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四羽




 黙々と進んだ先には広まった空間があった。

 空まで覆った葦は編みこんだように重なり、大きな繭となっている。中は何故か明るい。妖怪は闇を好むが光を拒むわけではない。白日の元に姿を曝し、人間に排除されるのを防いでいるに過ぎないのだ。


 数センチ下に水が溜まり、歩くたびに染み出してくる不安定な場所を、凛は躊躇いなく進む。そのズボンを何かが引いた。


「おりん、おいらの玉をさがしておくれよぉ」


 小さな妖怪がべそをかいて裾を引いている。凛は、またぁ? と呆れた声を上げ、それを見下ろした。


「昨日見つけてあげたじゃない。また何かに気を取られて忘れてきたわね」

「ちがわい、ちがわい! 玉のやつがおいらを嫌うんだ! だからおいらからにげるんだぁ!」


 彼らは決して愛らしい外見をしているわけではない。肌は爬虫類のように固く、爛れたようになっているものもいる。目はぎょろりと動き、手足は枯れ枝のように細くて長い。節々の動きは昆虫を思わせるし、のぞく牙は鋭く舌は長い。


「お菓子の屑がほっぺについてる」


 角吉は細長い指で、慌てて顔を押さえた。


「落ちてた袋に頭を突っ込んで、手を離した玉が何処かに転がっていったんでしょう」

「ち、ちがわい!」

「正直に仰い。じゃないと探してあげないわよ」


 ふいっとそっぽを向いた凛に、角吉は大きな泣き声を上げた。


「おりん、おりん――……、おいらがわるかったよぉ。だから、後生だから玉のやつをさがしておくれよぉ」


 ぎょろりとした目から、それこそが玉のような涙をぼろぼろ零してズボンに額を擦りつけてくる。気がつけば他の小妖怪達も寄ってきた。凛を責めるような目もあったし、角吉を慰めていたり、お菓子をねだって両手を広げていたりした。

 わらわらと集まり、肩にまで登ってきたおチビさんが、悲鳴を上げて転がり落ちる。


「僕に触れるな。お前も触れさせるな」


 機嫌の悪い声が耳元で聞こえた。

 凛は、とりあえずびーびー泣き喚く小妖怪を指で撫でる。


「……何かしたの?」

「弾いただけだ」


 声と同時に静電気が頬に当たった。彼は能力者だったのか。こんなぬいぐるみで使えるのだから、本当は凄く強い力があるのだろう。馴染んでいない様子を見ると、入って時間が経っていないはずだが。

