『Cecidit hodie caput ーⅡー』
…ニイスがリンニレースの廷の下調べに向かい、そして突如現れた少女に戸惑いつつある最中ーー
「宿取れました?」
朗らかな表情を浮かべ駆け寄ってきたのはレミエであった。
「無事に取れましたよ。それは?」
「お夕飯の材料です〜!にしても、此処って東洋の調味料が売ってるんですねえ。旧時代のものなのに…」
「そうなんですか…女神リンニレースも人間だった頃の生活が一番だったんだな、恐らく」
「でも、こういう意味ではちょっと分かりますね。私達、いえ正確には私達の御先祖様も、やっぱり普通の生活が一番だったのだろうと思いますから…」
…それが女神達の横暴で大いに変わってしまったのだが。
「まあ、そうだな。やっぱり普通が幸せだよ」
そういうもの。
普通である方が幸せ。…然し、普通とはどういう事なのだろうと彼は心の中で思っている。
普通なんて誰が定めたのだろうか、等と思案に耽る暇等は無く。
「もうこの時間だと宿の方もお夕飯は出せないと思いますし、台所を借りられるか聞いてみますね」
宿に戻った二人はその場で離れる。復讐者は部屋へ、レミエは台所を借りるべく宿屋の主の元へ向かって行った。
「ご馳走様でした。レミエさん料理上手いな」
「有り難うございます。色々とやっていたら慣れてしまったもので」
…レミエが作った夕飯を食べ終え、一時の休息に身を預けながら復讐者は思案し始める。
ーー先程の事、
ーー復讐の事、
ーー女神殺害までのルートを、
ーーまだ戻ってこないニイスの事を。
「…考え過ぎも良くないな、ニイスが帰ってきたら計画について話し合わねば」
復讐者は一先ず考える事を止めて、横たわりながらニイスの帰りを待った。
何やら日記と思わしきものを付けているレミエに「もしかしたら寝ているかもしれないので、ニイスの声が聞こえたら起こしてくれ」と一言告げながら。
『…はあ、…嗚呼疲れた』
暫くしてニイスの声が窓辺から聞こえた。
「ニイスさんですね?」声の聞こえた窓辺を向いてレミエが声を掛けた後、レミエは横になっている復讐者を起こした。
「帰ってきたんですか」
復讐者がニイス、と声を掛けるとニイスの草臥れた返事が聞こえた。
「随分遅かったじゃないか、油を売っていたのかニイス」
『違う違う…面倒な事に巻き込まれただけだよ……』
「何だって?」
復讐者は女神にでも気付かれたのか、と思った。
『…いや、廷の偵察に向かったら僕が見える奴に遭遇してしまったよ』
女神には見付からなかったが、別の奴に見付かってしまったらしい事を打ち明けた。
『本来ならば女神以外には見えない筈だったんだけど…まあ、相手は僕の正体にまでは気付いていなかった様だし』
ニイスはほんの少し安堵の表情を浮かべつつ。少し不審に思った復讐者は彼の口からその相手の特徴を聞き出そうとする。
「…特徴は?」
『特徴?…確か、メルヘンな見た目だったね、まるで宇宙の熱を髪の毛にした様な色で、蒼い目で、それでもって星を散りばめたドレスだった』
明らかに只の少女じゃない。特徴からして女神デインソピアに近い気がするが、シーフォーン襲撃の時同様アレは普段は「少女」の姿では無い。
「…然し女神だったらどうするんだ」
『其れだよ其れ。出会したアレがもしも女神だったら、と思うとヒヤッとしたよ。…でもどうやら女神では無いみたいでね』
其処にレミエが一つの疑問を言葉にした。
「じゃあ何でしょうか…その方って…」
『…うーん、多分……追従者では無いかと思う』
ニイスの口から予想しない存在が挙げられた。
「追従者…は、普通はニイスが見えない筈じゃなかったか?」
復讐者は少し戸惑った。
超常の力を得た女神とは異なり、強力ではあるものの追従者にはニイスを見る事が叶わない筈であった。
なのに其れが何故ーー?
