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蝉の声が鳴き止むまでに  作者: 骨公爵
2/4

死んだ少女

「遅れて悪い。」



「やっと、来ましたか。」



「おうっ!夏夜!でっかいウンコでもしてたのか?」



職員室を後にして、早足で訪れた部室には男が三人。女が二人という形でそれぞれの椅子に座っていた。

今日は何をするかどうかは置いておくとして、ここ。今は使われていない教室サイズの空部屋が俺が所属する部活であり、野外活動研究会。略して野研である。


野外活動研究会。と言っても野外活動を研究するのではなく、野外。要するに外に出て何か面白い事がないかとか。他県の文化。料理を実際に、触れ、食べたりなどを目的とする。

まぁ、言ってしまえばお遊び活動を主にする集まりというわけだ。



「で、今日は何の話だ?夏休みに行く場所でも決まったのか?」



「おうっ!佐川よっ!さすが、この部の創設者!話が早いのう!」



「実は海に行くか。山に行くかで意見が分かれちゃって…」



「あぁ…なるほど。」



始め声を掛けてきた人物。獅子唐(ししとう) 岩園(がんえん)先輩と、その後に声を続けた野雨(やう) 静音(しずね)先輩に軽く会釈を返す。



「俺は断然、山なんだがな。」



そう言って獅子唐先輩はゴツい声を喉から鳴らす。獅子唐先輩はこの部の部長を務め、見た目通りの正義感溢れた頼れる男であり、俺の一個上の先輩だ。



「私は岩園君の意見に沿うんだけどねぇ…。」



そう、湿った色っぽい声を長く艶やかな長髪と共に靡かせたのは野雨 静音先輩だった。 野雨先輩も一個上の先輩に当たる人物で獅子唐先輩とは同じクラスとなる。この人も見た目通り。色っぽい見た目と上品な佇まいは大人の女性を思い描く。 何か京都美人と言えばしっくりくるようなそんな感じだ。 和の主張たる人物と言っても過言ではない。

因みに獅子唐先輩と野雨先輩は恋人関係である。本人同士は隠してるみたいだが、何というかバレバレなので、俺を始めとしたこの部の皆は既に知っている事実であった。



「先輩方が何と言おうと断然、海ですっ!夏と言ったら海!これ定番ですよっ!」



そう、鼻息荒く、声高らかに主張した人物は俺の昔からの友達になる山本(やまもと) 潤一(じゅんいち)だった。彼は先輩方とは真逆で黙っていればそこそこのイケメンなのに、口を開けば台無しという少し可哀想な人物だ。口を悪くして言えばバカ。そう。それが彼なのである。



「私は虫とか嫌だし。そうしたら海しかなくない?って、事で海にするけど…。別に買った水着を見せたいからとかそういうんじゃないしっ!」



などと、小声でブツクサ呟いていたり。そうかと思ったら大声で何かを否定したりと大忙しな人物はさっきも会ったが花園 瑠美華

(はなぞの るみか)でかる。 瑠美華は見た目こそ美少女で男子の人気も高いが、空気を読まない発言やオブラートにも包まない直球ストレートの言葉を投げるせいか、同性からはあまり評判が良くないとされる。幸いな事に本人は気付いていないみたいだが、それも時間の問題だろうと俺は思う。



「よくもまぁ、そんなどうでもいい話し合いにこうも時間を割けますね?どうでもいいではないですか?山だの海だの。そんな事は。僕は意見が多い方に票を入れさせて貰いますよ。」



などと眼鏡をスチャスチャやっているのは加賀(かが) 谷詞(たにし)である。これまた彼も見た目とは異なる人物で、中身はそんなに良くない。バカとは言わないが天然要素が入っており、たまに可愛いミスをしたり、阿呆な発言を口にすることがある。

因みにこの前のテストの彼の順位は八十六位である。百八十人中で八十六位。つまりは平凡。平均的な学力の持ち主ということだ。



「…そう言えば旗野さんは今日、来てないんすか?」



「おうっ。何かな家の用事だとか何だので今日は休むと言ってきた。ので、佐川の意見で今日の議題は決まるということだ。責任重大だな。がははっ。」



「そんな…。獅子唐先輩、分かって言ってますよね?それ?」



俺がここで意見を主張するという意味。それは一歩。一手。間違えれば皆からの罵倒なり反発なりが俺に向けられるという事だ。責任重大どころか汚れ仕事を強制的に任された気分だ。



