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君の音を、もう一度  作者: 漆葉響
7/7

淡い春④

「律くん。誤魔化してばっかりだから言うけど、今私の前にあるのは鍵盤楽器のコーナーだよ?」

 ……だよな。

「……そうだね。だから何?家に何か買う予定あるの?」

「今のところ買う予定はないかなー。ってそうじゃない。勿論弾きに来たんだよ!」

 勿論と言われても僕は何も知らない。そんなことに気づいてもいないように弓岡さんはいつものような笑顔で話す。

「……いやいや、ここは買う予定のある人が試す為に置いてあるものだよ」

 何を言っても聞いて貰えそうにないが、常識的なことを話してみる。

「それは大丈夫!前に弾いてみてもいいですかー?って店員さんに聞いたらいいよ、って言ってくれて、弾いてみたらまたおいでって言ってくれたの。今日はいないみたいだけど。だから店員さんと顔見知りだし、周りの人に迷惑かからない程度ならいいかなーって」

 今の時代そんなことがあるのか、と、弓岡さんのコミュニケーション能力の高さに少し引き気味に彼女を見つめる。

「で、律くん、弾ける?」

 やっぱり僕も巻き込まれるのか。

「……弾かない」

「……『弾けない』じゃなくて『弾かない』なんだ。……なんで?」

 急に真面目な表情になった弓岡さんが、本心を見透かすように僕を見る。

 ……こういう人は、苦手だ。

 会って何度か思ったことをまた思う。

 自分の心の内を見せず、相手の内側、深いところまで笑顔で土足で踏み荒らす。

 関わりたくないな、と改めて思う。

「……そのままだよ。ただ、弾きたくない」

 店内の客はまばらだが、扉などはなく通路に面して店舗があるので、歩いている人達がなんだなんだというようにチラッとこちらを見ながら通り過ぎるのが視界に入る。

 気にしないでくれ……と刹那に願う。

「ああ、そう。じゃあ私は勝手に弾いてるよ。律くんは聴いててくれたら嬉しい」

 思っていたよりも早く引くと、またすぐに元の笑顔に戻り、そんなことを言う。

「……ああ。分かった」

 そこまで言われると断るのも悪い気がして、諦めたという表情を作り顔を向ける。

 聴く分には問題は無いはずだ。今までだってそうしてきた。


 僕の同意を当然のように受け取ると、彼女は近くの電子オルガンの前まで歩き、少しいじる。何をしたんだ?とは思うが特に追求はしない。

 そしてその隣に並ぶオルガンの椅子をすっと静かに引いて座る。ふわりと慣れているかのように。舞台へ出る経験てもあったのか。

 まあピアノを習っていれば発表会くらいはあるのかもしれない。

「ねぇ律くん、曲何がいい?」

 ただ弓岡さんの後ろにいた僕を急に振り返り聞く。

「……その辺の譜面でいいんじゃないか?」

 楽譜が置いてあるのが見える。

「あ、あったあった。『人生のメリーゴーランド』だって。ジブリのだね!この曲好きだなぁ。いい?」

 クラシック系かと思いきや、アニメ映画の主題歌だ。ピアノ曲としても有名な。美しく繊細な旋律から、軽やかで楽しげなメロディーへと移り変わる物語が見える曲。

「……いいと思うよ」

「では少し手慣らしを」

 言うと、すっと鍵盤に手を置く。やはり無駄がなく慣れた手つきで。

 そしてするりと弾き始める。

 ……ああ、この曲か。と、聴いてすぐに認識する。

『ブルグミュラー 25の練習曲』より『アラベスク』。弓岡さんの言った"手慣らし"としては確かに最適かもしれない。

 練習曲として有名で、ピアノを弾き始めて少し経つと弾いたりする。僕も前に弾いたことがある。

 慣れれば高度な技術の必要な曲ではないが、両手それぞれでの連符が続いたり、音量の指示など細かい部分があるのでピアノに慣れる為に弾く。

 一曲が短い曲なので、はっと気がつくともう繰り返し部分まできていた。

 聴く、と言ったからには手慣らしでも聴かなければと思い、耳を向ける。

 上手い。まずそう思った。一つ一つの音が丁寧で、弾き込んでいるのだな、と思う。それに加えて、音楽記号に忠実に演奏している。ミスすることなく忠実に。なのに、機械のように聴こえない、何か特別なものがあるように感じる。