 そういえばあの男が人間国宝と言っていた。揶揄か、それとも……。


「興味があっただけなのに」

「僕は触れるのも触れられるのも嫌いだ」


 無遠慮に触ろうとするほうが悪い。きっぱり言い切られて、小妖怪はびーびー泣いて凛の指に抱きついた。


「藍、貴方もしかして、人間だった時、かなりの問題児だったんじゃ……」

「馬鹿か、僕は人間以外になった覚えはない」

「鏡を見せてやろうか、このやろう」


 問題児だ。出会って少しの間の少しの会話で分かるくらい問題児だったんだ。これは彼を追っていた側が悪者だと限らなくなってきたかもしれない。




「阿呆面。見れた物じゃないな」


 くりっとした愛らしい顔の兎が、なんだか極悪非道の魔王に見えてきた。


「…………とりあえず、もう泣かない。はい、これあげるから。あなたも、人の嫌がることは駄目よ。いきなり触ろうとしちゃ駄目。小動物はびっくりしちゃうんだからね」

「……それは僕のことか」


 小さな手にラムネを握らせて、もう一個は口に放り込んであげた。溶けるに合わせて顔が綻んでいく。合わせて凛の顔も綻んだ。


「おりん――……おいらの分はぁ?」


 指を銜えてべそをかく角吉を置いておいて、凛は視線を回して声を上げた。


「亀太!」


 声に反応して、水の中から文庫本サイズの亀が現れる。

 ただし、非常にゆっくりと。

 ぽ――ちゃ――り――と、酷くのんびりとした水音を響かせて、亀はのそ――――りと葦に上がり始めた。


「ねえ、亀太。角吉のビー玉知らない?」

「う――――――――――――――――――――ん――――――――」

「どこにある?」

「しっ――――――――――――――――――――――――――――て――――――る――――――よ――――――」

「うん、それは分かったから」

「こ――――――――――――――――――こ――――――――だ――――――――――よ――――――――」


 亀吉の甲羅の隅に何かが引っかかっている。赤い模様の入ったビー玉だ。角吉は亀太に飛びついてそれを奪った。


「おらいの玉だ! あったぁ! やい、亀太! よくもおいらの玉を盗んだな!」

「ふっ―――――――――――――――――――――て――――――――――き――――――――――た―――――――――よ―――――――――」


 どこまでもマイペースな亀太は、甲羅をぽかすか叩く角吉を無視して、草を食み始めた。


「ばかばかばか! 亀太とは絶交だい!」

「こ――――――れ――――お―――――い――――――――し――――――い――――よ――――――――」

「か、亀太なんか、亀太なんかっ」

「つ――――の――――――――――――き――――――ち――――――――――も――――――――――た――――――べ――――――る――――――――?」

「う……うわぁああああん! おいらがわるかったよぉ! 絶交なんてしないでおくれよ、亀太ぁ!」

「な――――に――――――――――か――――――――――――――――いっ――――――――――――た――――――――?」


 亀太はあくまで自分のペースで首を傾げると、わんわん泣いて甲羅にしがみつく角吉を乗せたまま泳いでいった。会話は成立していないが、あれでいて無二の親友なのだから面白いものだ。ビー玉は恋人だそうだ。その割にはいつも失くすのだが。



 二匹を見ていると、それなりに疲れるけれど、微笑ましくて和むのも事実だ。凛は肩を竦めて二匹を見送った。


「とんだ茶番だ。僕はこんなことに関っている暇はない」

「私はあんたに付き合ってる暇に眠りたい」


 悪態を付き合った二人の間に生臭い風が吹いた。生臭いといっても水生生物のそれではない。植物の香りと腐敗した木の香りが強くなる。咄嗟に顔をしかめた藍に対して、凛は驚きもせず振り向いた。


「八つ目爺。ごめんね、今日はカステラないの。かりんとうならあるんだけど」


 後ろには小柄な老人が杖をついていた。白髪を撫でつけ、穏やかに笑っている。


「お凛や。厄介な物をつれてきたねぇ」

「うん。知ってる。ごめん」


 自覚があるので素直に謝る。老人は短い手を伸ばして凛の頭を撫でた。凛の腰ほどしかない身長では届かないはずなのだが、髪の毛はくしゃくしゃと揉まれた。

 事情を説明する必要などない。彼がこの街で知らないことなどないのだ。


「どれ、寄越してごらん」


 穏やかな老人の手元に二葉がぬいぐるみを運んだ。しわがれた手の上で遊ばれながら、藍が驚愕の声を上げた。


「……まさか、八つ目大墓主か!」

「おやおや。この老いぼれの名を知っておったか。若いのに勤勉なことじゃのぅ」

「大妖、八つ目大墓主。把握されずに放置されていい妖ではないはずだが」


 飄々と笑う老人を、苦虫を噛み砕いた顔のぬいぐるみが睨んだ。都心ではないといえこんな街中に、まさかこれほどの大妖が存在しているとは思わなかった。八つ目大墓主の名は古書にもその名を記される。最古の物では平安時代にその名を見かける程古い妖怪だ。年を取れば衰えていく人間と違い、妖怪は古いものほど力を蓄えている。そして、弱肉強食の妖怪の世界でそれだけの期間生き続けてきたというだけで、力は証明されているようなものだ。

 いやに尖った犬歯が老人の口元から除き、しゅーしゅーと空気の洩れる音がする。


「心配するでない。取って喰いやしないよ。お凛が連れてきたならば、わしの客じゃて」

「僕に、触れるな」

「糸の一本くらい我慢せんか。(おのこ)じゃろうて」


 言葉通り一本の糸が藍と繋がった途端、がくりとぶれた視界に藍は舌打ちをした。弾き返したくともその力がない。無力なこの身が憎たらしい。普段は息をするより簡単に為し得たことが困難となり、その所為で被る不快が腹立たしかった。