「で、どうなんだよ?夏夜?お前も男だ。太陽の下、浜辺でキャッキャッ。ウフフと談笑し合うボインの姉ちゃんを拝みたいよな?海に行っちゃうよな?」



「いや、悪いが潤一。俺はお前ほど性欲に真っ直ぐではないんだよ。」



「なっ…お前!お前、まさかホモ?」



「山本くぅん?あまり、はしたない言葉は口にしない方がいいわよ?」



「お、おう…じゃなくて。は、はい。野雨先輩。」



野雨先輩の笑顔に潤一はまるで狂犬に出くわしたチワワの如く、縮こまる。まぁ、野雨先輩の必殺スマイルには俺とて後ずさるのだが…。



「夏夜!」



「あ?」



「そこの馬鹿の意見はどうでもいいけど、あんたは海にしなさいよ!あんた、泳ぐのとか好きでしょ?」



「いや、確かに泳ぐのは好きだけど。その…海の水はベタ付くからちょっと…」



と、口にしたところで体に悪寒が走る。



「水とか関係ないしっ!泳ぐの好きならそれでいいでしょ!はい、決まり。先輩!夏夜は海がいいんだって!」



「お前…それは強引過ぎるだろ?もっと、本人の意見を尊重するのが話し合いって…」



「な・に・か?」



「あっ…いえ。俺も丁度、海行きたいなぁって思ってたとこでした。」



瑠美華の威圧に今度は俺がチワワとなる。にしても、コイツそんなに海とか行きたかったのか?確かに山か海かで似合いそうな場所といったら海かもしんないけども。



「はぁ。やっと、決まりましたか。海ですね。まぁ、僕としてはビーチパラソルの下で課題でもやるのが目に見えた光景ですけどね。」



「そんな事、言ってお前も楽しみなんだろ?ビーチパラソルの下で無音カメラアプリでパシャパシャするんだろ?」



「なっ…僕に限ってそんな事…。」



「はは。何、マジになってんだよ?谷詞はマジメだな!」



などと和気あいあいとじゃれあう二人を他所に哀愁漂う背中が前には見えた。



「海か…まぁ、皆がそう決めたのであればそれでいいのだが…。」



獅子唐先輩の大きな体が一際小さく見える。いや、これは比喩であって見た目はそんなに変わってないのだが。

と、そんな背中に気付いた人物が他にもいた。



「佐川くぅん?あなたは本当に海に行きたいのかしら?私には花園さんに脅されて仕方なく言わされた様に見えたのだけれど?」



獅子唐先輩の妻。野雨先輩である。先ほど潤一に繰り出した必殺スマイルを今度は俺に向けてきた。



「あっ…いや、俺は…。」



「先輩!先輩こそ脅迫してるじゃないですかっ!」



「花園さぁん?人聞きが悪いですね。私はただ、佐川君に質問してるだけですよ?彼の本心を知りたいから。」



「ぐっ…。この人…。」



何か女同士の闘いのゴングが知らず知らずに鳴っていた。



「夏夜!あんたは海に行きたいのよね?」



「佐川くぅん?あなたは山に行きたいのではないかしら?」



「あっ…えっと…その…。」



こうなってしまったら、どっちに転んでも痛い目を見るのが目に見えた未來。

ならば、ここで考える事はいかにしてリスクを最小限にできるかどうかが問われる。

ならば。


「いや、そもそもどっちも行けばいいでしょ?」


「あっ…」


「なっ…」


その瞬間。皆の動作がピタリッと止まった。

どちらかに絞れないならどちらも得ればいい。そんな単純な事にこの人達は気付いていなかったのだ。

何もこの問題は絶対、どちらかにしなければならない。そんな問題ではないのだ。



「なるほど。どちらもか。そうだな。それなら皆も納得だろう。さすがはこの部の創設者だな。はははは。」



先ほどの小さな背中が嘘の様にデカクなっている。



「はぁ。大した事、言ってないんですけどね。えっと…なら意見も決まったみたいなので俺はこれで…。」



先手必勝。何事も素早く、先に動くに越したことはない。

…のだが。考えが甘かった。この面子を前にしてそう易々と逃げ切れると少しでも思った俺のこれは過ちだ。



「佐川さん?何を帰ろうとしているのですか?まだ、決まってないですよね?どちらを先にするかを?」



「は…はは。そんなこと…。俺がいなくても皆で決めろよ。」



谷詞ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!



