『Fructus mali』
ーーレミエが廷内を進んでいる中、エムオルもエインも個別に別れて行動していた。
素早く身の熟しの軽いエムオルは廷の屋根等を伝いながら、エインは聖都全体の地下、廷内に繋がっている地下墓地から、独自に進んでいた。
時間帯的な理由から衛兵に見付かれば情報の拡散は早い。其れを避ける為に其々が別の道を通っていた。
コッ、コッ、コッ、コッ…と湿った石畳の上を駆け抜ける靴の音、ほんの少しだけ生暖かな空気、埋葬場所としてはほぼ相応しく無い条件だが、已むを得ない程の理由でもあったのだろうか。
地下墓地には只エインの駆け抜ける靴音だけが響き渡っている。
同時刻に屋根を伝って廷内への侵入を図るエムオルは、首魁であるシーフォーンの首を断ちたく思う一つの衝動に抗いながらも必死に目的の通りに動く。
自分が自分の望む行動を優先させてしまえば其れこそあの悍ましく醜い欲の塊の思うつぼであり、復讐者達を危険に晒してしまう。
そんな訳にはいかない。
三人が其々の道筋から廷を攻略する最中、復讐者は嘗て単身で女神シーフォーンに挑んだ時の事を振り返る。
『怖くなったかい?』ニイスは悪戯そうな表情を浮かべている。だけど彼の青紫色の目は笑っていない。
ーー怖くはない。
今度こそ殺す。
例えニイスが言わなくても、復讐者は既にシーフォーンへの殺意を明らかにしているのだ。
ニイスも其れを知っているし、復讐者も揺るがない。
エインも、エムオルも、レミエも。
倒すべき最後の敵シーフォーンを討つ。其の為に此処に居る。
そして復讐者は最初の時の様に高所から飛び降りる。
まるで"あの人"が身を投げて自殺した時の様に、一切の抵抗もせずに。
「ああっもう!!!!!」
苛々する。苛立ちを隠す事は最早叶わない。復讐者達が一向に襲撃を掛けてこなかった事に焦燥を織り交ぜた苛立ちが込み上げる。其れは突然の怒りとなって発露され、内装の一部を破壊した。
「いつ!!何時になったらあの人達を殺せるのか!!!!!!!!!!」
実際今か今かと待ち続け、今日こそ奴等が!!と意気揚々としていたにも関わらず見事に掠る日々が続けば当然の事である。そんな事が二度三度以上は続いたのだから募った焦りは大きい。油断すれば割とあっさりと殺され、最悪ならば衆目に此れまで犯し続けてきた大罪の全てを吊るし上げられるだろう。
人々を蝕み、そして世界を思うが儘に変えていった女神としては只事で済む訳が無い。
もう、「復讐者」という矮小だった筈の暗殺者は小さな問題では無くなってしまっていたのだ。
此れ迄に世界を自分の好き勝手で捻じ曲げ続けた彼女への相応の報いなのかもしれない。
そういう考えが過ぎった時、シーフォーンは全身から血の気が引いてゆく感覚に襲われた。
(世界なんて大き過ぎるものを好きに壊して作り変え続けたから私に罰を与えに来たんだ、嫌だ、死にたくない…殺されたくなんかない……)
ガタガタブルブルと震え、青白くなった顔から冷や汗を流す。
突然の正常化なのか、大きく見開かれた其の瞳には膨大な恐怖と絶望的な様子が映し出されている。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
彼女の脳裏を占めたのはたった一言だけ。
嘗て短命だった彼女が、最も強く抱き続けた死への恐怖。
無意識中の承認欲求や驕りと同格の感情。
強欲な程の生への執着。
"他人を蹴落としてでも自分だけ生き延び、自分が長く生きられる為なら他人を殺す事も厭わず、他人の生命を吸ってでも自分のものにしたいという執着的欲望"ーー
ーー単なる執着で片付けられれば其れでも良いが、シーフォーンの場合最早多くを巻き込んだ業が執着で片付けられる領域では無くなり、業故の強大な報復を待たねばならなくなった。そんな状態が彼女の四方八方を統べ、そして不可視の裁きが彼女の前に門を開いている。
そう云う状態なのだ。
然し、恐怖に震える彼女を殺されていった者達が許さない。
多くは彼女の狂った我儘によって殺されてしまった無辜の民達、彼女の最も近くを囲む様に女神の心を責めるのは、殺され逝った…デインソピアとアンクォア、リンニレース。追従者。
虚ろな瞳で皆一様にシーフォーンを見詰めている、ある種の絶望とも取れなくはない心象光景。
(やめて)
心の内に生まれたたった一言が、多くの意味を内包している。
「そんな目で見ないで」
「どうしてデインちゃん達も?」
「責めないで」「私は悪くない」「あと1000年は寿命が欲しい」「余命宣告されちゃったんですよ」「■■■■ちゃん」…………………………
病気なんかに負けたくない。
私は悪くない死にたくない殺されたくなんかないまだ生きてやる誰かの命を吸い取って、誰かの幸せを奪っても。
夢か現かと彷徨ったシーフォーンの視線の先に、何時か見覚えのある人物。気付いた其の時に、彼が嗤った。彼女へ向けて。
ーー『へえ。そうか。君自身の全部が既に人の血や悲しみで汚れている癖に、自分の事を正当化するんだ?』
風に揺られて見えた傷だらけの身体の一部と、灰色の外套、黒い髪、青紫の双眸。
長い前髪から覗いた、嗤わない焔の瞳。
唐突に突き付けられた彼女の過ちの一つ。
「ーーいやぁああぁぁぁぁあアアアあぁぁあぁあああぁあぁぁあぁあああアああァぁぁァぁぁああアああぁああぁぁァぁぁアぁあアあぁあぁあああぁぁァぁぁぁァァアああァァァあアアぁああああァあぁぁぁぁぁあぁアあァァああぁぁぁあアああああァあアぁあァァァァァぁアぁぁぁアアあぁああァあアアぁああぁアぁあァアあアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
私は…悪くない。
私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!私は悪くない!!!
私は何も間違っていない!!!!!
私はおかしくなんかない!!!!!
私は正しい!!!!!
お前なんかに、お前なんかに決め付けられて堪るかぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!
ーー心象を払う様に、振るった女神の力。
狂い尽くしてとうの昔に戻らなくなった彼女の其の力は最早理不尽な暴力其のものであり、心象に現れた彼を殺さんと切迫した狂気。
シーフォーンを現実の世界へと引き戻したが、彼女が気付いた頃には周りの殆どが瓦礫と化し、様子を窺った数十人の衛兵達の亡骸が無惨に積もっていた。




