『Gladius glaciei』
「やぁああっ!!」
「はああっ!!!」
少女の剣とレミエの杖が鍔迫り合いを起こす。
「っくうっ!」乱舞の度に跳ねる水を浴び、少女は顔に掛からぬ様に目をぎゅっと瞑る。
微かな気配に目を見開いて見るやレミエは杖で払う様に水を飛ばしてくる。
跳ねられた水が再び自身へ向けられ、軽やかに身を翻して躱した。
「はぁ…はぁ……」少女の息が上がる。レミエとの戦いで己が有利だと思っていたが、思いの外この修道女は素早く動く。
それにしても、先程から攻撃を受け止めたり躱してばかりで、一向に攻撃してこない。強いて言うならば此の場に辿り着いた時に水を掛けてきた程度であったか。
(何かおかしい…どうして?)
少女の疑問は次第に膨れ上がってくるものの、攻勢し続ける事に集中せざるを得ず、其れは靄として残されたままとなった。
「あ…アンクォア、たおしたの?」
復讐者の背に隠れたエムオルがヒョコリと顔を出して瓦礫の山を恐る恐る見詰めている。
「さあ…」復讐者が言葉を濁した。
ーーあの女神アンクォアが、こうもあっさりと死ぬ訳が無い筈なのだから。
其のアンクォアが恐ろしい程大人しい事に一抹の不安と警戒を抱きながら、復讐者は瓦礫の山に近付こうとした。
…その時。
ヒュッ、と頬を掠った冷たいものが氷と分かった時にはもう遅かった。背後を振り返るとエムオルが横たわっている。
「よくもやってくれたんですね。只で済ますとお思いですか」
「エムオル!!」
エムオルの元へ駆け出そうとする復讐者を、此の現状を作った人物ーー追従者ディーシャーが制止する。
「動けばこの子は氷漬け、私の足で粉々にします」
「………!」
「むざむざ殺されたくも無ければ、また喪いたくも無いでしょう?」
自身の周りに冷気を漂わせながら、冷たい氷の様に嘲笑った。
「ーー……………!!!!!!!!」
喪いたく無い、という言葉に復讐者の焔が燃え上がった。
「あんた…やっぱり連中に寄り過ぎていたか」
青い焔を燃え上がらせながら、抜き出した黒剣を携えてゆっくり歩み出した。
先程のディーシャーの制止を無かった事の様に。
「くううっ…!」
徹底的に攻勢に属していた筈の少女が、劣勢に追い込まれていた。
バシャ!と其の場に尻餅を付いた。レミエが直ぐ様に杖先を少女へ向ける。
「はは…あたしの負けか……」少女はお手上げ、と言わんばかりに両手を上げた。己の敗北を認め、目の前の修道女に何時殺されても構わないと覚悟した。
するとレミエは、少女の前にしゃがみ込んで杖先から光を溢れさせる。
「………!?」少女は突然の行動に驚いた。あたしは終わりだ、と思っていたがどうやら違うらしい。レミエの行動に一切の迷いも無く、それでいて敵意を全く感じなかったのだ。
「……………………」
レミエは静かに、少女の僅かな傷を癒やす。レミエ自身は只抵抗しただけであったが、此の場に向かう迄の間に少女は怪我をしていたらしい。
少女の傷が癒えると、レミエは立ち上がった。
「…なんで、あたしの事を助けたの?」
少女は茫然とする。目の前の人物の行動に何か別の意図があるのかと邪推する。
「いいえ。目の前に助けが必要な方がいらっしゃっただけです。ーー先程は水を掛けてしまってごめんなさい。フェアな戦い…とは言いましたが私は最初から貴女と勝負を付けるつもりはありませんでした」
少女の邪推を打ち破る様に、レミエは静かに語った。
「え…でも、あたしは敵だよ!?それにあたしにとってもアンタは敵な訳だし!!……う〜っ…あー!!もう!!!調子狂っちゃうじゃん!!!!!」
困惑する少女を前にレミエはくすくすと微かに笑みを零している。
「ちょっ…と!笑わないでよっ!!ほんとに調子狂っちゃうなぁ…」
「ごめんなさい、意外と可愛らしいと思ってしまって、つい…」
笑みを零すレミエの振る舞いからは敵意も険しさも存在しなかった。其の様子に、少女は気付く。
「……もしかして、このままあたしを見逃すつもりじゃ」
はっとする少女に対して、何も言わずレミエは静かに頷いた。
「なっ、何で此方に来るんですか!!動いたらこのツブ族を氷漬けにして踏み砕くと…!!!」
「……だから、何なのだと?」
「ひっ」復讐者の放つ静かな気迫に一瞬気圧され小さな悲鳴を上げた。然し瓦礫の下に埋もれているであろう従うべき女神の手前、臆する事を良しとしなかった。
脅そうとも復讐者の歩みが止まらぬ事を悟ったディーシャーの細剣が、鋭い氷を纏ってゆく。
(こうなったなら殺してしまおう)
ディーシャーの覚悟が復讐者へ向けられる。彼女の細剣が、復讐者の心臓を捉えるべく向けられる。
ディーシャーは殺意と共に踏み込んだ。
