑って僕の手をとった。


「わたしの動きに合わせて?」


 音楽もなく、彼女に引っ張られるままに足を踏み出す。傍からみればかなり滑稽なものだろう。

 彼女の足を踏んづけないかひやひやしっ放しだったけれど、しばらくすると少しずつどう動けばいいかが分かってきた。


「上手よ」


 アンジェネが囁いて、僕の手を離れてくるりと回った。

 長い髪とドレスが空気をはらんで広がる。

 花が咲いたかのようなその姿に釘付けになり、僕は足を止めた。

 ――まただ。

 どうして、アンジェネから目が離せなくなってしまうんだろう。

 アンジェネがまた僕の手をとり、もう片方の手を僕の肩において、僕を導くように足を運ぶ。


「ねぇ、エル」


 踊り続けながら、アンジェネが僕に呼び掛けた。


「なに?」

「……今、わたしの心臓、貴方にあげる、って言ったら、もらってくれる?」

「っ!?」


 あまりにも思ってもみない言葉に、僕は思わず止まって、アンジェネの顔をまじまじと見た。


「わたしが、本当に心から思えば、貴方はわたしの心臓を食べられるようになるのでしょう?」

「からかうのはよしてくれ」


 今までそんな素振り、一度も見せなかったくせに。


「からかってないわ。本当に」


 どうやら、冗談ではないらしい。

 今なら、食べられる。もう当分得られないだろうと思っていた、人間の心臓。

 アンジェネの白い肌の下に、赤い心臓が透けて見えるかのようだ。

 いくら魔女といえど、心臓を抉り出せば、彼女は死ぬ。僕はそれを食べて、悪魔の世界に戻る。

 そしてまた、次の獲物を見つけるまで待つ生活。アンジェネと出会う前に送っていた、今まで通りの「悪魔」の生き方。

 死んだ人間は蘇らない。アンジェネと、もう二度と会うことはなくなる。

 ――動けなかった。

 何をしている、早くしろ、アンジェネの気が変わらないうちに。

 悪魔の本能が、必死に僕に呼び掛けている。

 くだらないお喋りをしなくてよくなるし、甘ったるい菓子を食べなくて済むし、字を読む必要も、踊る必要もない生活に戻れる。

 得体の知れない力を持った魔女と友達ごっこをしなくてよくなる。

 何よりも、この生活から抜け出したかったはずだ。一度は諦めかけたものが、今、僕の目の前にある。手を伸ばせば届く。そのはずなのに。


「僕は……」


 君にもう会えなくなるのなら、その体が冷たくなって、もう二度と笑わなくなるのなら――


「いらない」


 僕はこのままでいい。


「……そう」


 馬鹿なことをしてしまったのは分かっていた。この先も僕はずっと、契約の「鎖」に縛られたまま生きることになる。

 それでも僕には、アンジェネの体から心臓を抉り出すことができなかった。


「エル」


 アンジェネが僕の顔を見た。悲しいのか嬉しいのか、どっちなのか分からない表情で。


「ありがとう」


 アンジェネが呟くように言い、僕の首の後ろに手を回した。そのまま、ぐっと背伸びをする。

 柔らかく、ほのかに温かいものが、僕の唇に触れた。

 それがアンジェネの唇だと分かっても、僕は彼女を突き放すことができなかった。

 誰かとこんな風に触れ合ったことはない。他が相手なら、受け入れることはないだろう。

 けれど、アンジェネがこんなに近くにいて、触れ合っていることがとても心地よくて――

 心臓を食べた時よりも、心が満たされているような気さえする。

 アンジェネの顔が離れ、また見つめあう形になった。

 今のはなに、と聞こうとした瞬間、ぐらり、と視界がゆれた。


「うっ!?」


 僕は呻き、後ろによろめいた。痛みは全くないが、体がひどく重い。立っていられない。

 後ろに倒れ込んで頭を打つことだけはなんとか避け、前のめりになって膝をついた。

 重い頭をあげ、アンジェネを見た。彼女は何も言わず、くずおれる僕の姿を黙って見つめていた。

 何をしたんだ、と聞きたかったが、舌が回らない。口からは情けないうめき声だけが漏れ、上体を支える力も失って、目も開かなくなり――


「あ……」


 そのまま、意識を失ってしまった。

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