『Somnium』
ーー嘗て、異人の血の少女だった者が意識の海の中を彷徨う。
漂った彼女の身体は軈て認識の波間に流れ着き、横たえた身体を起こし上げる。
「………あれ?私確か首を切断されて………………」
女神デインソピアは己の首に手を当てる。はっとした。斬り落とされた筈の首が付いている。
「それよりも、あれ……私…身体が……口が…」
ちゃんと喋れているし、身体の内側が焼け付く様な苦しみを訴える事は無かった。
……遠くの方で声が聞こえる。
随分と聞き慣れた声であった。女神は耳を澄まして声の正体を突き止める。ーー姉ちゃんだ。
「デインちゃーーーーーーーーーん!!!!!」
「姉ちゃん!!」
はあはあと息を荒げながらもデインソピアの所へ駆け寄ってきたシーフォーンは、嬉しそうな表情であった。
「はあ…はあ……デインっ、ちゃん!!もう、勝手に何処か行っちゃってるなんて!!!…はあ、リンニさんから場所教えて貰わなかったらデインちゃん探しに旅立っちゃってた所だよ!!!」
全くデインちゃんてば!!と肩で息をしながら必死に語るシーフォーンは、少し心配していた。
彼女に依ると、デインちゃんにとても嬉しい出来事があるらしい。
「"嬉しい出来事"?」
「そう!デインちゃん絶対喜ぶよ!!」
シーフォーンはオーバーに喜びを身体で表現する。
「私にもすごく幸せな事があったんだよ!だから、ほら、ね!!」
「ちょっ…姉ちゃん!!」
シーフォーンはデインソピアの手を掴み、急ぎ駆け足で二人の女神や追従者達の待つ場所へ向かった。
目的地は、デインソピアの廷。
…………………………。
『デインソピアお目出度う!!!!!!!!!!』
辿り着くや、デインソピアを祝福する声が廷内に響き渡った。
「………!?なに!?なになになに!!?」
シーフォーンに引かれる儘に辿り着いたデインソピアは、酷く驚く。
「何…って、覚えてないんですか!?はわ!デインちゃんの身に何か……!!?」
「デインさんがあの悪徳極まりない復讐者達を完膚無き迄に叩きのめして奴等を殺したんですぞ〜!!!!!いや〜最高でしたwww」
声の主は、リンニレースとアンクォア。
確かに、確かに、此の二人は死んだ。復讐者達が殺した。筈だった。
なのに。
「えっ!?………えっ!!?」
デインソピアは勿論驚く。
「どうしたのデインちゃん」
「待って…待って待って、えっ!!?いやいやちょっとこれ何の冗談!!?復讐者!!?私が殺した!!!?」
デインソピアは大変戸惑い、そして状況を全く理解出来ていなかった。
尚も戸惑い続けるデインソピアに、シーフォーンが寄り添って囁く。
「デインちゃん、きっと悪い夢を見たんだよ」
あれは悪い夢ーー
半身の様に掛け替えの無い大好きな姉ちゃんからそう言われたデインソピアは、自分が殺された事実を悪い夢なのだと思い込んだ。
「ねっ!!デインちゃん!!!見て!!」シーフォーンが突然群衆の中へ飛び込み、そして手を引いて連れて来た人物を女神は見た。
「!!!!!」デインソピアは吃驚した。何とシーフォーンが連れて来た人物は彼女にとって愛すべき聖女其の人であったからだ。
…よく見るとアンクォアやリンニレースの傍に、彼女達が愛して止まない人物が寄り添う様に立っている。
「ええっ…!!?」デインソピアが驚きのあまり大きく目を見開いていると、リンニレースが事情を説明し出した。
「ふふ、あのね、シーフォーンちゃんの話によるとデインちゃんが復讐者達を殺した後、デインちゃんの気持ちを神様が聞き届けてくれたんだって。私達もすっごくびっくりしちゃった。はわ!!ってなっちゃったw」
「デインちゃんの無事を願って寝ちゃったら、起きた時眠る私の手を■■■さんが握ってたんだもん、私達も女神だし、ある意味神様なのにねwふふw不思議だよねー」
リンニレースの様子は既に恋する女性のキャピキャピとした雰囲気を漂わせており、対するアンクォアもまた隣の■■■■に対して喜び等の感情から興奮しているらしい。
……取り敢えずリンニレースの、顔を赤らめ恥じらいながら嬉しそうに話す様子からとても良い事があったのだという事は理解した。
(でも…あの夢ではリンニさんもアンクォアさんも死んで、姉ちゃんも怪我しちゃって。……)
いけない。悪い夢は忘れなきゃ、とデインソピアは必死に脳裏に浮かんだ夢の内容を払う。
「……それで、デインちゃんだけに何も起きない筈は無いでしょ?」
くふふ、と含み笑うシーフォーンの態度から何と無く自分にとって喜ぶべき事柄が此の後に起きるのだろうと予想出来た。
「ずっと、ずっと待ち続けてたもんね」シーフォーンがデインソピアに対してそう語った。
…?ずっと、ずっと待ち続けてた?