 八つ目爺はふむと無い髭を擦ろうとして、止めた。


「こりゃぁ……また……厄介じゃのぅ」


 心成しかぐったりとしたぬいぐるみを返された凛は、少し緊張した。八つ目爺が厄介というほどの事態なのだ。


「お凛や、こりゃあ、能力者じゃ。それも極上の、人間国宝じゃ」


 人間国宝。能力者でその名を頂く人間には、付随して他の言葉も連なる。世界遺産、絶滅危惧種、と。だったら妖怪の減少も危惧してほしいと思ったものだ。

 その名を持つ者は現在の日本で七人だ。その中で最年少が十五歳と聞く。


「江戸ではいま大変な騒動が起こっているようじゃ。お凛や、号外は見なんだか」

「今日はずっとお父さんの病室で喋ってたから……病室のテレビ、アナログなんだ」

「なんじゃ。血手鹿はおらんのか」

「八つ目爺、きっと字が違うと思うんだ」


 人間よりも人間事情に詳しい妖怪は、一枚の新聞を渡してくれた。隅には何処かの誰かが捨てていった今日の新聞が何社分も集められ、小妖怪達の玩具になっている。


 今日、正確には昨日。警視庁の隣に隣接されたNYS本部の数部屋が爆発した。

 全国会議中だったそこには召集された祓い人も集まっていた。怪我人は多数、重傷者も出ている。号外は躍る文字ででかでかとタイトルを載せていた。


『最年少人間国宝・神鬼月蓮がテロ!?』

『孤高の麗人、クーデターか!?』

『やはり能力者は危険!? 凶器を持たない殺人鬼!』

『問われる能力者の安全管理!』

『容疑者は未だ逃走中』


 見つけても必ずNYSが来るまで待機の旨が厳重に書き込まれていた。

 視線だけで人を殺せる、指一本で相手を意のままに動かせると専らの噂だという。従える凶悪妖怪の保護、又は殺傷許可も出ていた。

 物騒な言葉が並んでいる中に、大きく容疑者の顔が掲載されていた。チラシにカラーで大きく挟まっていたのだ。

 凛は呆れるように感動した。

 世の中には綺麗な人がいるものだ。そういえば人間国宝となった時も騒がれていた。黒いまっすぐな髪に白い肌、整いすぎた美貌、長い睫毛に切れ長の瞳。神が愛した技師が作り上げた、神に捧げる人形よりも美しい。彼と並べば世界のアイドルもモデルも、彫刻でさえも恥らって逃げ出すと専ら評判の美貌だ。


