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五羽




「あり得ない……ほんとあり得ないっ! 私は人外専門だって言ったじゃんっ……!」

『そもそも、その前提がおかしいだろう』

「人間関連は、死んだのだけじゃなくて生きたのも出てきてごちゃごちゃするから嫌いなの! 人間って、神でもないのに祟るし呪うし。生きてても死んでても、自分より優位な相手がいても同じとこに上がろうとはしないくせに、自分より下位に引きずり落とそうとする怨念には惜しみなく力を注ぐから、散らせない分生きてるほうが面倒」


 凛は、蜘蛛達に送ってもらって辿りついた家で、両手で顔を覆って湯船に突っ伏した。外には八つ目爺がつけた妖怪が待機している。おかげでゆっくり風呂に浸かることができるのだ。


『うるさい。頭の中できゃんきゃん喚くな』

「私が私の中で何を喚こうが勝手ですぅ! そっちこそ家賃! その前に不法侵入!」

『強制的に眠らせた上に身柄を拘束、監禁。出るところ出れば僕の勝ちだ』


 淡々とした言葉に拳を握り締め、凛は派手な音を立てて湯船から立ち上がった。


「だったら出てけぇ――!」

『出来るなら当の昔にやっている』


 淡々とした不機嫌で無愛想な声が頭の中で響く。風呂に入っているのに疲れが増していくなんてひどいじゃないか。凛はぐったりと湯船に突っ伏した。




 目が覚めたときには八つ目爺が苦笑していた。珍しい顔だなとぼんやり思い、濡れた身体が寒くて撤収の意を伝えた。しかし、拾い上げたぬいぐるみの様子がおかしい。眠っているのかと思ったが、中の人がいない。分厚く長い爪が凛の胸をつく。ここで眠っているんじゃよと苦笑され、もう一度意識を失いたいと切実に願った。


 消耗した彼の本能は回復を求めた。魂だけの不安定な状況からの脱却、そして避難だ。器を求めた彼の本能は、手近にあった身体に入り込んだのである。ただそれだけだった。それだけなのに、問題は、八つ目爺でさえ引き剥がせなかったのだ。

 そこに本人の意思は無かった。凛も分かっている。眠らせたのは凛自身なのだ。

 生き物としての本能に罪はない。問題は、彼と凛がうまく共存してしまったことだ。臓器であってもそうだが、本来の持ち主から移った場合、少なからず拒絶反応を起こす。本能で異物を排除する意思が働く。身籠った己の子にさえ訪れる反射だ。それを非難するつもりはない。

 まして魂と肉体が別々など、拒絶の最たるものだ。受け入れる側が望むか許容すれば話は別だ。それでも大小の差はあれど拒絶反応は起こるものだ。けれど、本人達の意識無く入り込んだ異物は、すんなりと綺麗に収まりあってしまった。

 空っぽになったぬいぐるみはいきなり愛らしくなるから不思議だ。お風呂場で一緒に洗って、リビングに飾ってみた。嫌そうな声が頭の中で上がる。


『捨てろ』

「私の勝手ですぅ」


 抱き寄せて頬ずりした兎が宙を飛んだ。部屋の反対を、てん、てん、と跳ねていく。

 腕を半眼で睨む。無言で鏡を前に立てて自分と向かい合えば、凄まじいまでの無表情だった。


『……手足が動かせる?』


 その言葉にぎょっとした。そうだ。ぬいぐるみでさえ馴染まなかったというのに、彼は意思ある身体を動かした。その上、凛は何の抵抗も感じなかった。まるで自分の意思のように動いた身体に呆然とし、慌てて鏡を睨んだ。


「私の身体への居候なんだから、優先順位は私が上よ! 以後、勝手に動かないで! ついでにお風呂着替えトイレは見ないで! もうお風呂入ったけどね! 目を閉じられないときもあるけど、うまく忘れて!」

『風呂などは当然善処するが、それ以外のことに対しては一言だな』


 自分の無表情が怖い。


『パワハラだ』

「え!? 当て嵌まるの!? やだ、うそ、ごめん!」


 口元が片方上がった。何て人相の悪い自分だ。


『パワーハラスメントは所属している組織内での、先輩後輩、上司部下などの上下関係を利用した嫌がらせ、精神的物理的を問わず相手の人権を傷つける行為と定義づけられている』

「…………えっと、つまり?」

『僕とお前は同じ組織に属しておらず、お前は僕の上位関係には当たらない。そして僕はお前に名誉又は人権を傷つけられた覚えも無ければ、ジェンダーを押し付けられたこともない。行動は持ち主であるお前が優先されるのが当然であり、そこに関与する僕という存在が異質なんだ』