…もしも彼の事だとしたら確かに待ち続けてたし、心から愛しているのは事実だ。
自分こそが一番だと自負して止まない程度には、"あの頃"から声を大きくして主張していた程だ。
でも、何か違う。
確かに主張はしていた。でもそういう言葉を向けられるべきなのは、自分自身と言うよりも自分の理想であり投影である星の乙女なのだ。彼女であるべきなのだ。
星の乙女と彼が織り成す愛の物語だからこそ理想の神話なのであるのだから。
デインソピアはほんの僅かだけ違和感を持ったが、其れも結局は待ちかねた人物の登場で全て無意味になった。
「………■■■■」
愛して止まない男の声。あれ程主張し続けた麗しの対象。
寵愛を得たいと初めて知った時から想い続けていた彼。
「………!!」デインソピアは驚愕と、歓喜と、乙女らしい恥じらいとで言葉すら紡げなくなっていた。
「デインちゃん、良かったね、デインちゃん…」
シーフォーンが感極まって涙を溢れさせてしまっていた。
ーー夢が現実になった。
ずっと訴え、主張し、心の中で密やかに願い続けていた事が現実になった。
愛が本物になった。
あまりにも幸せで、嬉しくて、涙が溢れた。
「泣いてしまう程、嬉しいんだね…ごめんね……ずっと、待たせてしまって」
彼は泣きじゃくるデインソピアに近付き、其の指で彼女の涙を優しく払い取った。
「■■くん…!■■くん……!!!」
デインソピアはただ只管愛おしい彼の名を呼ぶのみで、彼の身体にぎゅっと抱き着く。
「幾らでも泣いておくれよ、僕だけの■■■■…」
胸の中で泣き続ける少女のデインソピアの、華奢な身体を抱き締め返して彼は宝物を愛でる様に彼女の頭を撫でた。
…奇跡とも呼べる程の美しい光景が、其処には存在していた。
ーー……………………
「………っ、…………………〜!!!」
泣いていたデインソピアの全身を、激しい激痛が襲う。
「……っ、う…!!」ゴポリと口から赤黒い液体を吐き出した。ーー血だ。焼け付く様な激痛と共に臓腑を溶かして凝固し掛けている自分の血液だ。
「あ………、あ……………………」
彼女は震えた。助けを求めるべく辺りを見回しても確かに居た筈の観衆は黒い塵となって消え、リンニレースやアンクォアも其々が人の形を失ってゆく。
リンニレースは焔に溶かされ、
アンクォアは深海の化物に噛み千切られ、
「姉ちゃん……!!」シーフォーンが立っていた所を振り返ると目の前に立っていたのは既に人の形を失いつつあったシーフォーンだった。
「………!!!ひゃああっ……!!!!!!」姉ちゃん、と呼ぶ事すら儘ならず、シーフォーンはみるみる泥人形と化して軈て形を失った。
彼女達の隣に居た筈の人物達も、まるで脆い人形の様にパラパラと砕け、そして観衆と同様に塵となった。
「嘘、嘘だ。待って待って、何の冗談?」
恐れを抱きながらも、悪い冗談は止めてと訴える。
「ね、ねえ、■■く……」デインソピアは縋る様に愛おしい男の身体に縋り付く。
「……やめてくれないかな」
瞬間、縋り付いたデインソピアの身体を強く押し飛ばした。
「痛っ…!!………■■…くん……?」彼女は思わず涙目で彼を見る。
ーー知っている彼じゃない。
そっくりだけど、全くの別人。でも確実に見覚えのある人物。
『………あまりにも醜いものだね。君は、現実を否定してまでこんな夢に縋り付きたいのか』
彼に酷似した、黒い青年。
「あ……ああ…………………………」確かに見覚えがある。此の男はーー
