表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/27

10章 壊れた感情

 それからまた日が経ち、僕とアンジェネはまた、夜の森の中、悪夢のような化け物と対峙していた。

 アンジェネが持つランプから放たれる光を浴びて、化け物が苦し気にのたうつ。

 化け物の注意をこちらに向けるため、僕は杖で魔法の球を作り、奴の黒い体にぶつけた。

 それに怒った化け物が唸り声をあげ、不気味な腕を伸ばして僕に掴みかかって来る。慣れれば避けるのは難しくない。

 迫りくる腕をひらひらとかわしながら、僕はアンジェネの様子をうかがった。

 彼女は化け物から距離をとり、ランプを掲げている。

 このまま僕が囮になり続けていれば、あまり時間を長くかけずに化け物は去っていくだろう。

 不本意ではあるが、もう少し我慢するしかない。

 化け物が咆哮した。僕に攻撃が当たらないことにいら立っているようだ。腕を乱暴に上下に振り、地面をあちこち叩き始めた。

 あれに当たれば無傷ではいられない。


「アンジェネ! 気を付けて!」


 声を張り上げ、アンジェネに呼び掛けたその瞬間、視界がぐるりと逆さまになった。帽子が頭から離れ、地面に落ちた。

 何かに片方の足首を掴まれ、宙に持ち上げられていた。化け物の腕だ。地面を叩いていた方とは逆の腕に捕まってしまった。


「エル!」


 怯えた顔で僕を見上げるアンジェネと目があったと思ったら、体がひゅん、と風を切り、鈍い痛みが全身を駆け巡った。


「はっ……!」


 掠れた声が口から漏れた。地面に勢いよく叩きつけられた僕の体が再び持ち上げられる。


「やめなさい! エルを放して!」


 アンジェネが叫び、ランプの光を強めた。光が太い線となり、化け物の体に突き刺さる。

 光線を受けた化け物は耳をつんざくような悲鳴をあげ、掴んでいた僕の足首を放した。

 咄嗟に受け身をとり、地面に着地する。先ほど体を地面に思い切り打ち付けられたせいか少々ふらつくが、それ以外は何ともない。

 だが、今のアンジェネの反撃のせいで、化け物の怒りの矛先が彼女に向いてしまった。

 奴が腕を振り上げた。それをまた振り下ろしてくるのかと思ったら、腕の先がぐにゃりと変形し、刃のようになった。

 それが意味することを悟った瞬間、僕は放たれた矢のように駆け、アンジェネの前に飛び出した。

 杖で刃を弾くには遅かった。盾になったのは僕の体だ。

 焼けるような痛みが腹を焦がし、生温かいものが広がっていく嫌な感覚がする。


「ぐっ……」

「エル! 大丈夫!?」


 耐えきれず腹をおさえてうずくまった僕に、アンジェネが呼び掛ける。

 僕の体から滴る黒い血を目の当たりにした彼女が、はっと息を飲んだ。


「なんてこと……!」


 化け物が唸り声をあげた。アンジェネが奴を睨みつけ、一歩、また一歩と歩みを進める。


「……許さないわ」


 風が急に強くなった。周りの木が風を受けて激しくしなり、何枚もの葉が宙を舞う。

 自分を囲む空気が変わったことに化け物も気づいたらしい。攻撃をしてこず、腕を宙に泳がせて戸惑っているような素振りをみせた。

 その隙に、アンジェネがランプから光を放った。光は化け物の体ではなく、宙に向かっていき、一か所に集まって何かの形を成し始めた。

 剣だ。光でできた剣は、ひとりでに高速で動き、うろたえる化け物の、腕の一本を切り落とした。

 化け物が喚き叫び、激しく暴れる。追い打ちをかけるように、アンジェネがランプの強い光を奴に浴びせかけた。


「去りなさい! 今すぐ!」


 堪りかねた化け物が、苦し気な声を上げながら一本だけになった腕で這い、森の奥へ逃げていく。

 やがて風がやみ、静寂が訪れた。


「エル、傷を見せて」


 アンジェネが、しゃがみ込んだままの僕の傍らに膝をつき、僕の腹を覗き込んだ。


「……死にはしないよ」


 腹に当てていた手を見ると、黒い血がべったりとついていた。化け物の腕に、ざっくりと斬られたらしい。

 深手だが、致命傷とまではいかない。


「血が止まらないわ。傷を塞がないと……」


 先ほど、化け物に立ち向かった時の毅然とした態度が嘘のように、アンジェネの顔と声に焦りが浮かんでいる。


「無理だ。こんなに深い傷じゃすぐには治せない」


