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君の音を、もう一度  作者: 漆葉響
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始まりの日

 四月。

 高校の入学式。

 クリーニングから戻ったばかりの制服に身を包む。

 「行ってきます」と呟くが、言葉を返す人はいない。静かな沈黙ちんもくだけが返ってくる。


 両親は昔から忙しい人だった。二人とも、毎日毎日いろいろな国を飛び回っている。

 中学生までは、一応一緒に暮らしていた。とはいっても、仕事でろくに喋ってもいない。それで、高校からは駅に近い場所で一人暮らしをする事になった。


 まだ慣れない玄関を、少し眺めて家をでる。

 マンションのすぐ近くには、大きな公園がある。休みの日や昼間は、小さな子供や、散歩をしているお年寄りなどで賑わっていて、この辺に住んでいる人達がよく使っているらしい。

 ここは緑が豊かで、沢山の木や植物がある。向日葵ひまわり、チューリップ、桜、梅など、季節ごとにいろいろ。今は桜。でも、もう花は散っていて、緑の葉が少し見え始めている。


 そんな景色を見ながら、これから毎日通る事になる道を、ゆっくり進む。


 一歩、一歩、確実に。 


                *


「──入学おめでとうございます。心から歓迎致します。本日は、保護者の皆様及び…」


 入学式も中盤ちゅうばんに近づき、校長の挨拶あいさつが始まる。どこの入学式でも聞きそうな、ありきたりな言葉が続く。ぼーっとしながら、マニュアルでもあるのかなー、とか考える。

 

 「夢ヶ丘高校ゆめがおかこうこう」、通称夢校。それがこの高校の名前だ。校舎は六階建ろっかいだてで、結構大きい。部活やクラブも充実している方だと思う。良くは知らないが、サッカー部や野球部とかも強いらしい。

 だが、他と違う特別な何かがある訳でもない。


 ここは基本的に、「生徒が自分から、自由に動く」というのがモットーの学校だ。だから比較的自由ひかくてきじゆうで厳しくもないので、生徒が集まる。


 まぁだからと言って、部活に入りたいとか、そもそも将来の夢や熱中している事が何もない。そういうのが目的で選んだのではなく、ただ行きやすい場所にあったというだけだ。


 今日は、学校に着いたらすぐに、自分のクラスに誘導ゆうどうされた。今年の一年生は十クラスあり、僕は二組だった。教室は三階の一番奥にある。三階には、図書室と音楽室がある。どちらも、教室に行くまでの所にあった。それ以外は教室だけだ。


 二組の担任は、山内楓やまうちかえでと言う女の先生で、30歳前後位のこがらな人だった。クラスの全員が揃ってから挨拶があり、最初の印象は、サバサバしていて明るい人だなーと思った。


 みんなから、「何歳ですかー?」とか、「旦那さんいますかー」とか言う質問があったが、先生は「さぁ?」と、華麗にスルーしていた。だから、プライベートは良く分からない。

 


 それが終わった後、体育館へ誘導され、今に至る。


             *


 「──これで入学式を終わります。起立、礼」


 やっと終わった。同じ所にずっと座っているのは結構疲れる。


 はぁ、と一息ついて周りを見ると、もう動き始めていた。この後は解散。今日は特にする事もないらしく、本格的に始まるのは明日かららしい。今日の日程を聞いた時、普通、入学式終わった後に説明とかあるだろ、と思った。


 もう帰ろうと思い立ち上がると、筆箱を忘れた事に気がついた。教室に置いてきてしまったらしい。


 取りに行くか、と呟いて体育館を出る。まだ一階には人がいたので行きやすかった。迷いそうになったが、階段を見つけて三階までダーッと駆け上る。その後、少し疲れたのでゆっくり歩く。インドア派に階段ダッシュはきついらしい。

