『Dormiens vindictae ーⅠー』
…静寂が此の身を穿く様に溢れ返っている。
風の音も、水の音も一つも聞こえない。
「………………!」
閉ざしていた目蓋をはっと開いた。彼の双眸に映る光景は先程の牧歌的な世界では無い。静寂が、たた静寂が世界を占める。
唯一共通していたのは、眠る前に見たあの樹だった。
(何処だ……………………?)復讐者の思考は蜘蛛の糸の様に幾重にも張り巡らされてゆく。認識出来る範囲、自分一人しか存在していない。
敵か?それとも何らかの力が働いたのか?樹に何か仕掛けがあるとでも?答えは出て来ない。あらゆる可能性を考えても糸口は存在していないのだから。
………もしかしたら此れは夢なのだろうか。
もしも、敵や仕掛けの可能性とは異なるのだとしたら、夢という考えにしか辿り着かない。
「……………………」復讐者は状況を顧みて、無言で突き進む事にした。
何の道考えた所で抜け出すしか方法が無いのだ、夢なら夢で、散策でもしていれば何かが分かるかもしれない。
一歩、一歩と進むものの、実感が湧かない。…でも、一歩進む度にあの花木が近付いているのだからちゃんと進んでいるのだろう。
…だが、終わりがあるのか、彼には分からない。変化すらあるのかも今の彼には只、花木との距離以外に推し量る事は難しい。
そんな彼の背後に、そっと近付く何かを除いて。
ーー誰かの気配を不意に感じる。無機質な気配を其処に感じて、得体の知れない者である可能性を危惧して振り返った。
…少女。丁度"乙女"と呼ばれそうな年齢の姿だろうか。
「ーーあなたが復讐者?」
少女は問い掛ける。純真な瞳で、少し釣り上げた優しげな口元で、少女らしい微笑みを浮かべて彼を見る。
「…………そうだが」復讐者は無愛想に答えた。
「あなたが本物の復讐者なんだね。ねえ、お願いがあるの。復讐を止めて。女神を殺そうとしないで。"女神殺し"なんて馬鹿な事考えるなんてあなたって愚かな人。復讐を止めて、私達に従って生きて欲しいの」
少女の純真な声が、復讐者の怒りに触れてゆく。
「……"復讐を止めろ"だと?」
「うん。復讐しないで。私だって、殺されたくない。私は■■くんの為に生きてるの。■■と一緒に生きたいの。だから復讐しないで」
「自分達が犯した罪から逃げ続けながらか」
「…罪?何が?私達は悪くないよ。女神だって悪い人じゃない。彼女達は、私達は何も悪い事をしていないもん」
「そうか。自分達に非が無いと言い張るつもりなんだな」
「非なんて最初から無いよ!今の世界があるのも私達のお陰でしょ」
「…………其のお前達の所業が、多くの者から反感を買い、今でも強制と搾取、そしてお前達の価値観に従えと押し付けているじゃないか」
復讐者は少女を侮蔑の表情と共に一瞥し、怒りの言葉を吐き捨てた。
「………?分からない。何言ってるのか分かんないよ。何で?何でそんな事言うの?……私達悪くなんかないよ?」
「お前もただ女神が驕り高ぶる為の手段に過ぎないし、お前自身も傲慢だろう」
彼の言葉に反応し、突如少女が激昂する。
「違うもん!!!女神はそんな人じゃない!!!!!あなたが悪い、あなたが悪いんだよ!!!それに私は何一つだって傲慢じゃない!!私は■■と一緒にいられればそれで良いの!!!!!!!!!!」
「だがお前の言う■■と一緒に居られるなら他はどうだって良いんだろう?」
「………………………………!!!!!!!」
「そうじゃない!!!!!!!!!!私は女神や他の追従者の事だって考えてる!!!!!彼女達が築く未来の事も!!!!!そして愛する■■くんと永遠に一緒に居られる事も!!!!!!!!!!」
苛烈な反論の為に少女は叫ぶ。