 今の僕には、自分の傷を治せるほどの力が残っていないし、そもそも大きすぎる怪我は悪魔の力でも、完全に塞ぐことはできない。

 数日大人しくするしかないだろう。


「しばらく休めば治る。悪魔の体は人間とは違う」

「放っておけないわ。じっとしていて、何とかやってみる」


 アンジェネの両手が、腹の傷をそっと押さえた。


「いっ……!」


 しっかり触られると体に激痛が走る。僕は彼女をきっと睨んだ。


「何をして……」

「大丈夫、わたしを信じて」


 そうしている内に、全身の痛みが少しずつ引いてきた。腹の、アンジェネが触れている場所がじんわりと熱を持っている。そのうちに、その熱が全身を包み込んだ。不思議と、不快ではなかった。温められた湯に全身が浸かっているみたいだ。


「血、止まったみたい」


 しばらくして、アンジェネが僕の体から手を引いた。もう一度、傷に手を伸ばしてみると、確かにそこは塞がっていた。


「まさか……」


 これもアンジェネの魔法なのだろうか。

 悪魔ですら持っていない、傷を治す力を使いこなす魔女。

 呆然としていると、ぽすん、と頭の上に帽子が被せられた。先ほど化け物に捕まった際に落としたものを、アンジェネが拾ってきたらしい。


「立てる? ごめんなさい、血がついているけれどよかったらつかまって」


 アンジェネが、僕の黒い血で汚れた手を差し出してくる。


「ああ……、立てる」


 彼女が痛みを取り払ったためか、特に何事もなく立ち上がることができた。


「帰りましょう。屋敷でちゃんと手当をするわ」


 隣に立ったアンジェネに促されるまま、僕たちはゆっくりと帰路についた。


***


 僕は上半身の服を脱がされ、居間の椅子に大人しく座らされていた。

 血で汚れた部分はアンジェネが用意した湯で洗われ、何もしないよりはましだと屋敷にあった軟膏を塗られた。ひりひりして痛い。

 その上に、アンジェネが包帯を巻いていく。


「これで大丈夫。痛いのは続くかもしれないけれど、少しだけ我慢してね」


 僕はアンジェネと目を合わせず、ずっと押し黙っていた。

 血を流すほどの大怪我をしたのは久しぶりだったので、少し動揺してしまったけれど、屋敷まで引き返す道を辿りながら段々冷静さを取り戻し、それと同時に悶々としていた。

 苛立ち、怒りのような何かが胸の奥で渦を巻いている。しかし、誰に対して? あの化け物相手か、それともアンジェネか。

 何にせよ、じっと黙っていないと感情が爆発してしまいそうだ。


「……ごめんなさい」


 アンジェネがぽつりと言った。


「わたしのせいだわ。友達をこんなに酷い目に遭わせて……。エル、本当にごめんなさい」


 友達。

 その言葉を聞いた途端、僕の中でぷつん、と何かが切れた。


「……うるさい」

「エル?」

「腹が立つんだよ。友達、友達って」


 アンジェネは、呆然と僕の顔を見ている。


「僕は悪魔なんだ。君と契約した悪魔。それなのに、友達だなんて言って、馴れ馴れしくされて、こっちがどれだけ惨めな気持ちになるか分かる?」


 僕の中にため込まれていた感情が、どんどん溢れ出して、語気が強まっていく。


「魔女だかなんだか知らないけれど、君の力は強すぎるんだよ。君がくだらない友達ごっこで遊んでる間も、僕はずっと鎖につながれっ放しなんだ。しかもそれがいつまで続くか分からない。

それなのに対等な相手面なんてされて、僕が喜ぶと思う? 独りよがりなんてやめて、いい加減現実を見たらどうなんだよ!」

「あ……」


 アンジェネは、泣きもせず、怒りもせず、何か言いかけては口を閉じ、とうとう黙って俯いてしまった。


「……もういい。一度結んだ契約は、途中で切ることはできないんだ」


 アンジェネが僕を従える力を失うか、彼女か僕が何らかの理由で死ぬか、あるいは、彼女が僕に自分の心臓を渡すと宣言するか、それ以外にこの契約を終わらせる手段はない。

 契約を結んだ悪魔と人間の間には「鎖」の力がはたらく。悪魔は主の人間を殺すことはできないし、人間の方も悪魔の死を願うことはできない。

 もう、後戻りはできない。

 僕は椅子から立ち上がり、大股に歩いて部屋を出た。

 自分の寝室に戻る間も、戻ってからも、アンジェネが後を追ってくることはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