ーーが、ディーシャーの踏み込みは失敗に終わる。
「!?」踏み込んで復讐者を刺し穿とうと動くが、足元が何かに絡め取られた様に重い。藻掻けば藻掻く程、絡め取られた足が締め上げられる。
「……いたた、」
ディーシャーが振り返った場所に、横たわった儘のエムオルが居る。だが、エムオルの手元には三節の棍の様なものが、ディーシャーの足に向かって伸びていた。
「なっ…そんな、あれ程痛め付けておいた筈なのに……!!」
ディーシャーに徹底的に攻撃され深手を負っていた筈にも関わらず、エムオルはそれ程酷い様子では無かった。
「おねーさん、よくもやってくれた…だよ」
エムオルがゆっくり立ち上がった後、ディーシャーの身体は宙を舞った。
「………!!!!!!」
其れはほんの一瞬の出来事であった。あの小さな身体に反して予想外の力で投げ出されたのだ。無抵抗に宙を舞う己の身体に動揺しつつ彼女は体勢を正して着地する。
「…小さな姿に反して、恐ろしい程力があるんですね」
「ツブ族、力じまんいっぱいいるよ。でも、わたしはたたかうの好きじゃないからにげてばっかだったよ」
エムオルは三節棍を持ち直すと、改まってディーシャーに向けて言葉を投げた。
「お外のせかい、昔とくらべてもやっぱりへん。女神のせいでもーっとおかしくなったよ。女神がぼうりょくいっぱいしてるからなの、知ってる。女神が正しいってみんな言うけど、エム、やっぱりそれはまちがってると思う」
「みんな、きっと女神がこわいからしたがってる。"星のおとめきょう"とかいう、わけの分からないしゅうきょうさんのせいもあるよね」
「どうして人間さんはそういうものにしたがっちゃうんだろうね。ぼうりょくはいけないのに。ね。ツブ族がどこまでも中立、きっとこういうことなんだろうと、思う」
「…何か言いたいんですか、ツブ族の子」
「むがいな人のこと、いっぱいひどいことして無理やりしたがわせるの、良くないなー。星のおとめきょうや星のおとめだって、そうやってうやまわれるようになったんでしょ。すーっごく、ふゆかい!」
「…っ、女神を前に、愚弄するだけで無く星の乙女や教派まで侮辱するなんて………っ!!」
エムオルの純粋な言葉がディーシャーの怒りに火を付けたのか、ディーシャーの目が大きく見開かれている。
『〜っはっはっは!!思った以上に最高な奴じゃないか。復讐者!!あれはエムオルに任せよう』
一連の様子をニイスも見ていたらしい。何時の間にか、エムオルへ信頼を寄せている。
「……ニイス…良いのか……本当に………」
先程まで無言を貫いていたニイスが急に話し掛けてきた事にも驚いたが、寄りによって強敵に属する追従者を仲間になってそう間も無い奴に任せるとは、復讐者も流石に呆れている。
『嗚呼、大丈夫さ。彼ならやってくれるだろう。ーー幸い、繊細な氷に対して圧倒的で純粋な力で迎え撃とうとしている。アンクォア程では無いだろうけど純粋な力のみならエムオルの方が上になる』
「本当に?…じゃあ、アンクォアを瓦礫から引き摺り出す行動に動いて構わんという事だろ?」
『そうしときなよ』
心の中でエムオルに感謝しつつ、復讐者は急いでアンクォアを瓦礫から引き摺り出す為に向かってゆく。
「…しまった!早く奴を……」
「ほんとにたたかう相手は、こっちじゃない?」
ーーエムオルの一撃が、ディーシャーに入った。
「ぐあっ!!」
打ちのめされて、彼女の身体は地を転がる。
思ったよりも深かったらしい。ディーシャーが苦しそうに身悶えする。
「どうして…女神殺しの彼等に加担するんですか……」
苦悶の表情を浮かべ苦しみながら、ディーシャーは問う。自身を打ちのめした小さなツブ族に向けて。
「なかま?なかまになったのは、もともとエムは楽しいのがすきだからだよ。…でも、一番に気に入ったのは、わるいこと…まちがったことをしてる女神をたおすってりゆうかなー。たたかうのはすきじゃないけど、でも、力になりたくなったよ。おにーさんたち、こじんこじんのりゆうで女神をたおしてるのかもしれないけどもね」
エムオルの答えは、ディーシャーにとって分からない理屈であった。それでもこのツブ族もまた女神の行いに憤慨している存在の一人であるのだという事を理解した。
ゆらりと立ち上がり、小人の言葉を受け入れた追従者は、其の言葉と決意を打ち砕く為に立ち塞がる。
「…あなたがそこ迄仰る意思を曲げないおつもりなら、私を倒してみて下さい。…私はあなたを正式な敵と看做して全力を掛けて殺す所存、簡単には倒されませんし、最悪相討ちも図ります」
「そっかー。じゃあ、わたしも、全力にならなくっちゃ、ね」
ーーこうして、追従者と情報屋の戦いが始まってしまった。




