舞う花雪
私の故郷だ、ここ会津は。
藩主が朝廷より追討令を受けようと、変わりはない。
伝統を重んじる国柄でありながら、古来信玄公からの長沼流兵法を仏国式調練に改め、年齢により編成を組み直したという本腰の入れ様。
五十歳以上の玄武隊、四十九歳から三十六歳の青龍隊、三十五歳から十八歳の朱雀隊、そして十七歳から十六歳の白虎隊で、各隊およそ百名だ。
白虎隊に至っては規定年齢など建前で、更に幼い少年兵も加わっている。
他に娘子隊や僧侶の集まった奇勝隊、郷士による正奇隊、修験隊、猟師隊、力士隊などが次々と結成され、仕舞には農民まで武器を取った。
女子どもまで決起する国を挙げての戦、新撰組が黙っていられるか。
白河城出陣が命じられる以前、隊は……特に私・斎藤一こと山口次郎は、指南役として呼び出されることが多かった。
「この中で一番の遣い手は誰だ」
居丈高に聞こえるのは、性分だから仕方がない。
まだ幼稚さの残る丸い眼をした白虎隊士が、広々とした道場に並ぶのを端から見渡した。
「我らが殿の指揮なさった、あの京都新撰組だぜ!」
「鬼の斎藤だ!」
「かっけぇ~! ……けど怖っ!」
ヒソヒソ無駄話をしていた癖に、一斉に静まった。
私はやたらしゃべる男は嫌いだが、言うべきことを言わない男こそ格段、気に障る。
苛々と木刀を肩に下ろすと、漸く一人、前に出た。
「はい、山口先生」
自分だ、と言うと思うだろう普通は。
「篠田儀三郎くんが一番です」
「やっ、やめろよ貞吉!」
列の真ん中辺りでこの二人、しばらくごちゃごちゃ小突き合っていた。
ウンザリだ、ガキの相手は。
こうして見ると、いろいろな子どもがいるものだ。
もやしみたいなのばかりかと思えば、皆をまとめる者、私の動向を窺って目を光らせる者、ヘラヘラ笑っている調子者、憮然と黙り込んでいる者……隊というのはどこもそういうものだな。
普段は考え方も個性もバラバラだが、いざという時に固くまとまる。
「本当です! コイツひょろっとしてますけど、腕は一流です!」
「……ならば篠田、こちらへ来い」
ほらな、全員漏れなく
「立ち合いだ! 殺される!」
と真っ青になった。
私が弱者相手の稽古に本気であたる訳が無いだろう、あの人ではあるまいし。
生来より神仏もへったくれもない私は、相当な年季の鎧兜が飾ってあるのを退かし、そこに木桶を固定した。
道場の中心にドンと置くのを、子ども達はポカンと見ていた。
「これを突いてみろ。本気でだ」
やっと力試しだと得心したらしく、また全員に安堵の空気が流れる。
「はい!」
「儀三郎はお突きが得意だもんな!」
「がんばれよ!」
篠田は会津らしい、厳しい教えの行き届いた凛とした構えで中段に竹刀を据えた。
「ええいっ!」
どよめきと共に、木桶は壁にぶつかる程に飛んだ。
「すげぇ!」
「わっ! へっこんでる!」
仲間の功と誇らしげに木桶を持ち上げるのを取り上げ、また固定した。
途端に子ども達は息を呑む。
私が突くと、木桶は僅かに震えただけだった。
「……な、なーんだ!」
「だって俺達、会津士魂を受け継ぐ武士だもんな!」
「剣術の稽古では負けないよ!」
皆に持ち上げられているのかと思ったが、やはり腕が立つというのは真実らしいな。
篠田が歩み出て、恐る恐る木桶を手に取った。
「……穴が、空いてる」
大きな空洞が二つできているのを、子ども達は豆鉄砲を食らった小鳩のような表情でマジマジと見る。
「これが稽古と実戦の違いだ」
予定通り、この後は別人と見紛う程に物静かになった少年兵達は真摯に稽古に取り組んだ。
日が落ちるまで扱いたのにもへこたれず、もう帰ると言うのに引き止められ、何度も代わる代わるの質問責めに遭った。
やっと解放されて見送られると、もう一番星が天空に小さく光っていた。
「あ、山口さま!」
また呼び止められるが、女の声だった。
「どうぞ、お使いくださいませ」
両手に持つ提灯を差し出された。
年若いが、着物に下品な派手さがなく趣味が良い。
何者だ?