 右手と左手での交互のメロディも両手共に軽やかに弾ききると、僕の方を向きにこりと笑う。

「お待たせ致しました。さて、次こそ本番です!では、『ハウルの動く城』より『人生のメリーゴーランド』弾かせて頂きます。どうぞ」

 何かの司会のように、自分で気取ったように言う。

 そしてふっと真面目な表情になり、手をふわりと動かす。

 途端、空気が変わった。集中力か、とすぐに思い当たる。

 だが、静かな舞台での本番でもないのにここまでの集中。


 何というか、世界観があるのだ。まだ弾き始めてもいないのに、ここは私の舞台だ、とでも言うような。飲み込まれてしまいそうで、ギリギリ外の世界と弓岡さんの世界の中間にでもいるような。

 凄い。こんな人は、多分プロでも珍しい。この能力を持っていないプロなら、羨むほどのものだろう。

 やはり何かしらの発表会などの経験があるのか。でもそれだけでこんなにも緊張感が出るのか?それとも生まれながらの才能か、と、さっきから何か引っかかる。


 僕が一人悶々としていると、急にふっ、と息を着く音が聞こえる。ああ、弾き始めか。今は考えるのはやめて、聴こう、と思い直し、自分も意識を集中させる。

 僕が耳を向けたのを察したのか、弓岡さんの手が動き始める。──始まった。



 人生のメリーゴーランド。始まりは、静かに。

 この曲はアレンジがきくので、センスだったり個性にも影響される、ものだと僕は思っている。分かりやすいのが一番最初の部分だ。静かに溜めながら弾く人もいれば、遅くはないテンポで少し勢いをつける人もいる。

 弓岡さんの弾く物語の始まりは、静か、だった。曲として成り立つ極限まで音量を落とし、静かに静かに、少し溜めながら弾いていく。両手共に同じリズムだ。両手が同じ部分で全く同じリズムでズレてしまうと、どうしても違和感が出てしまう。だが、弓岡さんの音は丁寧で丁寧で、一つの乱れもなくゆっくりと進んでいく。

 そして和音が奏でられると、序奏は終わり。ここまでは、これから物語が始まる、という合図で、まだ物語の始まりにも過ぎない。だが、美しい物語のプロローグは、もしかすると一番ワクワクできる、一番大切なものなのかもしれない。


 一瞬の落ち着きの後、この曲の恐らく一番有名なメロディが現れる。一曲の始まりから終わりまで、アレンジが加わりながら何度も登場するメロディ。

 弓岡さんは、プロローグに続き静かに丁寧に弾き続ける。まだ遅めのテンポで。

 このメロディでは和音が多くでてくる。普通にただ音を重ねるのではなく、低い音から一瞬ずつずらしながら鳴らす。らして焦らして、美しく奏でていく。


 ああこの人は、人を自分の舞台に引き込むことが上手いのだな、と思う。

 こんなに繊細にゆっくりと弾かれると、一つの音も逃したくない、と思ってしまう。美しいこの演奏を、少しの邪魔もせず、ただ自分が聴いていたい、と。

 それにまんまと乗せられてしまっている自分にも呆れるが、楽譜にして一ページにも満たないまだ短いこの演奏で、こんなにも魅せられてしまうなら、この先の物語も覗いてみたい、と思ってしまうじゃないか。すぐ傍に見えている扉を、開けてしまおう、と。


 ──乗せられてしまうのなら、自分から乗りにいってやる、と。

 


 ●作者から

 作品の雰囲気を作者がぶち壊すと意味が無いので、今回は静かめに。


 今回も読んでいただき有り難うございます。

 色々言いたいことはあるとは思いますが、まずこれだけ。

 遅くなりました……。

 すいません。

 でも、書いていて楽しかったです(開き直り)。


 今回、やっと曲という曲を扱いました。

 作中でも主人公が言っているように、クラシックにしようかとも迷ったのですが、『人生のメリーゴーランド』は本当にピアノ曲として惚れてしまって、この曲にしました。作者自身、『ハウルの動く城』も好きです。

 まだ冒頭しか登場していませんが、この作品を読んで、聴いてみたいなぁ、とか、知ってるけどまだ聴こうかな、とか思って頂けたら嬉しいです。すごく。

 思ったら教えてください。作者が喜びます。

 そして一曲目の『アラベスク』。これは少し前、私がピアノを習っていた時にも弾いていました。……私は下手なのでそんな軽くは弾けません。


 さて次回、このまま終わってしまうのか。それとも何かアクションがあるか。

 またお付き合い頂けたら嬉しいです。



 では、体調に気をつけてお過ごしください。

 ばい。[2020.7.10]

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