『Et transiit』
「二人共、少し休まないか」
始まりは復讐者の一言である。次の目的地の星都ソフィアリア・イル迄は更に道程が長い。
古樹の森の近くに差し掛かった辺りで、復讐者が言った。
リナテレシアからフィリゼンまでも充分に長かったが、切り立った崖の上に存在するフィリゼンから険しい道筋を下り、今復讐者達が居る場所から近くにある古樹の森を抜けてから更に長い距離を歩き続けなければ星都には辿り着けない。
馬車の様な移動手段を用いるのも有りかもしれないのだが、如何せん利用の可能な道が限られている上に女神の手が及んでいる。更に馬車よりも優れた移動手段は「女神の所有物」だ。
…兎に角、女神達は自分達だけが常に優位で在り続け、民草含めた全てを都合良く利用し搾取し続ける為に「便利なもの」は殆ど独占し持っていってしまった。
女神の膝元にさえ居れば肖る事も叶うが、復讐者達の場合では絶対に叶わない。
「そうですね。歩き過ぎて足が少し痛くなっちゃいました」
「とーってもつかれちゃった。エムも休むよ」
比較的安全そうな場所、と思案すると、エムオルが手際良く一本の木を指した。丁度木陰で休むにはうってつけである。
「古樹の森に近いからでしょうかね?ともあれ、地面は豊かな草原ですしそれなりに休めそうです」
レミエがお手柄、とエムオルの頭を優しく撫で回した。
「うん、場所としては悪くないな。有り難う、エムオル」
休息の場を見付けた一行は、次の目的地へ辿り着く為の体力と鋭気を養うべく、木陰の下、木に背を預けて静かに眠った。
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泣き声が聞こえる。子供の泣き声が。
あれは幼かった自分の声だ。痛めつけられている時の。
実の母に何度殺されかけた事だろう。
父との離婚、同時期にあった母の身内の死、典型的とも言えそうな事だが、実際にあった事だ。
思えば其れも仕方の無かった事だったが、其れが母を狂わせた。
一斉に起こった出来事に適応の出来無かった母は、幼い私を虐待した。
叩くでは無く「殴る」
些細な事ですら殴られたし、言葉にも気を付けなければならなかった。
常に相手に気を沢山使う癖が出来た。
自分の本意を抑え込む様になっていった。
父と叔父を失った事で愛は絶えた。
毎日の虐待に耐え抜く日々が続いてゆく。
…そんな自分に、唯一理解をしてくれる人が居た。其れが"あの人"である。
ある日彼奴を伴って、"あの人"が私の家に乗り込まなければ私は母に殺されていたかもしれない。
まだ二人共幼かったのに、私を助ける為だけに体を張ったのだ。
何故助けたのか、私が"あの人"に直接聞く事は無かったが、彼奴から話を聞いてやっと理解した。
彼奴から、"あの人"もまた母から虐待されていた。其れでもあっけらかんとしていられた。生まれ持った障害の所為らしい、と後から聞いた。
ーーだが、彼も其の苦しみを忘れられる程、乗り越えられる程強くは無かった。…"あの人"は私よりも酷かった。虐待に、度重なる虐め、心無い言葉。
障害についても、偏見、無理解、「見た目に表れないなら普通の人間だろ?」と言われては周囲の人間から良い様に利用されては痛め付けられていた。
裏切られる事は当然だったし、其の障害による偏見含めた者達との折り合いも上手く行かなかったし、分かり合えなかった。
"あの人"にとっては私と、彼奴。其の二人だけだった。
然し時間の流れは残酷なもので、大人になった私達は独立して過ごしてゆく。
恩人と共に育った家を出て私は自分の夢の為に独り暮らしを、彼奴は妥協こそしたが堅実な生き方を選び、"あの人"は障害と鬱に苦しみながら希望を持って生きてゆく事になった。
……筈だったのに。
"あの人"の此れからは、何処かのお嬢様の様な奴が率いている連中に全て奪われ、そして"あの人"は息絶えた。