問いたくなるような、明け透けに言えば見栄えの良い女だ。
「ありがとう」
だが普通に礼だけ口にすると、女はふっと笑う。
勝ち気そうな眉を下げるので……いや、見惚れている場合か。
これでも私は、女には無愛想加減がマシなつもりだったが自然に眉間が寄る。
「ごめんなさい……稽古、少し拝見しました。お優しいのですね」
「甘く教えた気はない」
迫る戦いの日に備えた、厳しい稽古を付けたつもりだ。
「いえ。一人一人の太刀筋に合わせて、丁寧に指導して下さっていました。だからあの子達も、あなたを慕って……“先生”向きですわね」
慕われた憶えもないが。
それより、子ども達それぞれの剣の個性を見抜くとは……ますます何者だ。
話し振りからすると母親のようだが、あんな大きな息子がいるとは見えない。
「名乗りもせず、失礼をいたしました。照姫さまの祐筆をさせていただいてます、時尾と申します」
照姫様……会津公の義姉君の祐筆……。
賢そうな、少しばかり生意気そうな女だと思ったが、大した才媛ではないか。
もっとこう、ただ大人しい女が好きなのだ。
自らに言い聞かせる時点で、お仕舞いだ。
「薙刀では誰にも負けたことがないのですけれど、お見受けしたところ、山口さまには到底適いませんわ」
俺は元々、女を相手にはしない、等という返答を受け入れられる状態ではない程に本気で肩を落としている。
薙刀まで扱うとは……やはりこのような、跳ねっ返り女はやめておけ。
俺の心情を知るわけもなく吊りがちな、くっきりとした二重瞼の双瞳を誇らしげに微笑ませる。
「わたくし、娘子隊に身を置いておりますの。ぜひ、わたくしにもご教授いただきたいですわ」
娘子隊だと……?
ならばこの女も、薙刀に銃を取り、戦に出るというのか。
「……城の中に居ればいいものを」
誰か、教えてやってくれ。
もし会津に薩長が攻め入れば、激しい、辛い戦になることは必定。
その場に女を立たせるなど、悲劇に他ならない。
「故郷を守るのに男も女も、貴賎も老若もありません。わたくしはこの身に代えても会津を、照姫さまをお守りいたします」
なぜ聞き入れぬ。
だから嫌なのだ、こういう気の強い女は。
「……好きになされよ。しかし稽古には付き合えませんな」
ならば新撰組が、娘子隊の出るに及ばぬ程に官軍とやらを蹴散らせば済むことだ。
「“男女が戸外で言葉を交えてはならぬ”什の掟に背くことになりますぞ」
会津藩では子どもの頃から毎日言い聞かされるという、絶対の教育方針である。
他にも、年長者を重んじろ、卑怯をするな、弱者を苛めるな、といった訓戒七条だ。
「あらっ、お詳しいのですね! でも山口さまは会津のお生れではないのですから、大丈夫ですわ」
相手が会津でなければいいとかいう問題なのか判別が付くまでは、詳しくない。
「それにもう、たくさんお話してくださいましたわ」
よく話すのはあんたの方だろう。
……掟の最後は“ならぬものはならぬ”と結ばれていた気がするが。
「わかりました。では、またの機会に」
とは言ったが、女相手に剣の稽古など真っ平御免だ。
女の腕力が、強くなる必要は無い。
見縊っている訳ではなく、俺の理念に反する。
この気性ならば本音を言ってもまた尤もな理屈で返され、納得などする筈もないので黙っておくが。
「きっとですからね! よろしくお願いいたします、先生」
後から聞いた話だが、この頃の時尾は二つばかりしか歳の違わない私を十も上だと思い込んでいたらしい。
実年齢よりも老けて見られるのは慣れているものの、少しばかりムッとしたのだが。
「男の人は年嵩に見えるぐらいしっかりなさっている方が、わたくしは好きですわ」
口の減らぬ女だと、逆に感心させられるくらいだ。
新撰組に白河への出陣の命が下ったのは、閏四月五日のことだった。
「師匠、俺達もお供します!」
「どんな端っこでもいいです、連れていってください!」
剣技は段違いに上達していても中身はまるで子どもの白虎隊士が、切実な眼差しで口を揃える。
道場には挨拶に来ただけだったのだが。
他人に懐かれる経験の乏しい私は困惑するしかなかった。
「急ぐな。まだその時ではない」
死に急ぐなと、叱ってやりたい。
戦とはなんだ。
何故同じ島の上に生まれた人間同士が争う。
それはこの若い武士達が大人になっていくことよりも大事なことか?