 しきりに感動して、凛は、はたりと動きを止めた。


「…………まさか、八つ目爺、これがそれとか言わないよね?」

「これとかそれとか、わしには分からなんだが。あれは神鬼月蓮じゃなぁ」


 見えもしない星空を仰いだ凛を誰が責められようか。


「うわぁい、やっちゃったぁ……うあ――……おにぎりにそのままあげときゃよかった」

「指名手配犯を猫にくれてやろうとするのはお前くらいだろうな」


 張本人が淡々とした声で告げた。きっ、と、それを睨みつける。


「何処の世界にファンシー兎に指名手配犯が入ってると思うよ! 何処の世界に猫から兎貰い受けて殺されかけると思うよ!」

「お前の浅慮を僕の所為にするな」

「あんたなんかゴリ朗にくれてやる――!」


 ゴリ朗はこの辺り一体のボス猫だ。大きく筋肉質な茶色の猫で、太い腕に低く潰れた声、顔に走った傷跡は雄雄しい。余所猫も即効服従する。雌だと知った時の衝撃は凄かった。

 華奢な雄猫おにぎりと夫婦なのも凄い。おにぎりは困った物を拾ったから、ゴリ朗に見てもらおうと思ったのだろう。


 そのままにしておけばよかったと、凛は地団太を踏んだ。後で悔やむから後悔という。先人様、誰が上手いこと言えと。



 編みこまれた葦の間からは力を入れるたびに水が滲み出てくる。たくさんある繭の一つに腰掛け、凛はぐったりと頭を抱えた。


「うわぁ……嫌だぁ……。人間の揉め事なんて取り扱いたくないわ……私は怪専門で人間は管轄外!」

「そうじゃのぅ。じゃったら、こやつはわしが処分してなかったことにしようかのぅ」

「…………八つ目爺、それはちょっと人としてどうかと」

「わしは人の子ではないからのぅ」


 不穏な空気が漂った。手の中で静電気が広がる。痺れる痛みに反射的に投げ出そうとしたが、掌から離れなかった。


「僕を処分か……やれるものならやってみろ。その代わり、相打ち覚悟でくるんだな」


 低い声は揺れない。確固たる何かを決めてしまった声だった。ぬいぐるみから発せられる放電は凛の長い髪を不自然になびかせた。肌を電気が流れていく。それだけなのに心臓が跳ね上がるほどの緊張感が湧き上がった。

 何かが目の前にいる。細かな光が爆発して上手く見えない。小妖怪達がきゃあきゃあ叫びながら逃げ惑っていた。見た目は寧ろおぞましい部類なのに、声と行動が可愛いのは反則だ。今も両手を上げて逃げ出した一匹が盛大に転び、子どものように泣き出した。仲間があやしながらおぶり、慌てて駆け出していく。


 凛の前にいるのは少年だった。この顔を知っている。


「ほんとに、神鬼月蓮……」


 返答はない。彼はまっすぐ八つ目爺を睨みつけていた。

 さっきチラシで見た、美しい人。


「藍じゃないじゃない!」

「お凛や、大事なことはそこではないと、わしは思うぞよ」

「はい…………」


 動揺しました。

 二人の間にいながら遣り取りを聞いていなかったように、少年は風を増した。凛はしまったと臍を噛んだ。さきほどまで手足一つ動かせなかったから、一先ずは安全だと思ってここに連れてきたのに。これほどの力を出せると知っていたのなら、一先ずどこかに置いて一人で来るんだった。

 ぬいぐるみはいつの間にか自らの力だけで宙に居場所を得ていた。


「やめておけ。馴染んでもいない身体に消耗した魂。争う間に消滅してしまうじゃろう」

「御託は聞き飽きた」


 ほぅ、と、楽しげな声を老人は発した。


「生き急ぐか、ぬしほどの人間が」

「ただ殺されるのを許容できる命ではない」

「それは力ある故の傲慢か」

「そうとって頂いて、一向に構いませんが?」


 美貌をにたりと歪ませたそれでさえ美しいのは詐欺だ。

 唐突に風が湧き上がった。スパークが音を立てて世界を彩る。風は凝縮されて力を増し、一直線に老人に向かう。

 凛は咄嗟に駆け出した。少年をすり抜けたが、気にしている余裕は無い。鞄の中に手を突っ込む。さっき闇に投げつけたのは八つ目爺の唾液だ。大抵の物は溶かせる。あの程度の闇など簡単に蕩けてしまう。


「スト――――――ップ!」


 しかしいま投げつけたのは、春風がくれた秘香だ。薄桃色の煙が風を前に立ち塞がる。一瞬動きを止めた少年に向かい、秘香は意思を持つが如く範囲を広げ、少年を風ごと覆ってしまった。

「お前っ…………!」

「春眠暁を覚えず。眠ってしまえ!」


 春の眠気を強制的にプレゼント。

 霧散した煙の後には小さなぬいぐるみが残された。宙に浮かんだままのぬいぐるみが力を失って落ちる直前に慌てて掴む。

 ほっと息を吐いたのも束の間、ぐらりと身体が傾いだ。バランスを崩したかと思ったが、立て直そうにも力が入らない。

 きゃーと甲高い声を上げる小妖怪達の悲鳴を聞きながら、凛は意識を失った。




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