「……つまり?」

『馬鹿か。当て嵌まるわけがない。寧ろお前が人権侵害で訴えていいくらいだ、阿呆』

「いーらーつーく!」


 長い髪は乾かすのに時間がかかる。間を会話に当てていれば問題は無かったが、腹立たしさが尋常じゃない。

 彼が悪人、又は悪霊になりうる属性で無いことは八つ目爺の対応で分かった。力は相当な物だったし、肩書きもかなりのものだ。危険人物であれば八つ目爺が返すはずがない。


 神鬼月蓮は、興味もなさそうに事の次第を簡単に説明した。自分の事だろうと呆れたが、端から他者からの評価に頓着しない性質らしい。そして、酷く曲解していて捻じ曲がり、こちらを馬鹿にすることは忘れない腹立たしい説明だったが、ようは無実らしい。



 年に二回行なわれるNYS全国定例会議中に事件は起きた。名だたる祓い人達は能力者でないと分からないことを話すので隣の部屋を与えられていた。全員仲が良いわけではないが、それでも能力者同士が直に会って話せば得るものも大きい。

 爆発は支部長達が会議を行なっていた部屋と同時に起こった。重体となったのは七人で、怪我人は多いが死者が出なかったのは不幸中の幸いである。

 神鬼月に容疑者の白羽が立ったのは、彼だけが出席していなかったからだ。



 だったらあんたが犯人じゃないか。ぶすくれながら髪を乾かしていると、鏡の中の自分が馬鹿にした目でこちらを見た。どうして自分に馬鹿にされなければならないのか。


『馬鹿か。本当に僕なら、疑われるようなヘマを犯すものか。被害者の中に入り、軽症で難を逃れて疑いを晴らす』

「もうやだぁ! こいつあくどい! 性格悪い!」


 台に突っ伏して嘆いた凛の耳に、信じられない言葉が聞こえた。


「『お前の事情を考慮してやる猶予はない上に、時間もない。巻き込むぞ』」


 身体が勝手に動く。ぬいぐるみより凛の身体のほうが動かしやすいとはどういうことだ。主導権を奪い返そうともがいたけれど徒労に終わった。


「『……凄いな。霊視能力もクリアだ。違和感も無い。まるで自分の身体だ……力は、止めておいたほうがいいか。僕も万全じゃない』」


 現代では、様々に分類された能力が認定されているが、何故そんな力が使えるかは解明されていない。死亡した能力者の遺体は研究機関に回されて解剖される。それでも解明には届かない。生前、脳の一部分が活性化していることが分かっただけだ。ただ、脳が活性化していようが、視えていた霊が視えなくなったりもする。死後に解剖された際、瞳も調べられたが何の結果も出なかった。

 現在一番有力な説は、魂、精神で使うという非科学的な物だった。

 ただし、幽体離脱の能力者が別の能力者の肉体に入るという実験では、どちらの能力も発揮できないという結果が出ている。精神面が深く作用することは分かっているが、結局己の肉体と精神が揃わなければ、力を使うことは大変危険な行為となるのだ。

 それなのに。


「『胸が揺れて気持ち悪い』 ……風呂上りにブラなんかつけるか――! なんで私のほうに馴染んでんのよ! 兎は!?」


 小難しい顔した自分を見て、ちょっと賢そうだと思った自分を殴りたい。


「『知らない。相性の問題か? 身体の』」


 主導権の身体は無いのに鳥肌が立った。と思ったら身体にも立っていた。


「その言い方はやめて!? 『精神の相性がいいと言ってほしいのか? 僕とお前が運命の相手になるが』 異議申し立てる! 『同意する』」


 それもそれで嫌だと叫ぶと、煩いと一蹴された。勝手にリビングを歩いたり、物を掴んだりして身体の使い勝手を確かめられる。凛はぶすくれたまま彼の好きにさせた。自分の声で交互に喧嘩する違和感に疲れたのだ。


「『……不快だ。僕の機嫌まで悪くなる』 どうやって機嫌よくいろと!?」


 藍と名乗った彼の本名は蓮。蓮と呼べばいいのだろうがそんなに親しくない。彼が本当に貶められたのならば偽名は当然だろうが、蓮と知った今でも藍でいいのだろうか。

 心配は杞憂だったらしく、彼は藍でいいとあっさりと言った。興味もないのか、すぐに話題が変わる。


「『お前の部屋は何処だ』」


 会話の流れで反射的に答えてしまい、藍は躊躇なく二階に足を進めた。無造作に扉を開けられて、ようやく凛は慌てた。一人だった家は適度に片付けてはいるものの、他人を、しかも同年代の男の子を入れる心積もりはなかった。