『結局、星の乙女だなんて不必要じゃないか。何が、何が矛盾を〜なんだい?彼女を通して、自分という存在が■■に愛されている妄想に浸り、情欲を発散させたいだけじゃないか』
黒い青年は口悪く『単なる公開自○行為じゃないか』と吐き捨てた。
『君が節度を持てなかったのは痛かったね』
青年ーーニイスがトン、と彼女の額に指を当てた。
「…………………!!!!!!!!!!」
すると、デインソピアの全身の自由が奪われる。
「……っ!」一度感じた事のある感覚に苛まれて、彼女は思い出した。
ーーエルフの太矢。
背中を撃たれた時の、全身を掛け巡るあの感覚。
麻痺が思考を奪い取って、呂律も回らなくなる程の強烈さ。
背中の羽根は溶ける様に抜け落ちて、そして内臓が溶かされる強毒。
辺りは気が付けば自分が討たれた時の舞台の光景になっていた。
ニイスはくすりと笑い、デインソピアに優しく話す。
『…君は敗北したんだ。自分自身が何でも出来るって錯覚して驕ってしまったがばかりにね。自分の罪を認めないのだから、何処までも悪足掻きをするのだから、君は罰を受けなくてはならないんだ。…此処で、幸せな幻覚に惑わされながら惑わう度に君を殺した毒に苛まれ、そして礫に磨り潰されて死ぬ。死の感覚を味わった後に記憶だけを消されてまた先程と同じ出来事を繰り返す。幸せだろう?自分の理想が死ぬ度に叶われ続けるのだから。』
『でも其れは所詮僕の作り出した幻覚に過ぎない。だから君が惑わされる度に罰は天から降り注ぐ。記憶を消す作用は強大さ…だから君は死因について"何も思い出せないし"、"そして対策すら講じれない"』
『此処は僕の絶対的な空間、女神達を殺す為の空間。故に君達へ対する特効を持った僕は絶対的な力で君達を永遠に閉ざす』
ニイスの微笑みは女神にとっては凶悪な笑顔に映った。
「そ…んな、わたっ…私は悪くないでしょ!!私が声を大きく主張する事の何が悪い訳ぇ!!?良いじゃん!!!自由なんだからさ!!!!!!!!!!」
デインソピアは一周回って、突如として怒り出した。
『………流石だね。君と同じ異人の血を持つ人は喧嘩早くて怒りやすい人が多いとは昔から知っていたけれど、君の場合は変わらない所か寧ろ昔より酷くなってるな』
ニイスは呆れ返り溜息を吐く。
「何がっ私がキレやすいとか巫山戯んなっっ!!!怒るのは当然っ!!!!!私は悪くないでしょぉぉぉっ!!!!!!!!!!」
麻痺によって呂律が回らない筈にも関わらず、容赦無く怒り続ける。
流石火柱とでも形容したものだ。麻痺で喋れない筈が怒りの勢いで喋れる様になったとは……
『………ふう。もう聞き飽きたよ君の怒声は』
ニイスが呆れて女神に背を向き、片耳に指を入れた所で、天より大きな礫がデインソピアの真上に目掛けて落ちてきた。
グシャリ。
骨が砕け、肉が磨り潰される音がニイスの背後で響いた。
『…嗚呼、何と儚いものだろうか』
音のした方向、其処に女神が居た方向へ向き直り、彼女を潰した大きな礫を眺めた。
デインソピアを殺した大礫に、赤黒い液体が滴っている。
礫の真下には、同じ色の液体による海の様な溜まり場を作りながら、ボロボロになりシュワシュワと音を立てて溶けてゆく、デインソピアの内臓らしきものや彼女だった肉片が飛び散っていた。
…さて、次に彼女の意識が目覚める頃には先程と同じ光景から始まるだろう。存分に罰を味わってくれ。
ーー我が地獄、我が絶望。
数多の命を弄ぶ女神は、残るのはシーフォーン。
最も愚かで驕り高い女神。運命の女の根源。
三体の女神が僕の地獄に突き落とされた。
さて、復讐者。今直ぐにでも彼女を殺しに行こうじゃないか。




