『Manus magnae』
「ふふふ…とっても楽しいことになりそうだなぁ」
「随分と嬉しそうですね、シーフォーン様」
愛らしい声がうっとりとした眼差しを伴って響く。
「うん!とってもうれしくてたまらない!!わたしが考えたけーかくがじつげんすれば世界はもっともーっと女神の思いどおりになるもん!!!」
研究者と思われる者の隣に、童女の姿をしたシーフォーンが立っていた。
硝子越し、眼下に広がる光景に対してシーフォーンはとても嬉しそうに望んでいる。
童女でありながら、ねっとりとした女の蕩けた瞳であるものを注視していた。
「……本日は童女の御姿なのですね」
「ふふん!あえてこーいう姿になってこんな事してれば悪のそうさいみたいでかっこいいだろー!!!」
「悪の総裁、ですか…貴女は世界をお導きになられる偉大な女神様ですのに」
「だ!か!ら!だぞ!!!!!!!!!!わたしもデインちゃんもかんぜんせーいぎ!!!でもってただしいそんざいだからな!!!!!だから一度でいいから悪いやつの真似をしたくなったんだなーこれが」
フフン、と鼻息を鳴らして踏ん反り返っている。
青い光芒の中でも、彼女の色素の薄さは目立ち、其の場全体のさらなる無機質さは増した。
「……ふふふっ、流石シーフォーン様らしい」
彼は本当に童女を相手にしているかの様な気分に囚われる。然し目の前に居る者は間違い無く長命の女神であり、そして己の欲の為に世界を破壊し続けた者だ。
そして其れは今も、自分の為だけに世界を蹂躙し続けている。
恐るべき者。
そして彼女は恐るべき手を伸ばし始めていた。
ーー其れでも研究者の男には関係の無い事である。
男にとって自ら望む事が果たされ続けるのならそれで構わず、何より彼自身女神の狂信者である為、女神に直接尽くせる事は至上の幸運なのである。
不意にシーフォーンは男に話し掛ける。
「…なあなあ、そう言えば『ソフィアリア・イルに腕の良い技師が居る』って前に話してたよなー。あれはどうなったんだー」
「はあ。あれですか。…それがどうも技師の方が「そちらへの協力は光栄ですがお断り致します」と言われてしまいまして……」
拒絶された、という事に僅かだが童女に変化をもたらした。
「…そっか。ことわられちゃったかー。高級なおやつでも持っていってやるべきだったなー…!」
何とか取り繕っているが、自分の意に応えなかった其の技師の態度が気に喰わない様子だった。
「兵器開発の件は仕方ありません。我々の方で何とか致しましょう。…其れよりも最も優先すべき事がありますでしょう」
男の言葉に気を取り直したのか、童女の姿のシーフォーンはぱあっと明るい表情を浮かべて駆け出してゆく。
「ああっ何処へ…」
「まちのみんなからおやつもらってくる!!わたしがこの姿だとみんな気をよくしていっぱいおやつくれるからな!!!!!!!!!!」
「そうですか…お気を付けて下さい……!!!」
一見和やかそうな其の遣り取りは、場所と内容があまりにも不穏過ぎて妙な違和感を伴っていた。
「ーー追従者に遭遇した?」
ツブ族の宿の中で、レミエの驚きに満ちた声が一室を満たした。
「ああ、うん…遭遇した」
彼女の様子に対し復讐者の様子は何時に無く不安なものであった。彼の其の様子に妙な胸騒ぎを覚えつつニイスが近付く。
『……君、何か落ち着いていないね?』
どうやらニイスには看過されてしまっている様だ。言い噤むのを止め、復讐者は追従者アユトヴィートから聞いた事を話す事にした。
「…不安は二つある。一つはニイス、気を付けて欲しいという事。そしてもう一つはレミエさん、貴女に関係があるかもしれない」
「わ、私に…ですか?」
自分に関係のある話題を向けられて、レミエは思わず驚く。ーー然し復讐者の妙に重々しい態度から余程の事なのだろうと察したレミエの表情も、少しだけ不安が滲む。
「ニイスはもう察しているだろうが星の乙女に気を付ける事。以前の態度から見て何かあったのは分かっているし」
先ず近くに居るであろうニイスに視線を送り注意を促した。
「そしてレミエさん…私の憶測でしか無いが相方として行動していたユイルさんに何かあったかもしれない。気を付けて頂きたい……」
彼が全てを話し終えた頃には、緊迫した雰囲気が其の場を占めていた。
『ユイル………』
瓦礫の聖堂と、その近くにある集落で過ごしている武人の女性。
初見では男性の様に見える程の凛々しさを持った人だったが、男装の麗人である事には驚いた。
…良人の彼女に、女神がなにかを施したとでも言うのだろうか?