……このような考えを副長達に聞かれでもしたら、笑われる。
今更、腑抜けたことをと。
こんな風に、人を斬るのに二の足を踏む紛いの心境を持ったことなど、かつて無かった。
見送りさえも稽古に専念しろと断り、ひとり道場を振り向かず会津の砂利を踏む。
見上げる白い城は、堅固で美しい。
……俺が来ていると、知っていたのか。
新撰組の仮屯所から駆けてきた借りものの馬の傍らに、時尾の姿があった。
「ご無事で、お戻りくださいませ」
しおらしげに腰を折るので、つい笑ってしまう。
「まあ! お笑いになるなんてひどい! ……でも嬉しい。初めて、拝見しましたわ」
笑わなかったとは、馬鹿な。
……そうだったか?
「失礼。あなたのご気性ならば“命を捨てても武勲を残せ”と叱咤されるかと思っておりましたので」
何しろ自身が、命より名を惜しむ、古の戦国武将のような気概を持っている。
女にしておくのが惜しいくらい……新撰組に欲しい人材だ。
いや、男に生まれられていたら俺が相当困るな。
「わたくし、山口さまにはそのようなこと、決して申しません」
ヒヤリともしない睨み方をされた。
むしろ甘ったるい形容しか思いつかない。
「まだお約束を、果たしていただいてませんもの」
稽古のこと、何かと理由を付けながら幾日と断り続けて今日に至る。
「わたくしまだ、諦めてませんからね」
守る気の起きない約束など、しなければよかった。
下を向いていたのに、俺が黙ったまま馬に跨ると、まだ話は終わっていないと言いたげな不満顔が見えた。
「約束を、代えていただきたい」
太陽は俺の後ろにあるらしく、目映げに上げた顔が茜に染まる。
「必ず、時尾どののもとに帰ると、約束致します」
その後の反応が、返答がどうだったかなど知らぬ。
まともに目も合わせられずに馬を蹴ったからだ。
……こそばゆくて平常でいられるものか。
下知を受けた翌日、私は約百三十人と城下を出、赤津残留の隊士と合流した。
数は約二百五十。
二十日には、既に会津軍が奪った白河城に到着し、白坂関門の守りに就いた。
薩長が攻めてきたのは二十五日。
一度は撃退し、翌日には会津青龍隊・朱雀隊なども加わった。
「山口殿、会津では白虎隊の稽古をしていただいたとか……ありがとうございました」
同年代の朱雀隊士に、戦の最中とは無縁の人懐こい笑顔を向けられた。
直接会ったことのない、名も知らぬ人物だ。
「“俺達の師匠は日本一の剣客なんだ”って、鼻を高くしていましたよ」
主君と臣下は、互いを映す鏡だな。
会津に住む人々はどの藩よりも忠心篤くその上、余所者を隔てるという心を持ち合わせていないらしい。
「しかしあなたには剣術以上の、武士の意気をも教えていただいたようですね。てんでガキだったのが嘘みたいですよ」
そんな大層なことはしていない。
ここまで誉められると、否定もしにくいものだ。
「あいつら、本当に来たがってましたよ」
本当に、来させなくて良かったと思う程に、五月一日の戦では再度激しい攻撃に遭った。
三百人もの死者を出し、白河城を明け渡した。
新撰組を我が子かのように大事にしている土方副長から指揮を任されたというのに、腑甲斐ないとしか言えない。
三代へ退き、およそ二十日間滞陣を続けた。
この先は、思い出すのも口惜しい敗退の連続である。
五度も奪還を試みたが、一度も叶わず終わった。
この歯痒い戦の中、退隠した会津中将の跡目を継いだ十四歳の藩主に従えられ、白虎隊が湖南地方巡視の為に城下を出た。
