『Sapientes post scaenae』
ーー影の中から現れる黒いモノ。
『今晩は。お邪魔だったかな』
ペールアの時と同じ人物が、今度は女神シーフォーンの背後に現れる。
「……貴方ですか」
シーフォーンは心底忌々しげな様子で彼に一瞥をくれる。
『…おや、君もか。君の望む通りの事を叶えてやったのに』
酷いなあ、と彼は嗤う。
「不愉快なものを不愉快だと思う事は悪ではありません。貴方は邪魔でしか無いです」
シーフォーンは公衆の時の様に、毅然とした振る舞いを見せる。まるで自分自身が女神である事は元から当然であったかの様にだった。
『…君がそんな振る舞いをするのは、大好きな■■ちゃんことデインソピアが近くに居るからかい?』
「………」シーフォーンは静かに息を呑み込み、沈黙する。
青年の言葉が的を射ていたのだろう。
どうやら、シーフォーンにとってデインソピアを巻き込む様な真似はしたくなさそうな様子であった。
『ーーっは、然し君が巻き込みたくはなさそうにしているが、肝心のデインソピアは既に巻き込まれているじゃないか!』
「っ…それは……」
『君自身の、高慢なお嬢様に有りがちの、勝手な迄の欲望と願いで、彼女を含めた"全員"に永遠に近い長命の苦しみを味わせてしまったからかい?』
『自分の我儘な願いで、他人の全てを捻じ曲げてしまったからか!?』
『…しらばっくれるなよ、君は、大罪人だ。欲望のあまりに其れ以外見えなくなった!其れが此の様さ!!でも君が進んだのだ、選んで、望み、我儘を通した!!』
『僕に逢う度に己の犯した過ちを蒸し返すのは君の勝手だ。だが今も尚現状が悪化し続けている事実は君が作った。僕が此の場から離れれば、君はまた何時もの異常な化物に戻る手筈』
『ーー故に僕は望む。君達が完全に我々を滅ぼし尽くしてくれる事を』
青年が一息に言い放ち終えると、気不味そうに睨み付けるシーフォーンの様子がほんの少しだけ"狂う前"の、"まだ健在な精神であった"様子の、嫌悪と憎悪を孕んだ瞳になった。
「………っ、……………っ!!」
デインソピアが近くに居る傍ら、暴れて青年に手を出す訳にはいかない。
「……貴方が■■くんにそっくりで無かったら今頃殺してやったのに」
『ほほう?其れは其れは困ったなあ?僕が君達の大好きな■■くんとやらに容姿が酷似していた事がどうやら仇になってしまったらしい』
青年はあくまでも戯け続けるだけ。
シーフォーンにとって、自身の願いを叶えてくれた夢や神様の様な存在である一方、深い因縁を持った相手であった。
然し不思議な事に容姿が彼女を含めた数人、特に■■ちゃんことデインソピアがこよなく愛し独占したがる程の「■■くん」という存在に酷く似ていた所為もあって、デインソピアの前で手に掛ける様な真似をすれば何らかの齟齬や問題が生じてしまうかもしれない事を、シーフォーンは知っている。
目の前の青年は是が非とも殺して頂きたい、と望んでいる様だが、彼の望みを叶えれば女神側で混乱が生まれてしまうだろう。
其れに、もし彼を殺してしまったら、自分の中にある絶対的な此の力は、どうなってしまうのかーー
ーー最も、シーフォーンにとって此の「女神の力」を失う事が恐ろしかった。
力を失えば、女神に対して快く思わない連中から殺されてしまう可能性、復讐者を迎え撃つ事すら叶わなくなる可能性、…そして、力を失った途端に急激に老いたり等の、あらゆる代償と負荷が掛かるのではないか。
彼女には、そういう恐怖があった。
世界を変えてしまう程の我儘に、代償は付き物なのである。
『…まあ、君の考えてる事なんて全て読めてしまうけれど、良いさ。少し飽きたよ、殺されるのを此の場で待ち続けるのはさ』
かんらかんらと青年は嗤う。
「…出来れば永遠に飽きてしまって欲しいものですけれどもね……」
シーフォーンは精一杯の皮肉を言った。
…彼には、きっと無意味だろう。
『…君の傲慢で、■■さんも■■■さんも、数人の追従者も、亡くなってしまった様なものだろうしね。ーー嗚呼、女神の名前を間違えたよ。確かリンニレースとアンクォアだったっけ』
「ーー!!!!!!!!!!」
青年はシーフォーンの皮肉に対して残酷に、彼女の心を抉り取って立ち去って行った。
「……っう、リン…ニ、さん、アン、クォ……さん……………」
シーフォーンは突然…胸を抑えて苦しみだす。
「……………姉ちゃん!!?」
何時の間にか戻ってきたデインソピアが、シーフォーンの様子がおかしい事に気付いて駆け寄る。
「姉ちゃん!!姉ちゃん!!!」
「う…デ……、ンちゃ……ん、だい…じょうぶ………」
「まさか…姉ちゃん…また思い出したの?リンニさんやアンクォさんの事とか、レイヨナさん達の事……」
「……っ、大丈夫…大丈夫だから……」
其れでも苦しみ続けるシーの様子を、デインソピアは放っておく筈は無い。
「寝よう、姉ちゃん…姉ちゃんの部屋に連れて行ってあげるから……」
「ごめんね…」
「姉ちゃんに付いててあげるからさ、ゆっくり寝てなよ」
デインソピアの言葉に、シーフォーンははっと目を見開きながら拒絶する。
「〜駄目駄目!!デインちゃん…お願い、今日は帰って!部屋まで手伝ってくれたら、今日は、もう、いいから…」
「姉ちゃん!?だけど…」
「本当にお願いだから帰って!!ソフィアリア・イルの人達もファロナーさんや■■■■ちゃんが一番心配するでしょっ!!!」
先程とは打って変わって様子が変化したシーフォーンに戸惑いを隠せないながら、デインソピアは必死になる彼女の言葉に強引に背く訳にはいかなかった。
確かに、星都の皆や追従者であるファロナーの事も、何より一番に■■■■ちゃんこと星の乙女の事が気にならない訳では無かった。
「あ…うん……分かった、姉ちゃんを部屋まで連れてったら、今日は帰るね…」
デインソピアは終始不安そうな表情の儘であったが、其の一方でシーフォーンは淀んだ心に不快を感じ、苛まれていた。