『そりゃ女神と違って追従者共は人間のまま呪われて、人間のまま生かされている。女神程じゃ無いけど超常的な能力を備えている。でも、人間だからそれ故に僕の姿までは視えないはず』
「然し見えたんだろ?」
「その方…はっきり……見たんですよね?ニイスさんを」
復讐者もレミエも疑問符が浮かんだままだ。
『だから、あくまでも人間である筈の追従者に僕が見えたという事は、彼女は人間では無かったという事になる』
「人間じゃない追従者だって…?」
『そう。…復讐者、君は女神の事も追従者の事も詳しい筈。彼女達についてならば君と"彼"位なものだろう?詳しい所を知っているのは』
「復讐者さんが彼女達についてお詳しい…?」
『うん。復讐者はこう見えても長生きしているからね。彼女達の事なら結構詳しいよ。まあ老齢だからボケてる所は有るだろうけれどもね』
「失礼だなニイス。年寄りで悪かったな本当に…ーーそれは置いといて、君が言いたいのは私が彼女を知ってるかという事だろう?」
『まあそうだね。当時の面子に僕が話した通りの特徴を持った少女は居たかい?』
ニイスが確かめる様に問い質す。
「………いや、居なかったな、当時の連中の中には君の言う特徴を持った奴なんて一人も居なかったし、SNSにその人物らしいアカウントなんて有る訳も無かったしな」
復讐者が過去を思い出しながらニイスの問いに答えた。
どうやら、一応彼は覚えていた様であるらしい。旧時代に在ったSNSで、後に女神となる者の一人が上げた連中の記念写真を。
「あの画像群の通りであるならば。それに数が合わないと思うし」
対象の追従者がニイスが見た通りの特徴であるのならば、記憶には強く残っている筈なのである。何せ、女神とは違い、追従者達は顔だけは当時のまま変わらなかったからだ。
そして数。彼が記憶する限り上げられた画像群の通り四人が女神に、そして写った者は皆追従者として今存在している。
(………ニイスの言った通り、なのか…)
僅かに疲労もあってかこれ以上考えるのは良くなさそうだ、と判断する。無闇に考え続けるのは却って女神殺しの支障になるかもしれない。
『………。まあ、君がそう言うんだし、やっぱりアレは追従者だな』
復讐者の曖昧気味な態度に若干腑に落ちない所はあるものの、ニイスは答えを見付けて納得した。
「……じゃあ、休む前に攻略について話そう」
復讐者は己の両頬を軽く叩いて気を引き締めた後、リンニレース攻略迄のルートを書き記したであろう廷の見取図を引き出した。
「て、廷って、大きいだけありますね…」
レミエが廷の詳細に少し驚きを浮かべつつ、書かれている文字を目で読んでいた。
「まだ此れでも規模は小さい方だ。デインソピアや女神の主要格であるシーフォーン程になると廷と言うより最早立派な城だし」
「お、お城…」レミエは城と例えられる程の規模にまた驚くが、同時に夢の舞台の様なものだろうかと考えている。
「…い、良いですねお城」
『…何か文献に残る城のイメージなんだろうけど、実際そうでも無いよ?』
「えっ」ニイスから夢を打ち砕かれた事で、レミエはショックを受けた。
「ニイスの言った通りさ。見た目は豪奢な城でも中に入れば侵入者を本気で殺そうとしてくる罠、兵士、そして本来なら違法である筈の合成の獣達でいっぱいだ。気を抜いたら殺されるし単なる一歩が命取りになる」
淡々と語る復讐者の言葉からは兎に角物騒なものが次から次と。
「恐ろし過ぎますね…侵入者じゃ無くても、ですか……?」
「ああ、不用意に廷内に踏み込んだら都の民であっても無惨に殺される」
何と言う暴虐。
無辜の民ですら廷内に入ってしまえばその命を毟り取られてしまうのだと言う。
『幾ら何でも残酷過ぎる…』
ニイスも女神の暴虐に程々呆れ返っていた。
「…無辜の民ですら」
レミエも女神の所業を復讐者伝に知った事で、女神へ対する嫌悪の情を更に増した。
「…じゃあ、話の軌道を戻して、廷の正面からの侵入は当たり前だが駄目だ。ニイスが見てきた通りならこの裏門から入った方が良い。…ニイス、裏門はどうだった」
『裏門の方は僕が見てきた頃なら侵入しやすくなっていたよ。でも明るい内は少数でも精鋭兵を置いている可能性が絶対有るだろうし夕刻は黄昏時、それか宵頃に裏門から侵入した方が手っ取り早いかもね』
宛ら参謀の如くニイスが話し始める。
『でもこの見取図の通りなら目的のリンニレースの部屋迄のルートは少し厄介かもしれないかな。最短距離を考慮するとどうしても大広間を通る事になってしまう。大広間は僕が侵入した時は誰も居なかったけれど、場合によってはあちらの方が精鋭部隊を置く可能性がある』
見取図のルートを指でなぞりながら、淡々とニイスは語り続けてゆく。
「大広間を通らずに済むルートは?」
『うーん、中庭を通る必要が出るんじゃないかな』
「中庭か…庭はどんな感じだった?」
『日本庭園みたいな感じだったかな…砂利があるから気を付けないといけないかもね』
「砂利…ですか……迂闊に進めば音で侵入者だと気付かれてしまいますもんね…」
「そうだな…でも日本庭園みたいな中庭なら飛石がある筈だろ?飛石を伝えば行けるんじゃないか?」
「あ、そうですね。成程」
女神殺害のルートという物騒な内容ながら未だ誰も成し得ていない事であるからか、レミエも心無しか少し楽しげな様子であった。
……………。
『…まあ大体決まってきてるし、気を付けるべき所は侵入を早く気付かれない様にする事、相手の兵や追従者に早く見つかったりしない事かな』
ニイスは何時もの様に口元に笑みを浮かべて、事の収束を図る。
「うん、まあこんな具合で良いな。…あの時もニイスとちゃんと話しておくべきだった」
復讐者にとっての不覚、女神シーフォーン殺害失敗の件。あれについては実際の所無念の清算の為に先に走ってしまった事が彼の誤算だった。
『君は"彼"の事になると目先が見えなくなる時が有るからね。無鉄砲に走らないでくれよ』
気持ちは分かるが。
そんな中でレミエとニイス、そして復讐者の三人は同時に欠伸をした。
「…ふあ……っと、すみません。でもお二人もお疲れかと思います…大体の予定や計画も定まりましたし、そろそろ英気を養いましょうか」
レミエの一際穏やかな声が彼女の微笑みと共に紡がれた後、復讐者もニイスも静かに頷き一行は一時の休息の為に其々の寝台へと歩み入った。
…夜は更に更けてゆく。