福良など湖南の村に陣を留めた新撰組に、土方副長が復帰したのは七月六日だった。
しかし完全に回復したわけではなく、長沼出陣にも同行できる状態ではないので、引き続き私が似合いもせぬ新撰組の隊長役を務めた。
伝習隊や回天隊と共に猪苗代城下へ転陣した後、母成峠の戦いにも、始めは出られなかった。
この通り、私は敗北した戦を具に思い描く趣味など無い。
几帳面に見られるが、忌々しい記憶は勧んで忘れていくのだ。
一言でいえば惨憺たる負け戦……復帰した会津公の滝沢本陣御出陣、土方副長も滝沢峠に姿を見せたのを以てしても、挽回は叶わなかった。
そして、一月にも及ぶ会津若松城籠城戦が始まる。
翌日には土方副長が庄内藩へ、新撰組と幕軍は米沢藩へと援軍や兵糧弾薬の確保に走るが、奥羽越列藩同盟はどこへやら、降伏を決めた米沢には入ることすら許されず、さらに庄内入国も阻まれたらしい。
更なる援軍要請の為、幕軍は白石へ向かうという。
しかし如来堂に布陣していた衝鋒隊が抜けては、その穴は誰が埋めるのだ。
時尾には会わずともわかる。
天守にて、自慢の薙刀片手に照姫さまを護衛しているに違いない。
「斎藤、もう会津はダメだ」
久々に見る険しい顔で、副長に告げられた。
「……山口です」
覚える気が無いのか、わざと固い団結の中で直属の配下にあった頃の呼び名を使うのか。
「海軍副総裁・榎本武揚殿が幕艦隊を率いて仙台に到着した。俺達も合流する」
庄内行きを断念した後、いち早く白石から仙台へ向かい面談を果たし、もう話を付けたのだ。
つくづく、転んでもただでは起きない男である。
「私は、会津を棄てない」
「……死ぬぞ。会津は落ちる」
そんなことは百も承知だ。
幕府が終焉を迎えた今もしがみ付いて戦っているあんたが言うことか?
「ならば副長とは、ここでお別れです」
京に居る頃から、残酷なまでに冷ややかで落ち着いた、何にも動じない仕事振りを尊敬していた。
暗殺や隠密、危険な仕事を任される度に誇りを感じた。
怪我を負って、無くしてしまったのか。
「落城を目の前に志を捨てて逃げるなど、私の誠義にもとる」
必死に抗うこの城を、置き去りにはできない。
頬の一つでも殴られるかと覚悟したが。
「……よく、言ってくれた。会津はお前に任せる」
この人は、俺が残ると承知で……。
相変わらず、適わない。
この別れが最期だと感じながら、私は隊士十二人と如来堂に宿陣した。
しかしすぐに新政府軍からの集中攻撃に遭い、私達は全員討死したと、一時は伝わったらしい。
情けなくも生き残ったことよりも悔やんだのは、白虎隊連中を助けられなかったことだ。
食糧もろくに無いのに戸ノ口へ急な出陣をし、激闘の末に隊長らとはぐれた中で彼らを引っ張ったのは、あの篠田儀三郎僅かに十七歳だ。
飯盛山を手探りで進み、城を見下ろした。
疲弊した躰と空の胃袋、いつ攻撃されるかという緊張の連続は、城下の屋敷の炎上を落城そして藩主の死と見間違えるのに十分な要因だった。
皆、涙しながら腹を切ったという。
助けられたのは、喉を突いても死に切れなかった飯沼貞吉だけだった。
その後板垣退助の勧告を受け入れ、九月二十二日に会津は降伏した。
言っていた。
砲撃を受けて崩れる白い壁や立ち上る粉塵は、花雪のようだったと。
戦火の中でも美しさを見出だそうとする、やはりこの女は相当な変り者だ。
了