 一階とは打って変わって、静かで誰もいない廊下に、自分の足音だけがコツ、コツと響く。教室に着くと、今日座った席に近づく。


 「──あった」


 筆箱が一つだけ、ぽつんと置いてある。それを回収して、また廊下を歩く。


 ふと横を見ると、音楽室が目に入った。後で考えるとよく分からないが、僕はなんとなく扉を開けていた。


 ……これが夜だったら、気味が悪いと思ったかもしれない。今も充分雰囲気はあるが。

 ……いつもなら、無視して帰っていたかもしれない。


 ──でも、なぜか今は、入ってみたいという衝動にかけられ、つい入ってしまった。


 今更ながら、誰もいなかったよな、と思う。帰る時間なのに教室に入って──忘れ物なら許されるかもしれないが──、ふらふらと音楽室にまで入ったとなったら──これは許されないと思う──、怒られる要素満載だ。入学初日から目を付けられるのは避けておきたい。


 とはいっても、入ってしまったら、気になってしまう。音を立てないように、そうっと歩く。部屋を見回すと、音楽家達の肖像画しょうぞうがや、グランドピアノが置いてある。


 少しためらった後、そのピアノに近づきそっとれる。


 ──ピアノにさわるのは、近づくのは、いつ以来だろうか。ずっと、なるべく避けてきた。今近づいているのが、不思議なくらいに。


 ──ピアノを見ると、あの時の記憶が蘇る。もう昔の事なのに、鮮明にはっきりと思い出す。小さかったからこそ、大きく感じるあの恐怖きょうふを。


 でも今は、それを感じなかった。なぜだろう。いつもならすぐに拒否をするのに。


 ゆっくりと椅子に座り、ピアノのふたを開けて鍵盤を押してみる。


 「ポーン」と調律された綺麗な音が出る。


 昔は、この音が大好きだった。この音が耳に入れば、自分から聞きに行った。


 今では、そんな事はありえない。


 もう少し、と音階を弾いてみる。


 恐怖は感じなかった。代わりに、いつまでもピアノにかじりついていた、あの頃の気持ちを思い出す。ピアノを弾く事を、あんなにも楽しんでいたあの頃を。


 一度弾き始めると、止まらなくなる。


 それが嬉しくて、思い出の曲を弾いてみる。


 途切れ途切れにしか覚えていない、前にすごく大切にしていた曲。




 これは、父さんが作った曲だった。



 父は、作曲家だ。


 僕の家は、人が言う音楽一家というやつで、父は作曲家、母はピアニスト、祖父は元バイオリニスト、祖母は元ミュージカル女優。



 父と母は、日本に限らず世界的にも有名だ。今もそうで、いつも世界中を飛び回って仕事をしている。だから、ほとんど帰ってくる事もなく、会う事もない。



 その父さんが、家族の為だけに作った曲。


 家族しか知らない、大切な曲。


 僕は小さい頃、いろいろな曲を弾いていた。


 その中でも、一番好きだったのが、この曲だった。


 しっとりとしたメロディが、何というか、心に響く。すごく綺麗で、あったかいようなそんな感じがする。


 その時、父さんが作った曲は、たくさんあったと思うけど、その中でもこれが一番好きだった。


 母さんがそれを弾いていて、僕は同じように弾きたくて、何度も何度も意地になって練習していた。父さんはそれを笑って眺めていた。


 そんな事を思いながら、どんな曲だったか、どんなリズムだったのか、必死に思い出そうとする。

 

 そして、ゆっくりと弾いていく。


 弾いているうちに、だんだん思い出してきた。


 何度も何度も聞いたから、耳がしっかりと記憶している。


 あそこはゆっくりとか、そこは楽しそうにとか、そんな事今言われなくたって、分かってる。


 ──でも、題名が思い出せない。何だったんだろう。父さんはこの曲に何という名前を付けたのだろう。

 

 ──いつの間にか、弾き終えていた。


 はぁ、っと疲れて一息つく。


「─綺麗だね。君の音。」




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