平均的な学力の癖して、こんな時だけ頭働かしてんじゃねぇぞ!



「いやいや。これまた多数決を取るべきでは?佐川さんがいなかったらまたも数が割れますよ? ニヤッ。」



腹立つぅぅぅぅ。あの眼鏡かち割りてぇぇぇぇ。



「ふんっ。確かにそうだな。どちらが先か…。確かに重要だな。」



「私はどっちでもいいけど?まぁ、強いて言うなら早いに越したことはないわよね?」



「私は獅子唐君の意見に合わせますよ。」



「うむ。そうだな…。」



谷詞の発言により、またも多数決を取らなければならない状況となった。まぁ、これに関してはさっきよりかは穏便に事が運べれるとは思うが…。

それでも、やっぱ。争い事は良くない。争いで生まれるモノは虚しさだけだろうに。



***********



「結局、海が最初に決まったですね?佐川?」



「あぁ、そうだな。まぁ、山を推してたのは先輩達だけだったからな。獅子唐先輩も野雨先輩も基本は前姿勢だからな。それに何だかんだで後輩が可愛いんだろ?」



「佐川?それ、自分で言ってて恥ずかしくないです?」



「うるせぇな。別に俺、個人に言った感想じゃねぇよ!要するにあの先輩達は人が良いってことをだな…」



「はは…。分かってますよ。冗談です。冗談です。」



「うぅ…」



帰り道。その道中は人通りが少なく、こうして湖蝉と話していても不審がる人物はいない。まぁ、時間も時間というのも大きな理由なのだが。


あれから、海が先か。山が先かという議題に関しては俺の予想通り。すんなりと決まった。獅子唐先輩はただ山に行きたかっただけであったし、野雨先輩に至っては獅子唐先輩の意思を貫きたかっただけにあった。その為、どっちが先か後かなどどうでも良かったのだ。


だが、しかし。今、現在。時刻は夕刻。今日は終業式であった為に学校自体は昼頃に終わったのにだ。

その理由としては海に何を持って行くか?山ではどうするか?などをああだ。こうだと話し合っていたことにある。谷詞なんかは途中で夏休みの課題を広げ、部内は軽いカオス状態となった。