「ユイルさんが!!?どうしてですか!?復讐者さんっ!!!!!」
レミエの声が緊迫した空気を切り裂いて、そして彼女は復讐者の胸元を揺さぶる様に触れる。
「詳しい事は聞けなかったんだ…でも奴の口振りからして嫌な予感はする……」
「教えて下さい!!ユイルさんが居ないと、村の皆さんが……」
『ーー村の皆じゃなくて、レミエさんがつらいんじゃないのかい?』
ニイスの静かな一声が静止を掛けた。
『僕も分かるよ。勿論彼もさ。親しい人に何かあったら取り乱してしまうものだよね。レミエさんは悪くない』
ニイス的には静観しようとしていた様だったが、レミエの様子や復讐者の姿に居た堪れなくなって干渉したらしい。
レミエからはニイスの姿が見えないのもあって、何か一言言うべきであろうと決めたのだろう。
『取り敢えず落ち着こうよ。レミエさんも、…君も。僕達が取り乱し続けていれば却って女神達の思うつぼじゃないか』
ニイスはニイスなりに、必死に宥める。
「……………………。」それも一理有るな、と両者は判断したのか、互いに沈黙してしまった。
ニイスは二人には分からない位の小さな溜息を漏らす。
そんな中、宿屋の主人が部屋に入ってきた。
「お客さーん、ごはんできてる、だよ。旅するなら元気なのが、一番でしょ。エムオルも、待ってるよー」
場にそぐわぬ程のツブ族の独特な一言があまりにも気が抜けていて、また和やかな主人の顔を見れば復讐者達の気も抜けてしまう。
「……腹減ったな…頂こう、レミエさんは?」
「………」
レミエはまだ少し、沈黙している。
「お客さん、ごはんいらない?お腹いっぱいだった?」
主人ご少し申し訳無さそうに訊ねるが、レミエはどうも一言も言わない。静かに黙っていると彼女のお腹が空腹を訴えた。
ぐぅぅぅ…と思わぬ音に、肝心のレミエは顔を紅潮させる。
「………お腹、へってるのね」主人の一言にニイスが思わず噴き出して笑った。
『ぷっ、あははは!お腹空いているのに我慢するのは良くないよ、食べに行ったら?』
ニイスの陽気な言葉がレミエを促す。
「…わっ、私はお腹空いてなんか……」
「申し訳無いんだが隠しきれていなかった…のだが」
心無しか復讐者も噴き出すのを必死に我慢している様子である。
「ふっ…復讐者さん!!ニイスさーん!!!」
椅子からガタッと立ち上がり、レミエは其の儘恥ずかしそうな様子で足早に部屋を出る。
『あ、ちょっと』
「もう!もう!!お二人共笑うなんて酷いですっ!!!それに復讐者さんまで!!復讐者さんより早く頂いて復讐者さんの分も食べちゃいますよっ!!!!!」
頬をぷくーっとちょっぴり膨らませつつ足早く向かうレミエの後を復讐者が必死に追い掛ける。
そんな彼等の様子と後姿をニイスはにこやかに見送った。
…と、言う事で陽のあたる場所にある大きな切り株の食卓に並べられたツブ族の郷土料理を美味しそうに頂く三人の姿と、そして少し離れた場所で其の様子を見守る青年の姿があるのであった。