「其れしか考えていないだけだろう!!!!!!!!其れが貴様の本音だ!!!!其れ以外の事なんて何一つどうだって良いと貴様の言葉から溢れている!!!!隠し通しきれてすらいないではないか!!!!!!!!!!!!!!!!」
復讐者は、少女の苛烈な反論を上回る怨嗟を以て少女を怒鳴り伏せた。
「私…私は……」ぼたぼた、少女の大きな瞳は酷く潤み大粒の涙を零す。
「…そうやって直ぐ泣くのか。自分に不都合である言葉を投げ掛けられる度に傷付き、直ぐ泣く。ーーまるで子供だな、そうやって弱さや涙で脅しを掛けてきたのだろう?」
「っく…っ…してない……そんな事してないもん…」
少女はあくまで悲しいから、とでも言わんばかりに言い訳を語る。彼女の言動から、此の少女が「星の乙女」である事に気付いた。
涙混じりの彼女の言葉は、女神や追従者、そして彼女を信仰する者達が聞けば慰めに掛かり、信仰者達は信仰者で涙を流して尊い女神の御言葉、等と吐かす事だろう。
涙に震える少女を前にしても尚、復讐者は狼狽えも動揺もしない。
目の前で起こり続ける事象と、変化した世界の中でただ冷たく臨むだけ。
ーーだが、復讐者は其の時はっとしてある一つの点に気付いた。
ーー…………何故、不可侵領域に女神の関係者が存在しているのか。
…散策で立ち寄った場所に「ツブ族が結んだ条約」纏わる話があった。
其れは「想定外の事態では無い限り、外部側の干渉を望まない」という事。
本来、領域内に生息しているツブ族にでも招かれない限り、外部の人間達、女神側の者も含めて許されていない筈なのである。
…もし「此処」が、単なる白昼の夢と同じであり、「ポプル・ビレッジ」のある領域の外ですら無いとしたら。
其れに気付いた復讐者が、銃を眼前の少女の頭に向ける。
「ーー……だったら、お前の事は躊躇いも無く殺せるな」
復讐者の瞳に喜びが宿りながら。
世界の約束を破る者に、偶然居合わせた者が制裁を加えても咎められる事も追われる事も無い事を悟って。
「…………………………え……?」
躊躇わず引かれた引鉄が、星の乙女の頭を惨たらしく撃ち抜いた。
「あッ…かは………っ……………」少女は大きな瞳を更に見開かせた。彼女の口から大量の鮮血が溢れ出す。
ゴボゴボ、と溢れた彼女の血がぼたぼた落ちて、黒い地に吸い込まれて消えた。
頭を撃ち抜かれ、頭蓋が砕け脳に破片が刺さる。彼女の脳神経が其の痛みを空かさず感じ取り少女の全身に苦痛を与え、訴える。
ーー……いやあああああああっ!!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛いよ■■くん痛いよ!!助けて!!シ■…フォ……■ちゃ■■、助け………、……!デ…■ンちゃん、デイ■……ソ■■、助け、■■くん、■■くん!!!
少女の苦痛と悲鳴が空間に木霊するが、彼女の悲鳴は黒い空間に消えてゆく。ーーまるで此の空間自体が、復讐者の怨念の様に。
「どうだ、痛いか。■■■■。猛禽を撃ち落とす為の銃で頭を撃ち抜かれた痛みは。苦しいだろう?」
復讐者の乾いた笑い声と共に惨い言葉が彼の口から紡がれる。
「あ……あ……………あ、あ…」
少女は其の場でのたうち回り、ゴポゴポと溢れる血すら構わず飛び出そうになる脳を両手で必死に押さえている。
「其れですら足りない程、我々の苦痛は計り知れないと思えよ人殺し。創られた貴様も結局存在しているだけで"あの人"を死に追いやった。貴様もまた、人殺しの一派と変わらん」
復讐者はゆっくり装填を行い、のたうつ少女に「無様だ」と小さく侮蔑と嘲笑の言葉を紡ぐ。
彼の表情は、悲しい位の嘆きに彩られていた。
傷付けられて苦しむ獣の如く暴れる少女に何の躊躇いも無く
青年は照準を定めて苦しむ少女に止めを刺そうとしていた。