「それで、湖蝉は山か海かどっちが良かったんだ?」



「もうっ!佐川までっ!私、ずっと山がいいって言ってましたよっ!なのに誰も聞いてくれていなかったです…。私も野研の一員なのに…。」



「おっ、おう!悪い!悪い!皆、自分の主張で精一杯だったんだよっ!それに、お前は背が小さいからな!視界に入らねぇんだよっ!」



いつものことだが、この瞬間は心が傷む。



「うっ…そうなのですぅ?」



「おうっ!そうだ!それに途中からお前の存在には皆、気付いてたぞ!言うまでもないことをいちいち言うような奴等じゃねぇからな。」



「…まぁ、そういことなら今回も許してあげます。」



「ほっ…。サンキュ。」



「では、私はこっちなので。」



「お…おう。気を付けて帰れよ。」



「佐川っ!私は子供じゃないんですからね!そんな心配不要ですよ!」



「はは…そうか?」



「そうですっ!今日だって、部室に行くのにわざわざ私を待ってくれる必要なんてなかったのですよ!その内、トイレまでついて来るんじゃないですか?」



「いや、それは絶対にないと誓おう。」



「ほんとですかぁ?」



「お前は俺をどこまで変態だと思ってんだ?」



「まぁ、パンツ被って悪と闘うような…?」



「それは、変態だけど善いい変態だからなっ!悪と闘ってる時点で正義だろっ!」



「いやいや。変態に善も悪もいませんよ。佐川だって、目の前にパンツ被った人物が現れたら110番しますよね?」



「いや、それはするけども…。」



「あっ!!佐川は自分もパンツ脱いで被る方が先でしたか?」



「何で対抗意識を燃やしてんだよ!俺はっ!」



「いえ。正義の世界もこれまた競争率激しい世界ですからね。怪人倒すよりもまずは、同業者倒すのが先ですよ。」



「生々しい話をするんじゃないっ!正義のヒーローが一番の悪者に見えるだろっ!」



「ははっ。佐川と話すのは楽しいですね。」



「俺は結構、疲れるけどな。」



「…」



「どした?」



「いえ。最近は、佐川としか話していないなぁ。と思いまして。」



「…そうだったか?」



「はは。なぁんてね。です。ごめんなさい。辛気くさくなってしまいましたね!」



「あっ、いや…」



「では、私は帰ります。また、明日です。佐川。」



「お、おう。…っ。」



そう言って去っていく背中に何か声を掛けたかった。だが、 その先がどうしても出てこない。ありきたりな綺麗事ならいくらでも言える。だが、そんなこと彼女は望んでいないだろう。

だから、俺はその先にはいけない。このまま。彼女が死んでいるという事実を黙認することしかできない。



「…帰るか。」



湖蝉の姿が見えなくなるのを確認後。俺は俺自身の家に帰る為に踵を返す。

家に辿り着くまで、ここからだと数分だ。それまでの時間。どうしても考えてしまう。湖蝉の事をどうしても…。



アイツは死んでいる。だが、彼女自身はそれに気付いていない。なら、何故に彼女はそれに気付かないのだ?それは、彼女自身が生前と何ら変わらない生活が送れていることに他ならない。

食べ物は食べれ。物にも触れれる。透けてもいないし。声だって出している。

そこまで言えば生きているのでは?そう思う。


だが、それは全て俺にしか見えていない。


だから、彼女は死んでいると言わざるを得ない。彼女は浮幽霊であると。そう言わざるを得ないのだ。



「ん…開いてる?」



俺は一人暮らしだ。よってこの部屋に入れる者はほぼほぼいない。悶々と湖蝉の事を考えていたがゆえに無意識に鍵を開けていたのであろうか?



ガチャッ。



恐る。恐る。ドアノブに手を掛け、前に押す。



「あっ…。」



その瞬間。玄関に揃えられた靴を見て、納得した。強張っていた緊張は自然、解かれていた。



「旗野さん…。来るなら来るって連絡をしてって前から…。あぁ。いいや。それより、何?家の用事があったんじゃないの?」



リビングのドアを開き、そこにいたツリ目のショートが良く似合う美人に溜め息混じりの声を届かす。

旗野(はたの) 欄丹(らんたん)。俺と同い年で、昔からの幼馴染みであるが。とある理由で俺は彼女を敬う様な呼び方をしている。



「家の用事なら三十三分五十三秒前に済ませたわ。それより、今日は終業式じゃなかったかしら?何を寄り道していたの?それとも、私がここに来る事を察知して焦らしプレイみたいな事をして楽しんでいたのかしら?」



旗野さんは、そう言うと読んでいた雑誌(多分、私物)を放り投げ、俺に迫ってきた。



「いや…ただ。部活が思いの外、ヒートアップしていただけだよ。って、それより何か飲む?」



基本的にこういう強気で狙った獲物は絶対逃がさない。みたいな内に何か強大な力を宿す女性は苦手である。…というか、自然と受け身姿勢になってしまう。



「そうね…ペプシのスイカ味を頂けるかしら?」



「いや…ごめんなさい。そんなマニアックな商品。ウチには置いておりません。てか、それ絶対、期間限定商品だよなっ!いや、まぁ。今は夏ですけどっ!」



「ふっ…。二十五点と言ったところかしら?下町で腕でも磨いたら?」



「別に俺、芸人とか目指してないんだけど?」



「あら?そうなの?私と佐川が組んだら天下獲れると思うのだけど?」



「その、自信はどこから出るんだよっ!」



「十三点ね。」



「あの…普通に会話しません?」



ほんと、この人は俺に何を求めているのやら?この人は瑠美華とは別の意味で自分に正直だからな…。

それでいて、声のトーンに落差がないから本気か冗談かも理解に苦しむ。

本気で俺とお笑いコンビでも目指してたらどうしよう?

