『Finis autem festum calidum flammae』
ーーフィリゼンは動乱に満ち溢れた。女神の死は恐ろしい早さでフィリゼンの民に伝わったらしい。
事態が事態の為、シーフォーンの追従者であるクロルが再びフィリゼンに来訪した。
「……それで、女神アンクォアが殺害されたとの報せを聞き、聖都ミストアルテルの女神シーフォーンの命を受け派遣、再びフィリゼンに至りました。皆様改めてお見知りおき下さい」
彼女が相対する相手は、フィリゼンの商人ギルドを統括する壮年の男性であった。
「あんたが女神シーフォーンに仕えてる追従者か。名は?」
「クロルです。追従者クロル」
凛とした追従者の、少し水色掛かった白い髪が揺れる。
「皆様は女神が殺された事について詳しくご存知なのでしょうか」
「いいや。女神が殺されたって事は知ってるが誰がどうして殺したとか、動機については知らん」
ギルドの長は、フィリゼンの民達の代表としてクロルを相手に答える。
「そうですか……で、何故皆様は女神殺害の報を?」
「んー…、其れはなあ、昨日の夜頃に俺の所に一枚の紙が飛んで来たからだ。"女神アンクォア殺害。フィリゼンの民に報せろ"って」
男は視線を斜め上に向けて回想しながら答えた。
「一枚の紙…?出処や差出人は?」
「んな事ぁ聞かれても困るんだよ、嬢ちゃん。出処ったって窓から勝手に入ってきただけだし、何より差出人なんて分かりっこねえんだからよ」
男はクロルの態度に不満を覚えながら嫌々そうに答えた。
「………。其れならば、仕方が無いですね。差出人すら不明ならば其れ以上は調べようが無いし分かりません…」
クロルはやや納得がいかない様子であったが、これ以上の詮索は何の意味も持たないと判断し、心惜しくありながら女神への報告の為に大人しく撤退するべきだと考えた。
「商人ギルドのオーナーの方。お答え下さって有り難うございます。では私は此れで失礼致す事にします。女神シーフォーンに、事の次第を報告しければなりませんから」
「ああ、そうか。だったら女神シーフォーンにこう伝えてくれ。「フィリゼンは商人ギルドや民衆の皆でやってくから無闇に干渉しなくても良い」ってな」
「…。分かりました。女神シーフォーンへ其の様にお伝え致します」
ギルドの長である男の言葉を聞き、クロルは外套を翻してフィリゼンを出ようとした。
「おうお前等!!元の場所へ戻れ!!!商売は時間との戦いだぞ!!!あと何人かは追従者様とやらを門の所まで送ってやれ!!!!!」
後ろから長の言葉が聞こえた。其の言葉に応える様にギルドの何人かが自分の所へと向かってきたが、クロルは送りは必要無い、と断った。
(女神亡き今、リナテレシア同様にフィリゼンもしっかりしなければならないでしょうからね……)
そしてもう一度、クロルは活気を取り戻してゆくフィリゼンを其の目に焼き付けようとした。
……彼女が民衆達の方にもう一度振り返った時、クロルの視界に見覚えのある人物の姿が映された。
ーー黒い髪、蒼い瞳、見知った黒い剣と、其の人物に寄り添っている薄っすらとした何者かの姿。
嘗てと同じ様にどうやら一人だけでは無い様だが、クロルは其の人物をよく知っていた。
「彼は………………!」
クロルは思わず、彼の居る方へ急ぎ足で向かう。然し人混みに紛れて中々辿り着けない。
(くっ…活気のある状態に戻ってしまったから…人混みが………!!)
何とか人混みの中を泳いで進んでゆくものの、彼の所まで追い付きそうにも無さそうだった。
諦めて戻るべきだろうか、と彼女が思い掛けた時、其の先で"彼"は待っていた。
「ーー………追い掛けて来る奴が居る、とニイスが言うものだから、やっぱりあなたか。追従者クロル。何故追い掛ける」
人混みの中であるのに、彼の周りだけ別の空間の様に隔離されている様にクロルは感じた。
「そちらこそ何故フィリゼンに?……まさか、女神アンクォアの殺害に関係がお有りなのですか」
クロルは疑惑の目を彼ーー復讐者へ向けた。
「さあ?そんな事、態々女神側に属する奴に話すものですかね?」
「しらばっくれないで下さい。■■さん……いいえ、今は復讐者。貴方に動機が無いと言い張れませんからね。何せ以前にシーフォーンさんを殺害する為に単身で乗り込んだでしょう?」
クロルは復讐者へ言い続ける。
「貴方には以前の件があります。だから其れだけであっても貴方の身柄を女神達に渡す事は可能なんですよ。…どうやら、あの時の様にお一人では無い様ですが…他の方の分の身柄も、疑惑一つで」
「手を出すと?疑惑で身柄を明け渡すのは得策では無いんじゃないのか?明確な動機が無い奴を拘束して惨殺、しかも惨殺した奴が聖職者だとか中立な奴となればまた抵抗軍が出て来るぞ。其れも数百年前のやつよりも規模の大きいやつが…」
「………!!!」
復讐者の言葉も一理だ。
身柄の拘束と明け渡しは簡単でも、でも抵抗軍の再来となれば話は変わる。聖職者や永世中立者を無闇に殺せば、厄介な事になりかねない。
でも、其れよりもクロル自身が復讐者達と争う事に思う所があるらしい。
「私は…」クロルが戸惑う。冷静になれ、冷静になれ、と頭の中で念じ続ける。役職的な都合と個人の感情とで板挟みになってしまう。
…立場を優先しなければ。
「…それもそうですね。貴方の仰る事は一理ある。私も忙しいですから…今回は見逃しましょう」
クロルは己の感情を取らず、立場を最優先にした。
其れでも己の感情には抗えなかったのか、復讐者達を見逃す事を選択した。
「そうか。あなたの配慮には感謝する。此れで穏やかに旅も、物資の補給も叶いそうだ」
復讐者は感情を表に出さないまま、クロルに背を向けて人混みの中に消えていった。
クロルは、取り残された様に其の場に立ち尽くす。
「……………。」
クロルは仕舞い込んでいた飾りを取り出し、静かに見詰めた。深い青紫が淡く輝いている。
(……感情も選んでしまった。「彼とは争いたくない」と、私の心を選んでしまった。立場を優先しなければ、とあれ程繰り返したのに。)
彼女は眉尻を少しだけ下げて飾りを眺める。
(あの儘彼をシーフォーンさん達に引き渡すのは簡単です。でも、出来るなら穏便に済ませたかった。だから…)
遠い昔の事を僅かに思い出しつつある彼女は、立ち去った復讐者の背中を脳裏に過ぎらせながら、自分の心に苦しんだ。