「ちょっと待って、片づける」

『問題ない』


 気がつけば主導権が戻っていた。掌を何度か握りしめて感覚を取り戻す。

 どうやら、主導権が凛にある時、彼の声は頭の中でだけ聞こえるようだ。彼に主導権がある時でも凛が言葉を音にできるのは、凛が本体だからだろう。

 見慣れた自分の部屋に立っていると自覚して、安堵と同時に疲労感が襲ってきた。そのままベッドに座り込むと頭の中で不機嫌な声が響く。


『東京に戻る。支度しろ』

「………………はい?」


 自分の顔が不機嫌になった。これは自分の感情ではない。内から滲み出す彼の心情だ。


『置いてきた部下がいる。事件の首謀者に僕が上げられ、尚且つ命を狙われているのならあいつらにも向かっているはずだ。放置してきた式とも連絡が取れない』


 藍の部下にも非公式の追っ手がかけられている可能性がある。ならば早く向かって事態の把握及び反撃及び収拾に努めたいところだろう。心配で居ても立ってもいられない、という感情は沸きあがらない。目立つ感情は多大な不機嫌と莫大な怒りだ。心配も焦りも無いわけではないが、先の二つが圧倒的過ぎる。

 凛はぐらぐら揺れる頭を押さえて枕に突っ伏した。咎める声にくぐもった返事を返す。


「無理です。今何時と思ってんですか明け方五時です夕飯抜きです殺されかけましたとり憑かれました。若いからってあんまりです私は寝ますついでにそっちも寝てください」


 部屋は冬の冷気をしっかり溜め込んでいるが、眠気が充満した身体は温かい。


『入れ替わる』

「入れ替わろうが私の身体が寝てないことに変わりないです生命の危機です眼圧上がって眼球痛いですお腹空いたけどとにかく寝たいですもう寝てます」


 一気に言い切り既にうとうとし始めた凛は、棚から手鏡を取り出して顔の横に置いた。眠たそうに目を細めて、大層機嫌の悪い自分を見る。しばらく無言で自分と睨み合う。なんという貴重な経験だ!

 全然嬉しくない。


「…………分かった、分かったから、とりあえず今は寝かせて……急ぐのは分かるけど、ただでさえ専門外な上に、規模が多きすぎるよ……体調含めて準備くらいはさせて。よぼよぼで行ったって、何の役にも立たないよ」


 一気に主導権を奪い取り、ベッドに滑り込む。頭の中では淡々とした返事が聞こえてきた。


『……僕を放置していいのか』

「八つ目爺が除霊とかする気ならとっくにしてる。大変だったんでしょ。休んで英気養って、そしたら反撃といきましょう……大丈夫だから……おやすみ、藍――……」


 相手の返事を待たず、すとんと落ちた眠りは早かった。








「レン。何をしているの?」


 ぴょこんと現れた少年は、座って本を呼んでいた少年を覗き込んだ。


「本を読んでる」

「うん。見れば分かる。僕は、どうして雪日に外で地べたに座ってるのか聞いたんだよ」


 雪は未だ降り続いているが、少年の上に降り積もってはいない。見上げると長い金色の髪を持った青年が和傘を持って立っている。女物の着物を肩から羽織っている青年の耳は人間のものとは程遠く、獣のそれだ。爪も長く、瞳と歯は鋭い。それは妖怪である青年にとって別段不思議な現象ではないので、少年は特に驚くことはなかった。

 それらを交互に見やり、少し考えた少年は、小走りに何処かに行ってしまった。

 次に戻ってきた時には籠を手にしていた。急須と湯飲み、大福も入っている。手には半纏まであった。傘の下は不思議な空間で、身を切る寒さは届かなくとも温かくもない。


「いらない、ラン」

「だーめ。風邪をひいたほうが面倒だよ。だって僕らはひとりだもの」


 少年は微笑んだ。


「レン、ここでは人に理解してもらおうなんて思っちゃいけない。君は君、僕は僕で完結するんだ。既に君は世界を閉ざしているけれど、そんなものじゃあ、まだ甘い。現に君の傍には式がいる。でも、僕は何も要らないんだ。ここで得るもの全て、僕には必要ないものだから」



『あっち行け』


 微笑む少年の姿を初めて見たとき、彼はそう言った。深紅に染まりきった世界の中で、己も鉄錆び色に染まって。


『お前らなんて、要らないんだ』


 誰もいらない。人も怪も、何もいらない。

 そう言って、はんなりと笑った。




 その時と同じ笑顔で、少年は微笑んだ。


「でも、困ったなぁ。なぁんにも要らないのに、君が気になって仕様がない」

「迷惑だ」

「全く、可愛げがないなぁ」


 少年はひどく自然な動作で肩に頭を乗せてきた。ぐりぐりと押し付けられると骨に当たって痛い。それくらい、少年達は痩せていた。

 しとしとと雪が降り積もり、傘から溢れて零れ落ちるが、少年達は意に介さない。頭を乗せたまま眠りについた少年に嘆息し、本を閉じた少年も瞳を閉じた。雪はまだ止まない。

 雪が降り積もる世界の中、赤い傘だけがひどく艶やかだった。





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