旗野さんはどちらかと言うとモデルとか女優さんとかのイメージが強いんだが…。



「…何かしら?」



そんな事を思い、冷蔵庫の中身を物色しながらチラリと旗野さんに視線を移したところ。鋭い声が突き刺さった。



「あっ…いや…。ペプシは無いけどファンタならあったけど飲む?」



「そう。さっきのは冗談で言ったのだけど。まぁ…なんでもいいからさっさっとこっちに座りなさいよ。」



「あ、うん。はい。」



やはり、苦手だな。この人…。




「で、本題。何しに来た?」




卓上に置かれるのは二つのペットボトル。小さなテーブルに俺と旗野さんは向かい合った。



「…あなたに会いたくて。」



「っ…。真面目な話をしたいんだが…。」



「ふふっ。やはり、佐川をからかうのは面白いわね。まだ、私の事を好きなのかしら?」



「うるさいっ…。そんな話をしにきたなら帰ってくれよ。俺はこう見えて忙しいんだよ!」



「へぇ?こういうの見たりするのが?」



「あっ!?お前っ!それ、なんでっ!」



にやにや。にたにた。何とも嬉しそうな表情で、薄い雑誌をヒラヒラさせる旗野さん。その雑誌は押し入れの奥深くに暗証番号付の金庫の中に閉まっておいた。いわゆる、ちょっとエッチぃ本だ。



「金庫の暗証番号に私の誕生日使うのは少し…。いいや、だいぶ、引くわね?」



「ぐっ…。」



「まぁ、前座はこの位にしておいて。そろそろ、本題にいきましょう。」



「おいっ、俺のお宝をそんなゴミの様に棄てるなよっ!!」



俺弄りに飽きたのかどうなのか。手に摘まんでいた雑誌をポーイッ。と、投げ棄てる彼女にガチの怒りをぶつける。

因みに雑誌の方は俺の渾身のダイブにより、傷付くことなく救出ができた。まぁ、その代償に右足の小指をおもいっきり、そこにあったタンスで強打したのだが。まぁ、尊い犠牲と言えよう。



「私、言ったわよね?前座は終わったって。」



「うっ…。」



どうやら、本当に真面目な話をするようだ。何とも腑に落ちないが旗野さんが無言の威圧を放つのであれば従わざるを得ない。



「佐川。あなた、まだ湖蝉さんの事を好きなの?」



「え?」



席に座り直すと同時、振り下ろされる不意の質問。



「だから、あなたは湖蝉さんの事を今。現在も。恋して。愛して。どうしようもないのか?と、そう聞いてるの。」



「え…いや。」



「ふぅ~。」



言い淀んでいる俺に呆れたのかどうなのか。旗野さんは軽く息を吐いて首を左右に振った。



「まぁ、いいわ。今、直ぐにどうしろとは言わない。ただ、覚悟はすることね。湖蝉さんの存在を忘れない限り後悔するのは佐川。あなただから。いい。湖蝉さんは死んだの。もう、いないの。」



「…んなこと。」



「ん?」



「そんなこと分かってるよ!だけど、仕方ねぇだろ!俺にはアイツが見えて。アイツには俺しかいないんだから…。」



「…佐川!」



「え?」



急に名前を近くで呼ばれたかと思ったら旗野さんの顔が直ぐ前に

あった。どうやら俺は下を向いていたようだ。



「佐川 夏夜!現実を見なさい。辛いのはあなただけじゃないのよ。」



「っ…。」



目前の旗野さんは物凄く悲しそうな表情をしていた。

旗野さんも辛い。…いや、辛いのは野研の皆。全員同じだ。そんな事は分かっている。 だけど…。



「悪い。旗野さん。今日は帰ってくれ。」



「ふっ…。そのつもりだったわ。悪かったわね。余計な気遣いをしてしまって。」



旗野さんは軽く笑ってその場を立つ。



「いや…俺の方こそ取り乱して…。」



言われた言葉にまだ向かいあえる勇気がなく、俺の視線は床を見ることしかできない。

そんな俺に旗野さんは最後の別れ言葉を告げる。



「今の佐川は見てて、とても不快だわ。そんなんじゃ、私は絶対にオチないから。」



「へっ…。そんな事を言う為に来たのかよ。相変わらず旗野さんは手厳しいな。」



「ふふ。言ったでしょ?今日はあなたに会いに来たって。」



「それ冗談じゃなかったのかよっ…!」



「五点。」



最低の点数を残して旗野さんは扉を閉めた。



「…現実を見ろか。」



見てるさ。見てる。…けれど、それでいて何もしないのだ。


五点か…。情けにしては高い点数だな。


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