私は絶望したよ。自分の命の恩人が他人によって自ら命を絶つ事になってしまったのだから。
然し最も許せなかったのは、連中のリーダーであるある女が言った「例え貴方が自殺したとしても私に責任は一切ありませんから!」という一言だった。
私が問い詰めても彼女は同じ事を言い、そして止めを刺す様に「死んだのはあの人でしょう、私は悪くありません。この事はSNSで皆さんに既に言いました。皆さん私は悪く無いと仰ってくれてます!!あの人が悪いんです、私は悪くありません!!!」
其の一言に、私は彼女達へ対する憎しみが生まれた。
連中に割いた恩人の苦悩なんて微塵も思わず、その上自分達で苦しめた相手の死を侮辱し続けた、彼女達が許せなかった。
………でも、自分にも罪がある。
"あの人"が連中に苦しめられている事に早く気付いてやれなかったし、連中の事で"あの人"が死んでしまっただなんて。
"あの人"の葬儀を終え、四十九日が過ぎた或る日の事だった。"彼"が私達の前に姿を現したのはーー
『お目覚めかい』
聞き慣れた声が聞こえる。ニイスだ。彼は眠らなくても良かったのだろうか。
「…寝過ぎたか……」
まだ僅かに眠い目を擦って、両隣を見るとレミエもエムオルもすやすやと寝息を立てて休んでいた。
まだ日は沈んでいないらしい。或る昼下がりの光景の様な、そんな穏やかな様子だ。
『君…休んでからそんなに時間なんて経っていないのに、どうして起きたんだい』
ニイスは慣れた手付きで花冠を編んでいた。私達から少しだけ距離を置いた木陰の中で、彼は珍しく座っている。
「夢見が悪くってさ。ニイスは休まなくても良いのか」
『僕が元々睡眠障害だったのを忘れたのかい?寝なくても平気さ。其れに今は…眠る必要も無い』
ニイスはやや寂しそうな表情をした。
「そうだったな………もうあの頃みたいに過ごせなくなってしまった」
復讐者は元の場所に背を預けて、二人の眠りを邪魔しない程度にニイスと語り合い始めた。
『あの頃は楽しかったね。一番』
「そうだな。沢山色んな事をしたな。彼奴と一緒に」
『そう。本当に…色々やったよ』
「だがそれのお陰で今の僕達が居るんだよな。彼奴もあんな風になるとか思わなかった」
『………君達は随分と強くなったと思うよ』
思わぬ形で、ニイスの本音が聞けた。
「羨ましいか」
『まあ、羨ましいかな』
君達の様に強くなりたかったな、と懐かしそうに彼は語る。
「ニイスも充分強いじゃないか」復讐者は懐かしく寂しそうなニイスへ、穏やかに語った。
「其れにニイスにはニイスにしか出来無い事が沢山あるし、僕も彼奴も助けられた事があるじゃん。其の花冠だって、彼奴は兎も角僕なんか出来っこ無いよ」
穏やかに語り合う復讐者の話し方は、まるで昔親しかった者へ向ける様な、柔らかいものだった。
『…嗚呼、出来たよ、花冠が』
ニイスが出来上がった花冠を取り出すと、其の手には三つの花冠があった。
「まさか…其れは……僕の分もあるのでは…」
少し顔を引くつかせた復讐者相手に、ニイスは詰め寄って花冠を被せる。次いで眠るレミエとエムオルにも、そっと優しく花冠を被せた。
『よし、此れで良いや』ニイスが嬉しそうに言った。
然し復讐者に被せた筈の花冠は、ズルリと下がりまるで首飾りの様になってしまう。
「…大き過ぎて、花冠のつもりが首飾りか」
呆れる復讐者を見て、ニイスはしまった、と言いそうな表情をした。
『……うっかりしてしまった』
「良いさ、"君"のうっかりは昔からだろ」
呆れに笑いが込み上げ、復讐者の表情も様子も平和な頃の様な姿だった。
「さあ、二人が起きたら行かないとならんしな!」
復讐者が身体をぐっと伸ばして、軽く欠伸をしている。
そんなに彼の後ろで、"彼"が穏やかな表情の中に懐古と悔恨の情を其の青紫の眼に宿していた事は、誰も知らない。




